とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

おもわず 本屋さんを飛び出す

2007年03月18日 10時10分53秒 | 私のこと(日記)
 驚いたのは、本のタイトルだった。文豪といわれる人の本までもが、まるで、電車の吊り広告のようなタイトルだらけだ。もちろん、人はタイトルにひきつけられて本を買う。タイトルは、たいへん重要だ。
 しかし、なんと表現したらいいのか分からないが、人の心に接近し、かゆいところをくすぐるようなタイトルが、あのようにズラリと並んでいると、落ち着かないというか、思い切って言ってしまうと悲鳴があがるようなグロテスクな印象を受けた。作家のせいではない。タイトル決定権は、編集者にあるそうだから、セールス精神がはいってくるのは、ごく当然のことだ。売れなくて一番困るのは編集者だから。その原因は、長い不況のせいか?犯人さがしは、あまり生産的でないので、ここでストップしますが........

 人目をひきつけたい、ここまでして買ってほしいという気持ちが、本の軍団から叫びのようにあがってきている感じがした。ガマンをして陳列棚を見ていったが、ここまでしないと、本が売れないのかなどと、余計な思いが悲しくつきあげてきた。

 キオスク的な本屋さんだったから、なおさらだったのかもしれないけれども、それにしても、あのような大きな本屋さんに、売り込みのはげしいタイトルの本を大量に並べられると、辛い。

 1冊や2冊をみると、洗練された印象をもち、楽しくなるのかもしれないが、急に軍団となって押し寄せられと、個性が個性でなくなり、どれも似たりよったりに見え、これでもか、こでれもかと人目をひこうとしている感じが強調されてしまう気がした。

 たまらなくなって、本屋さんを飛び出した。なぜだか....とにかく、飛び出してしまった。

 新鮮で本当に詩的なタイトルと、洗練された広告のようなタイトルとの差は、表面的には紙一重のところまで接近してきているのだろうか?

 刺激を求める気持ちが読者側にも強いのかもしれない。疲れすぎていたり、不安感が強かったりすると、一時の軽い憩いが欲しくなる。

 自分はというと、そうゆう一過性のものを読むと、かえって落ち着きがなくなる。サン=テグジュペリの『母への手紙』とか『戦う操縦士』などの前ページをめくったり、『ペロー童話集」のような、素朴な民間伝承に材を得た、装飾をいっさい切り捨てたシンプルな「青ひげ」や「眠れる森の美女」などを読んでいるほうが、よほど落ち着く。

 これでは、だめなのでしょうか?
だめだから、こうなっているのでしょうね。まさに、サヴィヴァル合戦。現代の苦戦。

 ああ、それから松下幸之助の『指導者の条件』も、ぼちぼち読んでいると、落ち着きます。苦手な日本史や中国史の話がはいってくるので、ちょっときついですし、時代がちがうので、そのまま応用はできませんが、ポイントを明確におさえている気がして........
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