日本 にほん
面積 (1995 年 10 月 1 日現在) = 37 万 7829km2(歯舞諸島,色丹島,国後島,択捉島の合計 5036km2を含む)
人口 (1995 年 10 月 1 日現在) = 1 億 2557 万 0246 人
最北端=宗谷岬―北緯 45ツ31ア 最南端=沖ノ鳥島―北緯 20ツ25ア 最東端=南鳥島―東経 153ツ58ア 最西端=与那国島―東経 122ツ56ア (施政権の及ぶ範囲)
本項では日本の国号の由来および日本の歴史,文化,社会の特質を巨視的に記述した。。
◎―自然については〈日本列島〉,住民については〈日本人〉をはじめ〈アイヌ〉〈在日朝鮮人〉など,言語については〈日本語〉をはじめ, 〈琉球語〉〈アイヌ語〉〈方言〉など。
◎―歴史については,とくに〈古代社会〉〈中世社会〉〈近世社会〉〈近代社会〉の大項目をはじめ, 〈先縄文時代〉〈縄文文化〉〈弥生文化〉〈古墳文化〉に続き, 〈飛鳥時代〉から〈昭和時代〉に至る各時代を概説した項目。また,日本における歴史意識については〈歴史〉の項目を参照。
◎―文化の諸分野については,〈口承文芸〉〈日本文学〉〈日本美術〉〈日本建築〉〈日本音楽〉〈演劇〉〈芸能〉〈能〉〈狂言〉〈歌舞伎〉〈新劇〉〈日本映画〉など。
◎―宗教については,〈宗教〉〈神〉をはじめ〈神道〉〈仏教〉〈民間信仰〉〈新宗教〉など。
◎―生活文化については,衣では〈服装〉〈着物〉,食では〈食事〉〈日本料理〉,住では〈住居〉〈日本建築〉など。また,〈年中行事〉〈祭〉や,通過儀礼にかかわる〈出産〉〈成年〉〈婚姻〉〈葬制〉などの項目も参照。
◎―法制については,〈古代法〉〈中世法〉〈近世法〉の項目をはじめ, 〈法制史〉の項目中〈日本の近代以降の法制度〉の章などを参照。ほかに〈裁判〉〈法意識〉〈権利意識〉などの項目もあわせて参照。
◎―以下は主として近現代に限定して主要項目を案内する。政治については,〈政治〉の項目では〈日本の政治〉の章, 〈政治意識〉の項目では〈日本の政治意識〉の章, 〈政党〉の項目では〈日本〉の章などの見出しをとくに立てた。そのほか〈天皇〉〈天皇制〉および〈昭和天皇〉などの項目を参照。近現代の政治制度については,〈日本国憲法〉〈大日本帝国憲法〉をはじめ, 〈議会〉の項目中の〈日本の議会〉の章, 〈国会〉〈帝国議会〉〈内閣〉の項目, 〈官僚制〉の項目中の〈日本の官僚制〉の章, 〈公務員〉〈官吏〉,〈裁判所〉などの項目。ほかに〈地方自治〉〈地方分権〉〈圧力団体〉などの項目も参照されたい。
さらに近現代史の節目となる〈明治維新〉〈自由民権〉〈大正デモクラシー〉〈社会主義〉〈ファシズム〉〈国家総動員〉〈日中戦争〉〈太平洋戦争〉などの項目も参照。
◎―軍事については,〈軍制〉の項目をはじめ, 〈戦争の放棄〉〈自衛隊〉〈日米安全保障条約〉や, 〈陸軍〉〈海軍〉〈統帥権〉などを参照。
◎―経済については,〈日本資本主義〉をはじめ, 〈産業革命〉〈恐慌〉〈統制経済〉〈財閥解体〉〈農地改革〉〈高度経済成長〉〈円〉〈物価〉などの項目を参照。ほかに,〈財閥〉〈企業グループ〉〈日本的経営〉, 〈予算〉〈租税〉,〈金融機関〉〈銀行〉〈証券市場〉〈貯蓄〉, 〈貿易〉など,および各産業部門名の項目も参照。
◎―交通,通信については,〈道〉〈道路〉〈輸送〉〈水運〉〈海運業〉〈鉄道〉〈航空〉〈郵便〉〈通信〉などを参照。
◎―日本社会の特質については,〈日本社会論〉〈家〉〈家族制度〉〈村〉および〈被差別〉などを参照。教育については,〈学校〉の項目中の〈日本の学校〉の章, 〈読み書きそろばん〉の項目など。労働問題,社会福祉などについては, 〈労働組合〉〈労働運動〉,〈社会福祉〉〈社会保険〉〈慈善事業〉などの項目を参照。また,マスコミについては,〈新聞〉〈出版〉〈放送〉〈広告〉〈言論統制〉などの項目を参照。
なお,現代の著しい社会問題については, 〈高齢化社会〉〈公害〉〈都市問題〉〈土地問題〉〈住宅問題〉などの項目を参照されたい。
また,諸外国における日本に対する関心の系譜については〈日本研究〉の項目を参照。
【国号】
日本では大和政権による統一以来,自国をヤマトと称していたようであるが,中国や朝鮮では古くから日本を倭 (わ)と呼んできた。 《前漢書》《三国志》《後漢書》《宋書》《隋書》など中国の歴史書や,石上 (いそのかみ) 神宮の七支刀の銘,高句麗の広開土王の碑文も,みな倭,倭国,倭人,倭王,倭賊などと記している。そこで大和政権の代表者も,中国と交渉するときには, 5 世紀の〈倭の五王〉のように,国書に〈倭国王〉と記するようになった。しかし中国との国交が 120 年ほど中絶したのち, 7 世紀初めに再開されたときには,《隋書》に〈日出処天子〉, 《日本書紀》に〈東天皇〉とあって,倭と自称することを避けるようになっていたらしい。中国側でも《旧唐書 (くとうじよ) 》の東夷伝に至って初めて〈倭国〉と〈日本国〉とを併記し, 〈日本国は倭国の別種なり。其の国,日の辺に在るを以ての故に,日本を以て名と為す〉とか,〈或いは曰く,倭国自ら其の名の雅ならざるを悪 (にく) み,改めて日本と為す〉とか,〈或いは曰く,日本は旧 (もと) 小国,倭国の地を併す〉とか,倭から日本に変わった理由を紹介している。
この 7 世紀には,遣隋使に続いて遣唐使がしばしば派遣されているが,いつから倭に代えて日本を国号とすることにしたのかは, 〈日出処〉が〈日本〉に転化していったことはまず確かだとしても,実は明らかでない。遣隋使や遣唐使のそのつどの交渉について,かなり詳しく記述している《日本書紀》も, 8 世紀になって日本という国号が確立したのちの書物であり,その中に使われている原資料にあったかもしれない倭の字は,国号に関するかぎりすべて根気よく日本と改められている。そこで《日本書紀》以外に文献を求めると, 《海外国記》の逸文に,664 年 (天智 3),大宰府に来た唐の使人に与えた書には〈日本鎮西筑紫大将軍牒〉とあったとある。だがこの《海外国記》も 733 年 (天平 5) に書かれているから,倭を日本と改めている可能性がある。結局確かなのは,702 年 (大宝 2) に 32 年ぶりで唐を訪れた遣唐使が,唐側では〈大倭国〉の使人として扱ったのに対して, 〈日本国使〉と主張したという《続日本紀》の記述であり, 《旧唐書》東夷伝の記事も,この当時の日本側の説明に基づくものと思われる。
この日本が,今日のニホン,あるいはニッポンのどちらに近い発音で読まれたか,または当時の漢音でほぼジッポンと読まれたか否かも,まだ明らかでない。しかし日本という国号は,中国や朝鮮ではもちろん,はじめは日本の国内でも音読されていたようであり,ヒノモトという日本に対応する訓読も, 《万葉集》では〈ヒノモトのヤマト〉というように,古くからの国号であるヤマトにかかる枕詞として用いらるにとどまり,これがヤマトと並ぶ日本語風の国号として独立するのは平安時代以後である。中世に中国を通じて日本をヨーロッパに紹介したマルコ・ポーロの《東方見聞録》では,日本国がZipangu,Jipanguなどを書かれているが,その後ヨーロッパに広まったJapan,Japon, Jap1o などの称については,日本に対する中国の華北音の jih pen に基づくとする説と,華南音の yat pun に基づくとする説とがある。中世末の日本に渡来したヨーロッパ人たちは,ロドリゲスの《日本大文典》や《日葡辞書》に,当時の日本人が日本を Nifon,Nippon の両様に読んでいたことを記録している。近代では日本の読み方を統一しようという動きがあり, 1934 年の文部省臨時国語調査会では,ニッポンを正式呼称とする案が議決されたが,法律制定には至らなかった。なお正式な国号は,明治憲法では〈大日本帝国〉であったが,現行憲法では〈日本国〉である。 ⇒大和 (倭) (やまと)∥倭 (わ)
青木 和夫
面積 (1995 年 10 月 1 日現在) = 37 万 7829km2(歯舞諸島,色丹島,国後島,択捉島の合計 5036km2を含む)
人口 (1995 年 10 月 1 日現在) = 1 億 2557 万 0246 人
最北端=宗谷岬―北緯 45ツ31ア 最南端=沖ノ鳥島―北緯 20ツ25ア 最東端=南鳥島―東経 153ツ58ア 最西端=与那国島―東経 122ツ56ア (施政権の及ぶ範囲)
本項では日本の国号の由来および日本の歴史,文化,社会の特質を巨視的に記述した。。
◎―自然については〈日本列島〉,住民については〈日本人〉をはじめ〈アイヌ〉〈在日朝鮮人〉など,言語については〈日本語〉をはじめ, 〈琉球語〉〈アイヌ語〉〈方言〉など。
◎―歴史については,とくに〈古代社会〉〈中世社会〉〈近世社会〉〈近代社会〉の大項目をはじめ, 〈先縄文時代〉〈縄文文化〉〈弥生文化〉〈古墳文化〉に続き, 〈飛鳥時代〉から〈昭和時代〉に至る各時代を概説した項目。また,日本における歴史意識については〈歴史〉の項目を参照。
◎―文化の諸分野については,〈口承文芸〉〈日本文学〉〈日本美術〉〈日本建築〉〈日本音楽〉〈演劇〉〈芸能〉〈能〉〈狂言〉〈歌舞伎〉〈新劇〉〈日本映画〉など。
◎―宗教については,〈宗教〉〈神〉をはじめ〈神道〉〈仏教〉〈民間信仰〉〈新宗教〉など。
◎―生活文化については,衣では〈服装〉〈着物〉,食では〈食事〉〈日本料理〉,住では〈住居〉〈日本建築〉など。また,〈年中行事〉〈祭〉や,通過儀礼にかかわる〈出産〉〈成年〉〈婚姻〉〈葬制〉などの項目も参照。
◎―法制については,〈古代法〉〈中世法〉〈近世法〉の項目をはじめ, 〈法制史〉の項目中〈日本の近代以降の法制度〉の章などを参照。ほかに〈裁判〉〈法意識〉〈権利意識〉などの項目もあわせて参照。
◎―以下は主として近現代に限定して主要項目を案内する。政治については,〈政治〉の項目では〈日本の政治〉の章, 〈政治意識〉の項目では〈日本の政治意識〉の章, 〈政党〉の項目では〈日本〉の章などの見出しをとくに立てた。そのほか〈天皇〉〈天皇制〉および〈昭和天皇〉などの項目を参照。近現代の政治制度については,〈日本国憲法〉〈大日本帝国憲法〉をはじめ, 〈議会〉の項目中の〈日本の議会〉の章, 〈国会〉〈帝国議会〉〈内閣〉の項目, 〈官僚制〉の項目中の〈日本の官僚制〉の章, 〈公務員〉〈官吏〉,〈裁判所〉などの項目。ほかに〈地方自治〉〈地方分権〉〈圧力団体〉などの項目も参照されたい。
さらに近現代史の節目となる〈明治維新〉〈自由民権〉〈大正デモクラシー〉〈社会主義〉〈ファシズム〉〈国家総動員〉〈日中戦争〉〈太平洋戦争〉などの項目も参照。
◎―軍事については,〈軍制〉の項目をはじめ, 〈戦争の放棄〉〈自衛隊〉〈日米安全保障条約〉や, 〈陸軍〉〈海軍〉〈統帥権〉などを参照。
◎―経済については,〈日本資本主義〉をはじめ, 〈産業革命〉〈恐慌〉〈統制経済〉〈財閥解体〉〈農地改革〉〈高度経済成長〉〈円〉〈物価〉などの項目を参照。ほかに,〈財閥〉〈企業グループ〉〈日本的経営〉, 〈予算〉〈租税〉,〈金融機関〉〈銀行〉〈証券市場〉〈貯蓄〉, 〈貿易〉など,および各産業部門名の項目も参照。
◎―交通,通信については,〈道〉〈道路〉〈輸送〉〈水運〉〈海運業〉〈鉄道〉〈航空〉〈郵便〉〈通信〉などを参照。
◎―日本社会の特質については,〈日本社会論〉〈家〉〈家族制度〉〈村〉および〈被差別〉などを参照。教育については,〈学校〉の項目中の〈日本の学校〉の章, 〈読み書きそろばん〉の項目など。労働問題,社会福祉などについては, 〈労働組合〉〈労働運動〉,〈社会福祉〉〈社会保険〉〈慈善事業〉などの項目を参照。また,マスコミについては,〈新聞〉〈出版〉〈放送〉〈広告〉〈言論統制〉などの項目を参照。
なお,現代の著しい社会問題については, 〈高齢化社会〉〈公害〉〈都市問題〉〈土地問題〉〈住宅問題〉などの項目を参照されたい。
また,諸外国における日本に対する関心の系譜については〈日本研究〉の項目を参照。
【国号】
日本では大和政権による統一以来,自国をヤマトと称していたようであるが,中国や朝鮮では古くから日本を倭 (わ)と呼んできた。 《前漢書》《三国志》《後漢書》《宋書》《隋書》など中国の歴史書や,石上 (いそのかみ) 神宮の七支刀の銘,高句麗の広開土王の碑文も,みな倭,倭国,倭人,倭王,倭賊などと記している。そこで大和政権の代表者も,中国と交渉するときには, 5 世紀の〈倭の五王〉のように,国書に〈倭国王〉と記するようになった。しかし中国との国交が 120 年ほど中絶したのち, 7 世紀初めに再開されたときには,《隋書》に〈日出処天子〉, 《日本書紀》に〈東天皇〉とあって,倭と自称することを避けるようになっていたらしい。中国側でも《旧唐書 (くとうじよ) 》の東夷伝に至って初めて〈倭国〉と〈日本国〉とを併記し, 〈日本国は倭国の別種なり。其の国,日の辺に在るを以ての故に,日本を以て名と為す〉とか,〈或いは曰く,倭国自ら其の名の雅ならざるを悪 (にく) み,改めて日本と為す〉とか,〈或いは曰く,日本は旧 (もと) 小国,倭国の地を併す〉とか,倭から日本に変わった理由を紹介している。
この 7 世紀には,遣隋使に続いて遣唐使がしばしば派遣されているが,いつから倭に代えて日本を国号とすることにしたのかは, 〈日出処〉が〈日本〉に転化していったことはまず確かだとしても,実は明らかでない。遣隋使や遣唐使のそのつどの交渉について,かなり詳しく記述している《日本書紀》も, 8 世紀になって日本という国号が確立したのちの書物であり,その中に使われている原資料にあったかもしれない倭の字は,国号に関するかぎりすべて根気よく日本と改められている。そこで《日本書紀》以外に文献を求めると, 《海外国記》の逸文に,664 年 (天智 3),大宰府に来た唐の使人に与えた書には〈日本鎮西筑紫大将軍牒〉とあったとある。だがこの《海外国記》も 733 年 (天平 5) に書かれているから,倭を日本と改めている可能性がある。結局確かなのは,702 年 (大宝 2) に 32 年ぶりで唐を訪れた遣唐使が,唐側では〈大倭国〉の使人として扱ったのに対して, 〈日本国使〉と主張したという《続日本紀》の記述であり, 《旧唐書》東夷伝の記事も,この当時の日本側の説明に基づくものと思われる。
この日本が,今日のニホン,あるいはニッポンのどちらに近い発音で読まれたか,または当時の漢音でほぼジッポンと読まれたか否かも,まだ明らかでない。しかし日本という国号は,中国や朝鮮ではもちろん,はじめは日本の国内でも音読されていたようであり,ヒノモトという日本に対応する訓読も, 《万葉集》では〈ヒノモトのヤマト〉というように,古くからの国号であるヤマトにかかる枕詞として用いらるにとどまり,これがヤマトと並ぶ日本語風の国号として独立するのは平安時代以後である。中世に中国を通じて日本をヨーロッパに紹介したマルコ・ポーロの《東方見聞録》では,日本国がZipangu,Jipanguなどを書かれているが,その後ヨーロッパに広まったJapan,Japon, Jap1o などの称については,日本に対する中国の華北音の jih pen に基づくとする説と,華南音の yat pun に基づくとする説とがある。中世末の日本に渡来したヨーロッパ人たちは,ロドリゲスの《日本大文典》や《日葡辞書》に,当時の日本人が日本を Nifon,Nippon の両様に読んでいたことを記録している。近代では日本の読み方を統一しようという動きがあり, 1934 年の文部省臨時国語調査会では,ニッポンを正式呼称とする案が議決されたが,法律制定には至らなかった。なお正式な国号は,明治憲法では〈大日本帝国〉であったが,現行憲法では〈日本国〉である。 ⇒大和 (倭) (やまと)∥倭 (わ)
青木 和夫