とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

『いま、イラクを生きる』リバーベンド 3 「暗殺......」

2008年04月05日 12時15分59秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
2005年11月25日
   「暗殺....』 (私注:全文引用)

 きのうの朝は、このニュースで目が覚めた。「スンニ派部族指導者と息子たち、射殺される」
「親族の語ったところによると、水曜、イラク軍制服姿の複数の狙撃者が、就眠中のスンニ派部族長老と息子3人を射殺した」
 ネット上で読むのでなければ、テレビで現場の映像を見るのが一番だ。遺体と家族――そのなかで年配の婦人が嘆き悲しんで髪や顔をかきむしり、内務省の兵士が息子たちを殺したと叫んでいた。母親、妻と子どもたちの目の前で撃ち殺したのだ.......。羊を屠(ほお)るときでさえ、囲いの外に連れて行き、ほかの羊たちが見て脅(おび)えないようにするのに。
 戦争のさなか、人はとんでもないことを考えつく。ありえないことを思い描く。夜眠れないとき、心はあれこれと起こるかもしれないことを数え上げていく。戦火に荒れた国の未来をしかと思い描こうとしてもかいなく、心は目に見え手の触れることのできる対象――友人たちなど、濃淡さまざまなつながりへと向かう。
 この2年半、イラク国内のイラク人で、家族の誰かを失う可能性を考えなかった人は1人もいないと思う。この世で何よりも大切に思う人々を失う、と想像してみる。瓦礫の下に埋もれてしまう?過激派に虐殺される?車両爆弾で吹き飛ばされる?誘拐されて身代金を要求される?それとも検問所で無残に銃殺される?気になる可能性をすべて数え上げてみる。
 そして、もし万一私がこうして愛する人びとを失ったとしたら、私に何が起こるだろうかと考えてみる。報復したいという欲求が起こるのにどのくらいの時間がかかるのだろうか?どのくらいたてば、失うべきものを何も持たない人びと、一撃ですべてを失った人びとを狙(ねら)う何者かにリクルートされることになるのか?

 世界中の人たちは、わかっていないと思う。人は、世に言われているように天国で70人、いや何人であれ大勢の処女を手に入れられるから自爆者になるのではない。なぜ自爆者になるか。それは、もはや生きるに値しない人生に対し、国内の、あるいは外国のテロリストによって、暴力的に人間的なものを奪われてしまった人生に対し、復讐して結末をつけるのだ。

 自爆攻撃は身震いするほどいやだ。疑わしい車のそばを通るたび(おまけに、きょうこのごろでは、どの車も疑わしく見える)、めちゃめちゃ激しく動悸がするのがいやだ。スンニ派のモスクとシーア派のモスクが、いたるところで攻撃されているのがいやだ。病院に積上げられた遺体を、苦痛に食いしばられた歯を、嘆き悲しむ男たち女たちを、見るのがいやだ。

 ある犠牲者は、娘を抱きしめたまま亡くなっていた。親族の1人は言った。「狙撃者たちはその子にどくようにいって、父親を射殺したのです」
 この少女が激しい憎悪と報復の欲求をもって成長し、それを糧に生きることとなったとして、誰が驚くだろうか?

 また3日前の話。米軍とイラク軍は、町から町へ移動中の家族を銃撃し、5人を殺した。
「全員子どもです。テロリストじゃない」と親族の1人は叫んだ。「ほら、子どもたちでしょう」。
そのとき、死体保管所の職員が冷蔵室に小さな子どもの遺体を運びこんでいた。

 ダーワ党があり、イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)があり、アメリカに占領されているときに、「テロリスト」をリクルートするために、誰がアル=カーイダを必要とするだろう?

 もちろん、イラク内務省はこの事件について全面的に否定している。ジャドリアの拷問ハウスに関するすべて、暗殺の数々とやりたい放題やってきた殺人のすべてを否定し続けているように。内務省はついに、ジャドリアの拷問ハウスについて米軍は嘘をついていると言うまでになった。

 この3週間に、少なくとも6人の著名な医師、大学教授が暗殺された。シーア派の人もいればスンニ派の人もいる――元バース党員もいればそうでない人びともいる。共通点は一つ、どの人も戦争前、イラクの大学で重要な役割を果たしていたということだ。殺されたのは、ハイカル・アル=ムサーウ博士、生物学者のラアド・アル=マウィア博士、サアド・アル=アンサーリ博士、小児科医のムスタファ・アル=ヘエティー博士、アミール・アル=ハズラジー博士、外科医のムハンマド・アル=ジャザーイリ博士。
 すべての殺人について詳しく知っているわけではない。ラアド・アル=マウィア博士は知っていた。彼は、バグダッド大学理学部の教授で学部長だった。そしてシーア派。穏やかな人柄で、問題を抱えたときにいつでも相談しにいけるような紳士だった。キャンパスの外の彼のオフイスで射殺された。なんとも痛ましいことだ。

 今月初めに殺されたもう一人の教授は、薬学部長だった。今年の初め、ダーワ党の学生といざこざがあった。ジャファリとその一党が選挙で勝利したあと、学部内のダーワ党追従者たちが学内で祝典をしようとした。混乱を招くと考えて、彼は通常のバナー以外の祝賀行為を許さなかった。そして学生たちに、ここは学ぶための場であるから政治を除外するようにと言った。学生たちの何人かが彼を恫喝し、学内で小競り合いが何度かあった。彼は1週間ほど前に殺された。もう少し前だったかもしれない。
 
 暗殺の背後にいるものが誰であり、イラクは急速に知識階級の人材を失いつつある。ますます多くの医師や教授がイラクを去って移住していってる。
 この事態が問題なのは、大規模な頭脳流出だということだけではない。問題は、この失われつつある知識階層は、イラクの世俗階層でもあるという点にある。
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