2005年5月29日
「シーア派の指導者たち」(私注:全文引用)
いまバグダッドで話題になっているのは、目下の「稲妻作戦」(2005年5月29日から、イラクが治安部隊4万人以上を投入して開始された「過激派」掃討を名目とする作戦。米軍も1万人態勢で支援しているという)。この地区ではまだ始まっていないが、どんなものかは聞こえてくる。いまのところ目に見える変化は、検問所が数箇所増えて携帯が通じなくなったことだけ。現在、バグダッドは大きく二分されている。カルク(西バグダッド)とラサファ(東バグダッド)で、あいだをチグリス川が流れる。この作戦では、カルクはさらに15地区に、ラサファは7地区に分断される。検問所は総数675ヶ所に増え、バグダッドへの進入路はすべて監視下に置かれる。
カルクが15地区に分断されるのに、どうしてラサファはたった7地区なのかよくわからない。ラサファよりカルクのほうが狭いし、人口も少ないのだ。だが、カルクにはグリーンゾーンがある。理由はこれかもしれない。675ヶ所の検問所のことも気がかりだ。いまでさえバグダッドを出歩くのは大変なのに、これ以上検問所ができたらますます大変になる。作戦には、4万人のイラク治安部隊が動員されている。これもみんなの不安の種だ。イラク国家警備員は人好きのする連中でもないし、まともな同胞でもない。そんな連中が何千とバグダッド中に散らばって車を止め、あるいは一般市民を脅かす――なんて、とても不安になる。強制家宅捜索もあるのではと、さらに不安になる。
トーマス・L・フリードマンがクルアーン(コーラン)冒涜事件について書いた、10日前の『ニューヨーク・タイムズ』の論説をメールしてくれた人がいる。ありがとう。タイトルは「憤激と沈黙」
フリードマンは、イスラーム世界がことさらにクルアーン(コーラン)冒涜に抗議のデモをおこない、一方で、爆破や自爆攻撃によってここ数週間のうちに犠牲となった何百人ものイラク人については沈黙していると語っている。
以下、引用する。
「しかしこれら大量殺人、現実のムスリムを冒涜し放逐・抹殺する、ムスリム自身によるこの行為は、イスラーム世界にただ一つの抗議デモも引き起こさなかった。さらに、イラクのシーア派とクルド人に対して、自爆攻撃の聖戦戦士たちがおこなっているこれら無差別大量殺人を、イラク外のイスラーム法学者が有罪判決するファトワもまったく目にしていない。『ワシントン・ポスト』紙によれば、自爆攻撃者の多くはサウディ・アラビア出身だというが」
まず、言いたいこと。自動車爆弾で死んでいってるのはクルド人とシーア派だけではない。市場の真ん中やモスクの近くで車が爆発するとき、群集のなかからシーア派とクルド人を選び出しはしない。爆弾は、若かろうが年寄りだろうが男だろうが女だろうが、民族の違いも宗派の別も容赦はしない。すごく高性能なんだって政府が言おうともね。それに所かまわず爆発している。シーア派とクルド人が住んでいる州だけではない。このごろでは、そこらじゅうにあるように思える。
フリードマンの説でとくにおもしろい――だけじゃなくて、とんでもないと思ったのは、以下のくだり。
「スンニ派が多数を占めるアラブ世界が、史上で初めてシーア派がイラクの指導者に選ばれたことをどう見ているか、その宗教的意味合いは、たとえば1920年代のアラバマで黒人知事が就任したら白人たちはどう感じただろうかと考えてみればわかる。スンニのなかには、シーア派のなかには、シーア派は正統なイスラーム教徒ではないと考える者もいて、残忍な行為をしても平気なのだ」
ほらね、ユダヤ系アメリカ人のジャーナリストがスンニ派アラブ人に成り代わって発言するのを見るのは、ぜったいおもしろい。現在のようにスンニ派アラブ人がほかのスンニ派アラブ人を代弁するような形でものを言うのを躊躇しているときに、トーマス・L・フリードマンが、自信を持って「スンニ派アラブ世界」の意識をこんなに要領よく説明してるって知ってうれしいわ。何と傲慢なことかしら。
フリードマンの言ってるのは、とんでもないことだ。多くの人々にとって、問題はスンニ派とシーア派のことでもアラブ人とクルド人のことでもないからだ。考えるべきは、占領と、自分たちを真に代表するものがいないと思っている人びとのことだ。延々と張りめぐらした有刺鉄線と分厚いコンクリートの奥に隠れていなければならない政府。隠れなければならないのは、シーア派だからでもクルド人だからでもスンニ派アラブ人だからでもない。死と破局をもたらした占領を恥知らずにも支持し、なお支持し続けているからなのだ。
フリードマンのこのくだりは、嘘っぱちのくずだ。フリードマンがどんなに新奇なものと印象づけようとしても、「シーア派指導者」という発想は、イラク人や他のアラブ人にとって、まるきり理解の外というわけではないからだ。それをなんとまあ、1920年代のアラバマで黒人知事が選ばれることにたとえるなんて!1958年、独裁制に終わりを告げた7月14日革命後の独立評議会の長(大統領にあたる)は、ムハンマド・ナジブ・アッールバーイ、南部のクート出身のシーア派だった。1958年から1963年まで、同じくクート出身のシーア派、アブドゥル・カリム・カッシムがイラク首相だった(つまり現在のジャファリと同じ)。1963年、アブドゥル・カリム・カッシムのあとを襲って首相の地位についたのは、またもやシーア派のナジ・タリブだった。先のサッダム体制化でさえ、2人のシーア派、サドゥーン・フマディとムハンマド・アッ=ズバイディが数年間首相を務めた。
つまり、スンニ派アラブ人は、シーア派指導者を戴くことを恐れてはいないのだ(目下のシーア派操り人形たちの親イラン傾向は非常に気になるが)。フリードマンは、一夫多妻のスンニ派アラブ人、ガーズィ・アル=ヤーワルが大統領職にあったあいだ、襲撃は同じくらい激しかったことを都合よく忘れているらしい。もし、単純にスンニ派対シーア派あるいはアラブ人対クルド人の問題であるなら、スンニ派アラブ人は大挙して「笑い牛」(イラクの言葉で「アル=バカラ アル=ダヒカ」。イラクでヤワルはこう呼ばれている)に投票しに出かけただろう。
また、次のくだり。「スンニ派のなかには、シーア派は正統なイスラーム教徒ではないと考える者もいて、残忍な行為をしても平気なのだ」
ばかげている、の一言。フリードマンは、そうとはっきり言わずにスンニ派過激主義者のことを言っている。しかし、シーア派過激主義者もスンニ派に対して同じように感じていることは言わない。「キリスト教世界」にだって、プロテスタントその他に対し同じように感じているカトリックがきっといると思う。何世紀ものあいだ、スンニ派でありシーア派であるイラク人はお互いに結婚によって結ばれ、混ざりあってきた。イラクの大部族の多くはスンニ派とシーア派が複雑にからまりあってできている。私たちには、お互いのことをあれこれ言ったり、誰がムスリムで誰がそうじゃないか、誰がやさしくされて誰が残忍に扱われるべきかなんて品定めしたりする習性はない。
フリードマンの言葉。「もしアラブ世界、アラブのメディア、アラブの精神的指導者が思い切って、自爆攻撃を展開している者たちを強く何度も糾弾したなら、またもし信頼できるスンニ派がイラク政府においてしかるべき地位を与えられるなら、現在多発している自爆攻撃はやむであろうと確信している」
アラブ世界の精神的指導者とメディアのトップは、いま、両手を縛られている。フリードマンはむしろ、イスラームの精神的指導者が目下の混乱に関わりませんようにと願うべきだ。なぜなら、指導者たちの第一の任務は、クルアーン(コーラン)にイスラーム世界は非ムスリムの保護や支配下にあってはならないと書かれていることを、イスラーム世界に思い出せることだからだ。そうなればアメリカの占領はよいものとは見えないだろう。
フリードマンには、なぜクルアーンの冒涜に対しては何千何万の人びとが抗議するのに、イラクでのテロ行為には抗議行動が起きないのかわからない。イラクにおける一般市民に対する爆弾攻撃は、過激主義者、狂信者、政党などの武装集団といった者たちによっておこなわれている。グアンタモでのクルアーン事件、アブー・グレイブでの事件などは、軍によって組織的におこなわれている。その軍は目下戦争に従事していて、その戦争の経費はアメリカ国民が出している。これこそ、イスラーム世界が許せないと感じている理由だ。
つまり、イラクで起こっていることは、テロ行為だ。これに対し、アメリカやイギリスに拘留されているイラク人、アフガニスタン人、その他の国の人びとに起きているのは、はっきりと「反乱勢力対策」であり「上部の方針」なのだ。戦争の初めのころ、米軍捕虜がイラクのテレビに映し出されたとき、全世界が怒り狂ったことを思い出すと気分が重い。清潔で安全で敬意をもって処遇されていたのに。私たちだってそのときは、その事件に怒り、どうしてこんなふうに世界にさらしものにされなくてはいけないのかと思った。気の毒に思うくらいの品性は持っていたのだ。
フリードマンの論説は、スンニ派アラブ世界のことしか述べていない。最大のデモはアラブ世界であったのではなくて、パキスタンやアフガニスタンで起きたことを述べていない。さらにイラクで最大のクルアーン冒涜事件抗議デモは、実はシーア派が組織し参加したのだということも述べていない。
トーマス・フリードマンが何と言おうと、イラク人にとって幸せなことに、スンニ派もシーア派も大多数はムスリムとして仲良く暮らしていきたいと望んでいる。スンニ派とシーア派として、ではなくて。
「シーア派の指導者たち」(私注:全文引用)
いまバグダッドで話題になっているのは、目下の「稲妻作戦」(2005年5月29日から、イラクが治安部隊4万人以上を投入して開始された「過激派」掃討を名目とする作戦。米軍も1万人態勢で支援しているという)。この地区ではまだ始まっていないが、どんなものかは聞こえてくる。いまのところ目に見える変化は、検問所が数箇所増えて携帯が通じなくなったことだけ。現在、バグダッドは大きく二分されている。カルク(西バグダッド)とラサファ(東バグダッド)で、あいだをチグリス川が流れる。この作戦では、カルクはさらに15地区に、ラサファは7地区に分断される。検問所は総数675ヶ所に増え、バグダッドへの進入路はすべて監視下に置かれる。
カルクが15地区に分断されるのに、どうしてラサファはたった7地区なのかよくわからない。ラサファよりカルクのほうが狭いし、人口も少ないのだ。だが、カルクにはグリーンゾーンがある。理由はこれかもしれない。675ヶ所の検問所のことも気がかりだ。いまでさえバグダッドを出歩くのは大変なのに、これ以上検問所ができたらますます大変になる。作戦には、4万人のイラク治安部隊が動員されている。これもみんなの不安の種だ。イラク国家警備員は人好きのする連中でもないし、まともな同胞でもない。そんな連中が何千とバグダッド中に散らばって車を止め、あるいは一般市民を脅かす――なんて、とても不安になる。強制家宅捜索もあるのではと、さらに不安になる。
トーマス・L・フリードマンがクルアーン(コーラン)冒涜事件について書いた、10日前の『ニューヨーク・タイムズ』の論説をメールしてくれた人がいる。ありがとう。タイトルは「憤激と沈黙」
フリードマンは、イスラーム世界がことさらにクルアーン(コーラン)冒涜に抗議のデモをおこない、一方で、爆破や自爆攻撃によってここ数週間のうちに犠牲となった何百人ものイラク人については沈黙していると語っている。
以下、引用する。
「しかしこれら大量殺人、現実のムスリムを冒涜し放逐・抹殺する、ムスリム自身によるこの行為は、イスラーム世界にただ一つの抗議デモも引き起こさなかった。さらに、イラクのシーア派とクルド人に対して、自爆攻撃の聖戦戦士たちがおこなっているこれら無差別大量殺人を、イラク外のイスラーム法学者が有罪判決するファトワもまったく目にしていない。『ワシントン・ポスト』紙によれば、自爆攻撃者の多くはサウディ・アラビア出身だというが」
まず、言いたいこと。自動車爆弾で死んでいってるのはクルド人とシーア派だけではない。市場の真ん中やモスクの近くで車が爆発するとき、群集のなかからシーア派とクルド人を選び出しはしない。爆弾は、若かろうが年寄りだろうが男だろうが女だろうが、民族の違いも宗派の別も容赦はしない。すごく高性能なんだって政府が言おうともね。それに所かまわず爆発している。シーア派とクルド人が住んでいる州だけではない。このごろでは、そこらじゅうにあるように思える。
フリードマンの説でとくにおもしろい――だけじゃなくて、とんでもないと思ったのは、以下のくだり。
「スンニ派が多数を占めるアラブ世界が、史上で初めてシーア派がイラクの指導者に選ばれたことをどう見ているか、その宗教的意味合いは、たとえば1920年代のアラバマで黒人知事が就任したら白人たちはどう感じただろうかと考えてみればわかる。スンニのなかには、シーア派のなかには、シーア派は正統なイスラーム教徒ではないと考える者もいて、残忍な行為をしても平気なのだ」
ほらね、ユダヤ系アメリカ人のジャーナリストがスンニ派アラブ人に成り代わって発言するのを見るのは、ぜったいおもしろい。現在のようにスンニ派アラブ人がほかのスンニ派アラブ人を代弁するような形でものを言うのを躊躇しているときに、トーマス・L・フリードマンが、自信を持って「スンニ派アラブ世界」の意識をこんなに要領よく説明してるって知ってうれしいわ。何と傲慢なことかしら。
フリードマンの言ってるのは、とんでもないことだ。多くの人々にとって、問題はスンニ派とシーア派のことでもアラブ人とクルド人のことでもないからだ。考えるべきは、占領と、自分たちを真に代表するものがいないと思っている人びとのことだ。延々と張りめぐらした有刺鉄線と分厚いコンクリートの奥に隠れていなければならない政府。隠れなければならないのは、シーア派だからでもクルド人だからでもスンニ派アラブ人だからでもない。死と破局をもたらした占領を恥知らずにも支持し、なお支持し続けているからなのだ。
フリードマンのこのくだりは、嘘っぱちのくずだ。フリードマンがどんなに新奇なものと印象づけようとしても、「シーア派指導者」という発想は、イラク人や他のアラブ人にとって、まるきり理解の外というわけではないからだ。それをなんとまあ、1920年代のアラバマで黒人知事が選ばれることにたとえるなんて!1958年、独裁制に終わりを告げた7月14日革命後の独立評議会の長(大統領にあたる)は、ムハンマド・ナジブ・アッールバーイ、南部のクート出身のシーア派だった。1958年から1963年まで、同じくクート出身のシーア派、アブドゥル・カリム・カッシムがイラク首相だった(つまり現在のジャファリと同じ)。1963年、アブドゥル・カリム・カッシムのあとを襲って首相の地位についたのは、またもやシーア派のナジ・タリブだった。先のサッダム体制化でさえ、2人のシーア派、サドゥーン・フマディとムハンマド・アッ=ズバイディが数年間首相を務めた。
つまり、スンニ派アラブ人は、シーア派指導者を戴くことを恐れてはいないのだ(目下のシーア派操り人形たちの親イラン傾向は非常に気になるが)。フリードマンは、一夫多妻のスンニ派アラブ人、ガーズィ・アル=ヤーワルが大統領職にあったあいだ、襲撃は同じくらい激しかったことを都合よく忘れているらしい。もし、単純にスンニ派対シーア派あるいはアラブ人対クルド人の問題であるなら、スンニ派アラブ人は大挙して「笑い牛」(イラクの言葉で「アル=バカラ アル=ダヒカ」。イラクでヤワルはこう呼ばれている)に投票しに出かけただろう。
また、次のくだり。「スンニ派のなかには、シーア派は正統なイスラーム教徒ではないと考える者もいて、残忍な行為をしても平気なのだ」
ばかげている、の一言。フリードマンは、そうとはっきり言わずにスンニ派過激主義者のことを言っている。しかし、シーア派過激主義者もスンニ派に対して同じように感じていることは言わない。「キリスト教世界」にだって、プロテスタントその他に対し同じように感じているカトリックがきっといると思う。何世紀ものあいだ、スンニ派でありシーア派であるイラク人はお互いに結婚によって結ばれ、混ざりあってきた。イラクの大部族の多くはスンニ派とシーア派が複雑にからまりあってできている。私たちには、お互いのことをあれこれ言ったり、誰がムスリムで誰がそうじゃないか、誰がやさしくされて誰が残忍に扱われるべきかなんて品定めしたりする習性はない。
フリードマンの言葉。「もしアラブ世界、アラブのメディア、アラブの精神的指導者が思い切って、自爆攻撃を展開している者たちを強く何度も糾弾したなら、またもし信頼できるスンニ派がイラク政府においてしかるべき地位を与えられるなら、現在多発している自爆攻撃はやむであろうと確信している」
アラブ世界の精神的指導者とメディアのトップは、いま、両手を縛られている。フリードマンはむしろ、イスラームの精神的指導者が目下の混乱に関わりませんようにと願うべきだ。なぜなら、指導者たちの第一の任務は、クルアーン(コーラン)にイスラーム世界は非ムスリムの保護や支配下にあってはならないと書かれていることを、イスラーム世界に思い出せることだからだ。そうなればアメリカの占領はよいものとは見えないだろう。
フリードマンには、なぜクルアーンの冒涜に対しては何千何万の人びとが抗議するのに、イラクでのテロ行為には抗議行動が起きないのかわからない。イラクにおける一般市民に対する爆弾攻撃は、過激主義者、狂信者、政党などの武装集団といった者たちによっておこなわれている。グアンタモでのクルアーン事件、アブー・グレイブでの事件などは、軍によって組織的におこなわれている。その軍は目下戦争に従事していて、その戦争の経費はアメリカ国民が出している。これこそ、イスラーム世界が許せないと感じている理由だ。
つまり、イラクで起こっていることは、テロ行為だ。これに対し、アメリカやイギリスに拘留されているイラク人、アフガニスタン人、その他の国の人びとに起きているのは、はっきりと「反乱勢力対策」であり「上部の方針」なのだ。戦争の初めのころ、米軍捕虜がイラクのテレビに映し出されたとき、全世界が怒り狂ったことを思い出すと気分が重い。清潔で安全で敬意をもって処遇されていたのに。私たちだってそのときは、その事件に怒り、どうしてこんなふうに世界にさらしものにされなくてはいけないのかと思った。気の毒に思うくらいの品性は持っていたのだ。
フリードマンの論説は、スンニ派アラブ世界のことしか述べていない。最大のデモはアラブ世界であったのではなくて、パキスタンやアフガニスタンで起きたことを述べていない。さらにイラクで最大のクルアーン冒涜事件抗議デモは、実はシーア派が組織し参加したのだということも述べていない。
トーマス・フリードマンが何と言おうと、イラク人にとって幸せなことに、スンニ派もシーア派も大多数はムスリムとして仲良く暮らしていきたいと望んでいる。スンニ派とシーア派として、ではなくて。