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何が悪かったのか:アフガニスタン政権瓦解を生んだ国際社会の失敗    2021年08月19日(木)酒井啓子   13時40分

2021年08月19日 20時52分43秒 | アメリカ

何が悪かったのか:アフガニスタン政権瓦解を生んだ国際社会の失敗

2021年08月19日(木)13時40分   Newsweek
中東徒然日記酒井啓子
 

<大国の軍事力に代わる有効な「人道的介入」の方策を、国際社会が確立することは結局できなかった>

8月15日、ターリバーンがカーブルを制圧し、アフガニスタンの権力掌握を果たした。バイデン米大統領が米軍を全面撤退させると宣言した期限の9月11日より1カ月近くも早い、カーブル陥落である。これで、2001年のアフガニスタン戦争でターリバーンを追放して以来米国が支えてきたアフガニスタン政権は、露と消えた。

この20年間にアフガニスタンで命を落とした米兵は2452人、英やカナダ、ドイツなどNATO加盟国の犠牲者を含めると3596人にもなるが、アフガニスタン人側の死者数は政府軍・民間人が10万人強、ターリバーンなど反米派側の被害も5万人を超える。米政権が費やした戦費は3兆ドルともいわれ、今年3月までにアフガニスタンの治安部門の再建計画に費やされた資金は8830億ドルとされている。この膨大な人的、資金的コストが、ターリバーン政権復活で水泡に帰した。米軍や前政権に協力したアフガニスタン人は、ターリバーン政権による報復を恐れて国外脱出への道を競い、残る人たちの間にも女性の教育や人権が再び制限されるのではと、戦々恐々としたムードがアフガニスタンを覆っている。

何が悪かったのか。世界はその問いにあふれている。まずは、米政権の予測の甘さ。バイデン米大統領は、政府軍の敗走、ターリバーンの首都掌握に、「こんなに早く崩壊するとは思わなかった」と想定外の事態だったことを強調した。だが、ターリバーンはかなり前から地方部を掌握していたし、これまでの度重なる和平交渉の過程でも、政府側がターリバーン側より優勢にあると言い難いことは、明らかだった。7月末には中国の王毅外相が、訪中したターリバーン幹部と会見して友好関係を示しており、パキスタンと中国の間ではターリバーン政権成立を想定した協力関係が模索されてきた。イランやトルコなど、周辺国の動向を見ても、遅かれ早かれ親米アフガニスタン政府が崩壊しターリバーンが台頭することを想定して動いていたことは明らかだろう。

アフガン政府の脆弱さ

その読みの甘さの根幹にあるのが、米が支えてきたアフガニスタン政権の脆弱さである。20年間も上述したコストを費やして、結局は腐敗し権力抗争に血道をあげるだけの政権しか確立できなかった。世界の国々の腐敗度数を発表している国際NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」によれば、アフガニスタンはその腐敗度が2007年以来ほとんどの年でワースト5に入っている。2005年には159か国中117位と、まだましだったのに、年々悪化していった。米軍やNATOが訓練した政府軍は、数字だけ見ると30万人以上の兵員を抱えていたが、士気は決して高くはなく、8万人のターリバーン兵を前に、敗走した。その多くが、給与を得るための幽霊兵士だったともいわれている。カーブル陥落前、バイデン米大統領は、「米軍撤退後は、(米やNATOが育成した)政府軍がターリバーンと戦う」と突き放したが、米軍や米の軍事コントラクターの支援なしには自立できるものではなかった。

だが、ターリバーンがこれだけ強固だとは、アフガニスタン政権がこれだけ脆弱だったとは「知らなかった」、では済まされない。ターリバーン相手に勝利を得られないことが明らかだからこそ、すでにオバマ政権は2011年には駐留兵員を削減し、いったん2016年までの撤退を計画したのだ。アフガニスタンからの米軍の撤退(軍事的な成果なしの)は、すでに10年前から見えていた路線だったのである。

加えて、類似のことを米国は、イラクで経験している。2010年末に米軍がイラクを撤退した後、2年半という年月を経てではあるがIS(「イスラーム国」)が登場、米軍撤退後のイラクの治安と政権の存続を脅かすほどの事態となった。このときも、反政府勢力がここまで軍事的に強力になるとは予想されなかったし、米軍が作り上げたイラク政府軍がISを前に完全に白旗を上げて敗走するとは想像されなかった。

こうした米政権の「読みの甘さ」の繰り返しを、バイデン政権の、あるいは米政府の情報不足や無計画さに帰することは簡単だ。現地情勢を行う分析官の多くが現地語を理解せず、もっぱら翻訳されたものや中東系移民からの情報に依存して、自身でナマの情報を扱わない。イラク戦争の数年後、イラクやアフガニスタン情勢を分析報告する米シンクタンク系の第一線の専門家に、アラビア語は読むのか、と聞いたとき、こう答えたのが印象的だった。

「情報が多すぎる。現地語で読んでいる暇はないので、全部通訳に依存している」。なるほど、今回、数多くのアフガニスタン人通訳が真っ先に国外脱出を希望したのは、それだけ米軍や米関係企業が通訳や現地助手に依存しなければならなかったことをよく表していよう。

だが、こうして、情報が歪む。じかに社会に接しての情報や知識が、得られない。2019年にアフガニスタン復興特別査察官(SIGAR)がアフガニスタン駐留兵士600人に対して行ったインタビューをもとにまとめた報告書「バラバラな責任」は、「米政府は、アフガニスタンの治安部門をどう改善していいのか全く分かっておらず、無計画で、誰一人として責任もって指揮する者がいない」と、厳しい批判を並べている。

しかし、問題はただの「情報不足」なのだろうか? より現地に密着し現地社会を理解した知識と情報を以て統治すれば、それでよい、ということなのか? それは言い換えれば、かつての大英帝国のオリエンタリストたちのように現地を知り尽くした研究者を起用すれば、「いい統治」ができる、ということなのか? かつて現地の方言を駆使し、地元部族とツーカーの関係を積み上げて大英帝国の植民地統治に大いに貢献した、T.E.ロレンスやガートルード・ベルのような考古学者が重用されていれば、米国はアフガニスタンで成功したのだろうか?

破綻国家にどう関わるか

アフガニスタンにせよイラクにせよ、今世紀に入ってからの「米国の支配の失敗」は、「情報不足」や「当時の政権の凡ミス」で済まされるほど単純ではない。それは、冷戦後の地域紛争や破綻国家に対して国際社会がどうかかわっていくかという、未解決の難問を常に棚上げにしてきたことの、つけだと考えるべきだろう。

中東・南アジア地域が、「グレート・ゲーム」の時代から、英仏露など西欧列強の植民地化のターゲットになってきたことは、周知の事実である。だが、米国がこの地域に本格的に関与するのは、冷戦構造のもとでだ。1950年代にはCENTO(中央条約機構)がソ連と国境を接するトルコ、イラン、パキスタンで結成されたが、イラン革命で崩壊した。イラン革命と同年にソ連のアフガニスタン侵攻が起き、この地域が冷戦のホットスポットになりかけたわけだが、冷戦下での米国の政策は、あくまでも「現状維持」だった。アフガニスタンに親ソ政権が成立しても、そこに直接介入してアフガニスタンの国家建設を行おうという発想は、なかった。だからこそ、ビン・ラーディンをはじめとするアフガン・アラブが、抗ソ・ゲリラに起用されて代理戦争を展開したのである。

だが、冷戦が終結すると、一強と化した米国が「現状維持」以上の行動をとる機会と可能性を阻むものは、なくなった。ちょうど国際社会全体が、「人道的介入」の可能性を夢見ていた時期である。1990年代のソマリア、ボスニア、コソボなどへの介入で、米軍は主導的役割を果たした。

ここで問題になるのが、冷戦時代からの「現状維持」の姿勢、さらにさかのぼってはモンロー主義に代表される米国の孤立主義と、国際的な人道的軍事活動への積極的な参加の矛盾である。冷戦期において米国が他国に軍事介入するのは、グレナダやパナマのように、基本的には米政権にとって都合の悪い政権を取り除くための行動であって、その後の国家建設にはかかわってこなかった。だが、冷戦後、「人道的」と冠する軍事活動に関与するなかで、米国は軍事介入のあとの平和構築行動にも否応なく関わらざるを得なくなる。

2003年からカナダ政府の政策顧問を務めてきたオタワ大学の紛争・平和学の専門家、ローランド・パリスは、ティモシー・スィスクとの共著で、「平和構築には国家建設の要素が不可欠である」と主張しているが、人道的介入行動のなかで、紛争で疲弊し破綻した国家を建て直す、あるいは国家制度を支える社会基盤を整えるとなると、それ相応のコストと労力を払わなければならない。そのことは当然介入側には大きな負担であり、それを嫌って米政権は徐々にコスト削減の方向に進んでいった。9.11後のアフガニスタン攻撃とその後の復興支援は、まさにその文脈で行われたものであり、そこに投入されたコストは、他の軍事介入事例と比較して圧倒的に少なかった。米シンクタンクのランド研究所がアフガニスタン戦争から2年後に発表した報告書「国家建設における米国の役割」は、人口比でみた米軍駐留人数を比較し、コソボ、ボスニアには多くの兵員を投入しているが、アフガニスタンは当初からわずかな兵員しか投入しておらず、資金投入レベルもコソボでの資金投入の25分の1でしかなかった、と指摘している。

そのため米国は、国際機関や日本など同盟国に、紛争後の国家建設への関与を仰いだ(朱は管理人)ブッシュ政権に始まり、歴代の米政権は繰り返し、「米軍がアフガニスタンで行っているのは国家建設ではない」と言い続け、それは国際機関の仕事、と責任転嫁した。だが、結局はボロボロのアフガニスタン政権を支え、国家建設に携わらざるを得ない。その無計画さ、中途半端さが、上述したSIGARの報告書の「責任の所在がバラバラ」との批判につながり、「漏斗に大量の水を流し込んでいるようなものだ」と嘆くUSAIDの元幹部の発言につながる。

国際社会の怠慢

問題は無責任体制だけではない。アフガニスタン復興が数々の国際機関をはじめ多くのドナーからの資金供与によって賄われていることで、援助計画自体もバラバラになった。ノルウェーのアフガニスタン問題専門家、アストリ・スフルケは、その2012年の著書で、アフガニスタン復興があまりにもマルチナショナルで多様なアクターによって担われているため、不必要に事態が複雑化している、と批判する。各ドナーは、援助の効果や全体での復興計画の位置付けよりも、ドナーに対して説明がつくかどうか、ドナーが喜ぶかどうかで援助案件を選ぶ。膨大な資金が投入されても、それが結局現地社会のためにはなっていない、というのである。

これらのことをどう考えるべきか。米国が、特にバイデン政権がアフガニスタン情勢の処理に失敗したことは、疑いない事実だ。だが、それは、冷戦後各地で発生した国家破綻や非人道的政策の横行に対して、国際社会が何かするべきという声に対して、冷戦終結から30年を経てもなお、有効な方法を見いだせていないことに問題の根源がある。一強だった米国に任せても無理だということは、すでにブッシュ政権末期から明らかだったし、肝心の米国が完全に逃げ腰だった。だが、大国の軍事力に代わる有効な人道的介入の方策は、模索されないまま放置されたか、模索されても失敗に終わった。

2011年、「アラブの春」でリビアのカダフィ政権が倒れたとき、NATOやEU、アラブ連盟の間で生まれた協調関係は、一瞬ながらも「保護する責任」に基づく「介入」が成功するかとの期待を生んだ。だがそのリビアも含め、「アラブの春」での介入事例はいずれも、悲惨な結末をたどっている。2010年代後半に参加した国際学会では、「人道的介入」を巡る研究報告のいずれもが、悲観的で将来の展望もない、暗い議論に終始していた。どうしたら大国の軍事力に依存せずに人間の安全保障を確保するか、といった議論は、すっかり勢いを失い、途絶えてしまったように見える。

9.11とアフガニスタン戦争から20年を経て、何を悔やむべきかといえば、この点である。大国に、帝国主義時代の「ノブリス・オブリージュ(高貴たるものの義務)」を求めても意味がない。真剣に進めるべきは、大国の力や知識や善行に頼ったり期待したりしなくてもよい、人々の生活を守る国際システムを追求することではないか。そのことを20年間怠ってきたことが、猛省される。


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