とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

高田の馬場にて

2007年06月29日 08時54分18秒 | 私のこと(日記)
 昨日は、電車に乗って東京をかなり走り回った。

キチガイのように走り回る地下鉄。外人には悪名高い、ひんぱんな車内放送が相変わらず流れていた。

 「電車が入ってまいります。危険ですから白線の外に出ないで下さい」
 「次は、○○駅です。××線にお乗換えの方は、次の駅でお乗換え下さい」
 「優先席付近では、携帯のスイッチをお切りください」
 「○○線の信号の故障のため、ただいまこの電車は、もうしわけありませんが5分遅れの運転をしております」

 大人なのだから、そんなことまで言わなくとも一人で判断できる。まるで大人を子ども扱いにしているというのが、フランス人どもの言い分だ。

 つまり、よけいなお世話だと感じるのだろう?
 あらためて、東京の人口の多さを感じる。このくらいキチガイのように電車を走らせないと、種々の予定を抱えた忙しがる人々を運びきれない。

 電車に乗っている人びとの、ばらばらな表情。

 病院をお辞めになるお世話になった先生にお礼を申し上げてくるが、今まで抱えていた患者さんを、別の病院へ紹介状を書くのが忙しいらしく、どこか上の空。父母のことで相談にのっていただいて、心から感謝しておりますと、必死に申し上げるが、耳には届かないという感触。私には、紹介状は不要なので、ただサヨウナラだけだった。

 どこか拍子抜けして、病院を去ってきた。今度は水戸の病院へ勤めを替えるとおっしゃっていた。

 先生の胸中は、まったく推し量れないが、漠然と空しさを感じた。

 この空しさは、なんだろうか?

 高田の馬場にて、疲れ喫茶店に入った。

 ここでも、駅付近は人がわんさかで、表情はばらばら。

 前から感じていたが、東京はおそろしく多様な村が重なった大きな村に感じる。
 表情が、ばらばらなのは、それぞれ所属している村がちがうせいだろうか?

 高田の馬場の喫茶店にひとたび入ると、あちこちにあるアメリカ系のファーストフード店とはちがう系統の日本のチェーン店なので、ゆったりと広く、静かでほっとした空間だった。
 
 疲れ果て、どっと優雅なソファーに陣取る。
 ぼーっとして。

 犬も歩けば棒にあたるではないけれど、もっと街を実際に見て歩かなければダメだと感じる。部屋に閉じこもり、本を読んだり、ネットサーフィンをしているだけでは、ただ観念の空回りに過ぎないとひしひしと思った。

 閉じこもって、じっと一人で考えることも大事。街を歩き回ることも大事。そして、どこかの村に所属しないと、本当の顔を人は見せてくれない。建前と本音の使い分けは、相変わらずだ。ネットでのコミュニュケーションには、限界があることも確かだ。

 「バンビ」やアンデルセンに、まだ集中できない。
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