元農林事務次官の父親による子供への殺人事件で、東京地裁は、父親に対して懲役6年の判決を下した。この事件についてはかなり世間は同情的だ。44歳にもなる子供の父親に対しての暴力に父親は耐えきれなかった。父親は誰にも相談せずに犯行に及んだ。なぜ、相談しないのか、かっこうが悪かったのか、世間体を気にしたのかもしれない。事務次官という経歴が人への相談を拒ませた理由かもしれない。エリート人生を歩んだ人間とはいえ、家庭内のもめ事には、その能力を発揮できなかったようだ。暴力的な人間との同居には、細心の注意を要する。事件が起きるまで息子は一人暮らしをしていたのだ。働いていたのではないから父親からの仕送りで生活していたのだろう。ひとりで生活できるのだから同居する事はなかったのだ。ひきこもりの無職人間なんて日本には100万人はいる。珍しい事ではない。エリート街道をまっすぐ歩いてきた父親にとっては、なにもせず一日ゲームで過ごす息子の生活ぶりを理解できなかったのかもしれない。父親は経済的には恵まれた生活をしていたのだ。同居せず経済的支援をしていれば良かったのだ。仕事をしろだとか、あれやかれや干渉しなければ良かったのだ。日本中に似たような家庭が多くあるのだ。日本人は草食化して、羊のようにおとなしい人間だけになったように思われてるが、実は暴力的事件が頻発している。家庭内暴力であり、あおり運転であり、子供への虐待であり、パワハラ、セクハラ、いじめ、暴力の蔓延国家なのだ。私的暴力は蔓延しているが、暴動などの公的、政治的暴力は、ほとんど起きてない。今の日本人の精神風土を象徴している。暴力の質が女性的であり、卑劣なのだ。文句あれば外に出て堂々とやれと、言うような男らしい人間が今の日本にはいないのだ。腐ったような暴力事件ばかりが頻発してるのだ。明日は我が身なのだ。暴力被害者になる可能性は誰でもあるのだ。いや、加害者になる可能性もあるのだ。人間は元々暴力的存在だ。人間の本質はキリスト教的に言えば悪と罪だ。誰でも暴力の芽を内在している。法や道徳、宗教が暴力を抑制しているのだ。もし、それらがなければ人間界は血の嵐が吹き荒れるだろう。そして、人間ははるか昔に絶滅していただろう。家庭内暴力で悩んでる人はまず相談したほうがいい。専門家のアドバイスを受ける事だ。解決の一歩だ。