狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

我々という存在を規定するのは、我々が持つ可能性ではなく我々が持つ不可能性である。

2016年01月27日 18時10分04秒 | 謝罪、言い訳、訂正の日記



 本日1月27日は、アリー・イブン・アビー=ターリブの死去によりイスラム教正統カリフが終焉した日で、南宋の武将・岳飛が宰相・秦檜により謀殺された日で、羽柴秀吉が太政大臣に任じられた日で、コペルニクスの地動説を擁護したジョルダーノ・ブルーノがローマの異端審問所に引き渡された日で、チェロキー族インディアンに対する強制移住措置が取られた日で、鳥羽・伏見の戦いが行われた日で、蝦夷共和国が発足した日で、アメリカ合衆国海兵隊がハイチを占領した日で、ジョン・ロジー・ベアードが初めてテレビジョンによる視覚電信を実演した日で、太平輪沈没事故があった日で、ジョン・フォスター・ダレス米国務長官が対共産圏軍事対決を主張する「巻き返し政策」の演説を行った日で、葉山御用邸放火事件があった日です。

 本日も倉敷は晴れのち曇りでありましたよ。
 最高気温は十一度。最低気温は一度でありました。
 明日も予報では倉敷は曇りとなっております。






 わたくしといふ現象はある人間の脳内有機交流電燈の一つの青白い照明です(ある人間の脳内電気信号が生み出したキャラクター)。
 ある人間の脳内に居るたくさんのキャラクター達と一緒に忙しく点滅しながら如何にも確かに灯り続ける因果交流電燈の一つの青白い照明です(光は保たれよう、その電燈は失われても)。
 これらは過去と感ずる方向から電脳世界を通じて(全てわたくしと点滅しみんなが同時に感ずるもの)ここまで保ちちつゞけられた影と光のひとくさりづつそのとほりの心象スケツチです。
 これらについて読者諸賢はそれぞれ新鮮な本体論も考へませうがそれらも畢竟こゝろのひとつの風物です。
 たゞ確かに記録されたこれらの景色は記録されたそのとほりのこの景色で、それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで、ある程度まではみんなに共通いたします(全てがわたくしの中のみんなであるやうにみんなのおのおののなかの全てですから)。

 けれどもこれら電脳世界の巨大に明るい時間の集積の中で、これらの言葉が僅かその一点にも均しい明暗の内に(或いは修羅の十億年)既に早くもその組立や質を変じ、しかもわたくしもそれが変わってしまうとして感ずることは傾向としてはあり得ます。
 けだし我々が我々の感官や風景や人物を感ずるやうに、そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに、記録や歴史或いは地史といふものもそれのいろいろの論料データと一緒に(因果の時空的制約の基に)我々が感じてゐるのに過ぎません。
 恐らく電脳世界を通じて描かれた現象は、それ相当の違つた印象が流用され相当した証拠もなく、みんなはわたくし・狐という人物が現実世界に居ると思はれるかもしれません。

 全てこれらの命題は心象や時間それ自身の性質として仮想の中で主張されているのです。


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『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』

2016年01月27日 12時09分30秒 | 映画・ドラマに関する日記



 昨日の夜は、アニメーション映画『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』のDVDを観ていました。

 時は文化文政。場所はお江戸。
 下町の長屋で暮らす絵師の鉄蔵・葛飾北斎は人気も名声もあるが自由気まま。偏屈で奇矯で好奇心旺盛。二女のお栄と居候の善次郎と暮らしている。
 お栄は絵師としての実力があって北斎の絵の手伝いをしたり代筆したりしている。きっぷは良いが容姿は顎長で地黒で器量良しではない。お年頃なのでそれを密かに悩んでいたりする。
 居候の善次郎は元・武士で女好きで駆け出しの絵師。お栄からへた善と呼ばれたりする。
 そんな彼らのもとに歌川門下で若年ながら頭角を現す国直も出入りするようになる。

 原作は杉浦日向子の傑作漫画『百日紅』です。


 葛飾北斎55歳、葛飾応為23歳の頃のお話。
 活気に満ちていてでも死は間近に存在していて摩訶不思議なことと密着している江戸の庶民の生活を北斎やお栄を通して描いています。
 原作のどの部分を描くのかと思っていたのですが、「おぉ。なるほど。そこを強調してきたのか」と楽しめました。

 面白かったですよ。
 超お勧めです。

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重要なのは日ごとに技量を減らすことを心掛けることだ。実質に関係ない技量はどんどん捨てろ。

2016年01月27日 10時37分46秒 | サッカーに関する日記






 昨日の夜は、リオデジャネイロ五輪男子サッカー最終予選兼U-23アジア選手権・日本対イラクの試合をTV観戦していました。

 予選でのオリンピック代表の試合をいくつか観たのですが、そこで思ったのは、このチームは予選と本大会とで戦い方やメンタリティーがそれほど変わらなチームになるのだろうなぁ、ってこと。
 今までの日本代表やオリンピック代表は、予選の時の戦い方やメンタリティーを本大会では大きく変えなければならなかったケースが多いのです。
 しかし、今回のオリンピック代表の戦い方やどのようなメンタリティで試合に臨むかといったところは予選と本大会でほとんど変わることがないと思うのです。
 マイナーチェンジやブラッシュアップはあるだろうけれども、予選の経験がそのまま本大会でも利用できる。珍しいケースとなるのではないかと思うのです。
 勿論、本大会の結果がどうなるかは分かりません。
 でも勝ち方の意思統一はなされています。
 粘り強く辛抱して少ないチャンスを決めて勝つ。リアリズムが浸透しています。
 本大会用の戦い方を予選でも余儀なくされたとも言えますが、現時点で勝ち方の意思統一が出来ている点は興味深いです。

 本大会までは、粘り強く辛抱して少ないチャンスを決めて勝つ、という戦い方が大前提で戦術をブラッシュアップすることになりますね。
 本大会が楽しみです。

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