本日6月20日は、アッティラ率いるフン族と西欧諸民族連合軍の会戦があった日で、宇治平等院の戦いで源頼政と以仁王が敗死した日で、新田義貞が上野国で北条氏討伐の旗揚げした日で、徳川家康が諸大名に二条城造営を命じた日で、大坂・竹本座で近松門左衛門作の人形浄瑠璃『曽根崎心中』が初演された日で、フランスで第三身分議員らが議事堂内のテニスコートで憲法制定までの不解散を誓った日で、ルイ16世一家がオーストリアへの逃亡を企てた日で、スウェーデン貴族・フェルセンが民衆により惨殺された日で、ルーマニアの首相ラスカル・カタルジュが暗殺された日で、日本・アメリカ合衆国・イギリスの3か国によるジュネーブ海軍軍縮会議が始まった日で、ハーバート・フーヴァー米大統領がドイツの第一次大戦賠償金の支払いを1年間猶予することを宣言した日で、米ソ間にホットラインを開設する協定が調印された日で、東京大学の法学部以外の9学部の学生が一斉に1日ストライキを行った日で、牛肉・オレンジ輸入自由化の日米貿易交渉で1991年からの輸入枠撤廃が決定した日で、火星のトロヤ群で始めて小惑星が発見された日で、ドイツ連邦議会が首都をボンからベルリンに戻すことを決定した日で、福岡一家4人殺害事件が発生した日です。
本日の倉敷は晴れのち曇りでありましたよ。
最高気温は二十九度。最低気温は二十一度でありました。
明日は予報では倉敷は曇りのち晴れとなっております。
先日。友人宅で遊んでいた時のこと。
友人夫婦と友人のぼんくらなDNAを1/2引き継いでしまったにも関わらず良い子に育っているらしい小さき者と一緒に寛いでいたのです。
その最中に、友人のぼんくらなDNAを1/2引き継いでしまったにも関わらず良い子に育っているらしい小さき者が私に尋ねました。「なんで〇〇(←私の本名)はおかやまべんをしゃべらないの?」
お子様の質問には正確に答えなければなりません。
私は、かつて岡山を離れていた時があるのです。その時に自然に出てしまった岡山弁を嗤われたことがあるのです。嗤った人は侮蔑の意味はなかったのでしょう。でも私はトラウマになってしまったのです。そしてその時に居た場所は兵庫と大阪と名古屋と京都と岐阜の言葉が入り混じる場所だったので影響を受けてしまい私は岡山弁を喋ることが出来なくなってしまったのです。
「ふうん? よくわかんない」
むむむ。分かりませんか?
「わかんない」
岡山弁を聞き取ることは出来るのですが岡山弁の発音が怪しくなっていて岡山弁で上手く喋ることが出来なくなっているのです。
「しゃべってみて」
はい?
「おかやまべんでしゃべってみて?」
お子様にリクエストされたからにはやらねばなりません。
私は岡山弁で喋ってみました。
友人と友人の旦那様と友人のぼんくらなDNAを1/2引き継いでしまったにも関わらず良い子に育っているらしい小さき者はきょとんとした顔をしていました。
嗚呼。私は倉敷で育って倉敷にいるのに岡山弁を喋ることが出来ない駄目な奴だ。
何だか哀しくなってしまいました。
哀しくなって蹲ってしまった私を見たお子様は「おかあさん。〇〇がうずくまってるよ?」と友人に言いました。
友人はお子様に「面白いでしょう。落ち込むと人はそんな格好になるのよ。よく見ておきなさい」と言っていました。
小さきお子よ。よおく見るのだ。
郷里の言葉を喋ることが出来なくなって落ち込んで体育座りで蹲っている哀れな者が取る姿をよおく見ておくのだ。
君は生まれ故郷の言葉を忘れるでないぞ。
生まれ故郷の言葉を忘れたらきっと落ち込むぞ。
落ち込んだらきっと君もこのような惨めな姿で蹲ることになるのだ。
だから君は生まれ故郷の言葉を忘れるでないぞ。
お子様はきゃっきゃと笑いながら私を見ていました。
友人の旦那殿は私の姿を見ておろおろしていました。
友人は悠然と口元に笑みを浮かべて日本酒を飲んでおりました。
友人は旦那様と仲が良くDNAを1/2引き継いだ小さき者もいて幸せそうです。
仲良きことは美しき哉。
何よりでございます。