自分が安倍元首相を長年批判してきたのは、日本の平和や人権や民主主義を守りたい気持ちからであり、それはつまり反戦や反暴力の気持ちからくるものでした。
暴力では何も解決しない、いかなる理由があろうと相手が誰であろうとテロや暴力や殺人は決して許されない、当たり前のことです。
7/8(金)、安倍晋三さんの命を奪った理不尽で最低の暴力に対して、強い怒りと悲しみを覚えます。
僕が安倍晋三さんに望んでいたのは決してこんな結末ではなく、政治家として法に基づき適切に責任を取っていただくことであり、その未来の可能性を永遠に奪われてしまったあまりにも不幸な最期に、自分なりに哀悼の意を表します。
そしてもうこれ以上、暴力によって人の命や日本の平和や民主主義が脅かされるようなことは決してあってはならない。
どうかこれ以上、日本が最悪の方向に向かわないことを強く願います。
大切なのは安倍晋三さんを悲劇の英雄のように美化したり過度に持ち上げたりすることではなく、二度とこのような事件が起こらないように一人一人が反暴力の気持ちを強く持つこと、そしてまだ行っていない人は、明日7/10(日)に行われる参議院選挙の投票に忘れずに行って日本の平和を願う気持ちを示すことだと思います。
不確かな情報に踊らされたり、一時の感情に流されたりすることなく、冷静に自分が正しいと思う選択をすること。
ちなみに、僕はもう期日前投票に行ってきたので、その時の気持ちはここに書きました。安倍元首相が殺害される前に書いた記事ですが、投票の大切さを伝えたい気持ちは変わっていません。
「参議院選挙の期日前投票に行ってきました!」
この言い方が正しいか分かりませんが、亡くなった方に対してできることは何もないとしても、平和を願い日本の政治のために行動することが、政治家だった方へのせめてもの追悼となるのではないでしょうか。
そして、間違っても憶測だけで「~~のせいで死んだ」などと吹聴したり、関係ない人やただ自分が憎いだけの人を叩くことに人の死を利用したりするのは、憎しみの連鎖を生むだけではっきり言って最低なので、絶対にするべきではないと思います。
本当はあまりネガティブなことは言いたくありませんが、安倍元首相が殺害された7/8(金)、一日だけで数えきれないほどのデマやヘイト、人の死を利用して気に入らない人を叩くような「許せない発言」を見ました。
が、どんなに許せなくてもSNSなどでそういう人達に絡んだりすることは僕はしません、多分何も生まないので。
ただ、たとえ心の中だけでも批判の気持ちを持つことは決して忘れない。
そしてどんなに無力であっても、自分の言葉や行動で差別や暴力や分断に抵抗し、これからも自分なりに平和を願っていきます。
抵抗することと、人に下手に絡んで煽らないようにすること。
声を上げることをやめないことと、言葉や時と場所を選ぶこと。
どちらも大切だと思いますが、常に適切に判断し続けることは本当に難しい。
自分もちゃんとそれが出来ている自信はまったくありませんが、でも、こういうことをこれからもずっと考え続けていくと思います。
ふと思い出したのですが、自分は中学でいじめられていた時、担任に相談して学級会を開いてもらい、空気を読まずに一人でいじめを批判して、実際いじめられなくなったことがあります。
暴力ではなく言葉での抵抗や話し合いでの問題解決を望む自分は、今思えばあの時から始まったのかもしれません。
ありがとう、あの時の山賀先生!
というわけで、人を傷付けるためではなく、思いやりや優しさを持って生きていきます。
自分がそう思えば、自分一人分だけでも世界は平和に近付くと考えることにします。
平和とは一人一人の、毎日の小さな積み重ねだと思います。
暴力では何も解決しない、いかなる理由があろうと相手が誰であろうとテロや暴力や殺人は決して許されない、当たり前のことです。
7/8(金)、安倍晋三さんの命を奪った理不尽で最低の暴力に対して、強い怒りと悲しみを覚えます。
僕が安倍晋三さんに望んでいたのは決してこんな結末ではなく、政治家として法に基づき適切に責任を取っていただくことであり、その未来の可能性を永遠に奪われてしまったあまりにも不幸な最期に、自分なりに哀悼の意を表します。
そしてもうこれ以上、暴力によって人の命や日本の平和や民主主義が脅かされるようなことは決してあってはならない。
どうかこれ以上、日本が最悪の方向に向かわないことを強く願います。
大切なのは安倍晋三さんを悲劇の英雄のように美化したり過度に持ち上げたりすることではなく、二度とこのような事件が起こらないように一人一人が反暴力の気持ちを強く持つこと、そしてまだ行っていない人は、明日7/10(日)に行われる参議院選挙の投票に忘れずに行って日本の平和を願う気持ちを示すことだと思います。
不確かな情報に踊らされたり、一時の感情に流されたりすることなく、冷静に自分が正しいと思う選択をすること。
ちなみに、僕はもう期日前投票に行ってきたので、その時の気持ちはここに書きました。安倍元首相が殺害される前に書いた記事ですが、投票の大切さを伝えたい気持ちは変わっていません。
「参議院選挙の期日前投票に行ってきました!」
この言い方が正しいか分かりませんが、亡くなった方に対してできることは何もないとしても、平和を願い日本の政治のために行動することが、政治家だった方へのせめてもの追悼となるのではないでしょうか。
そして、間違っても憶測だけで「~~のせいで死んだ」などと吹聴したり、関係ない人やただ自分が憎いだけの人を叩くことに人の死を利用したりするのは、憎しみの連鎖を生むだけではっきり言って最低なので、絶対にするべきではないと思います。
本当はあまりネガティブなことは言いたくありませんが、安倍元首相が殺害された7/8(金)、一日だけで数えきれないほどのデマやヘイト、人の死を利用して気に入らない人を叩くような「許せない発言」を見ました。
が、どんなに許せなくてもSNSなどでそういう人達に絡んだりすることは僕はしません、多分何も生まないので。
ただ、たとえ心の中だけでも批判の気持ちを持つことは決して忘れない。
そしてどんなに無力であっても、自分の言葉や行動で差別や暴力や分断に抵抗し、これからも自分なりに平和を願っていきます。
抵抗することと、人に下手に絡んで煽らないようにすること。
声を上げることをやめないことと、言葉や時と場所を選ぶこと。
どちらも大切だと思いますが、常に適切に判断し続けることは本当に難しい。
自分もちゃんとそれが出来ている自信はまったくありませんが、でも、こういうことをこれからもずっと考え続けていくと思います。
ふと思い出したのですが、自分は中学でいじめられていた時、担任に相談して学級会を開いてもらい、空気を読まずに一人でいじめを批判して、実際いじめられなくなったことがあります。
暴力ではなく言葉での抵抗や話し合いでの問題解決を望む自分は、今思えばあの時から始まったのかもしれません。
ありがとう、あの時の山賀先生!
というわけで、人を傷付けるためではなく、思いやりや優しさを持って生きていきます。
自分がそう思えば、自分一人分だけでも世界は平和に近付くと考えることにします。
平和とは一人一人の、毎日の小さな積み重ねだと思います。