節分の話。
先週の金曜日、2/3は節分でした。
まあ、何事もなく過ぎました。
・・・そう、何事もなく過ぎてしまったのです。
何も事件が起きない節分なんて、今までの自分では考えられなかったことです。
それほどまでに、僕にとって節分というものの存在は大きくなっていたことに、今更気付かされます。
いつの間にかあることが当たり前になっていた節分という存在。
幸せすぎると気付かない、自分にとっての節分の意味。
気付くのはいつも、なくなった時なのである・・・
・・・なんて感傷に浸ってみましたけど、いざ普通の節分を迎えてみれば、ああ、これが普通なんだなって思うばかりです。
別に特別な感情が生じることもなく、立春を迎えるのみです。
こんな自分を去年の自分が見たら、カッコ悪いって笑うだろうか・・・
いつか、今こうして考えたことさえも全て過去のものとなり、記憶の片隅へと消えてしまうのだろうか・・・
「待てよ!」
えっ?
「お前、それでいいのかよ?」
君は、一体・・・?
「俺はそんなつまらねえ大人にはならねえよ!」
君はまさか、あの日の僕なのか・・・?
「絶対・・・絶対忘れんなよ!!」
待って!僕は君に聞きたいことがまだ・・・
気付くと、部屋は暗くなっていました。
うっかり寝ていたみたいでした。
それにしても今の夢・・・
ふとカレンダーを見ると今日は2月3日・・・そうか、節分だからこんな夢を見たんだな・・・
あの頃、まだ夢もやりたいことも何も分かっていなかった僕らは、ひたすら節分に夢中だった。
何も考えず、ただ、がむしゃらに豆をまいた。
全ては2008年から始まったことでした。
ことの発端はMちゃんでした。
Mちゃんの呼びかけで農学部の友人達と、同じ学科の友人達の家を次々と回っては、ただひたすらに豆をまき続けたのでした。
そしてついにはK氏の家へと忍び込み、同棲中のヨメに豆を投げ付け、YO☆那覇が半裸にされた2008年。
それからというもの、節分は僕らの伝統行事になりました。
同じようにK氏の家へと忍び込み、YO☆那覇が全裸にされた2009年。
その日の思い出はこちら。
「春が来る前に。」
その翌年、卒業した俺とYO☆那覇が、わざわざ節分のために再び伊那に集結。
卒業したからと油断していた大学院に進学した友人宅に、次々と豆をまいて行った2010年。
その日の思い出はこちら。
「こんなに嬉しいことは無い。」
そしてさらにその翌年、YO☆那覇が仕事が忙しくて節分に来られなくなってしまったけれど、僕は一人で豆をまきに行きました。
「大豆はほっとけば蒸発する」とシャックの迷言が・・・そんな2011年。
その日の思い出はこちら。
「闘いの中で咲いた、一輪の花よ」
あらためて、自分にとって節分は特別な日だったんだと、気付かされました。
そして、それは僕だけでは無かった。
そもそも節分のイベント発案者である、○ちゃんは今年、こう語っていました。
Mちゃん「突然小芝居からの豆散布がありそうでそわそわするようなしないような そう、僕らには確かに節分に全力だった」
また、毎年節分の日に、俺とYO☆那覇の被害に遭っている美女・通称ヨメは、
ヨメ「そういえば、もう過ぎちゃったけど…今年の節分はなんだか物足りないな~と感じていましたが、あの2人が来なかったからだとさっき気づいた私。節分があんなに恐ろしい&心温まる行事だと知ったのはいつだっただろう…」
そして、共に豆をまいた仲であるYO☆那覇は・・・
YO☆那覇「オレが無職ならケーサツからの説教覚悟で駅前での豆まきだって出来たはずなのに…。オトナになってしまった感じだわ。」
そう、YO☆那覇はちゃんと分かっていたのだ・・・
いずれ人はみな大人になるというこの現実に・・・
でも・・・この胸に残る切なさは何だろう。
やっぱり俺・・・もう一度みんなと節分やりてえよ!!
YO☆那覇はどんな気持ちでいるのだろうか。
そう思って、連絡を取ってみました。
俺「YO☆那覇、今年は節分で何も出来なかったけど、どうしてた?」
YO☆那覇「本当は俺・・・
新宿で鬼の格好して立ってようかと思ったんだけど」
おいっ!!それはマズイだろ!!
ただでさえゲイにナンパされるような男なんだから(実話です)、新宿でそんな肌を露出させていたらマジでヤバイぞ!!
それどころか、普通に捕まるぞ!!
前言撤回、今年の節分、中止しといて正解だわ!!
何はともあれ、皆さんにも、それぞれに幸せな“春”が訪れますように・・・
先週の金曜日、2/3は節分でした。
まあ、何事もなく過ぎました。
・・・そう、何事もなく過ぎてしまったのです。
何も事件が起きない節分なんて、今までの自分では考えられなかったことです。
それほどまでに、僕にとって節分というものの存在は大きくなっていたことに、今更気付かされます。
いつの間にかあることが当たり前になっていた節分という存在。
幸せすぎると気付かない、自分にとっての節分の意味。
気付くのはいつも、なくなった時なのである・・・
・・・なんて感傷に浸ってみましたけど、いざ普通の節分を迎えてみれば、ああ、これが普通なんだなって思うばかりです。
別に特別な感情が生じることもなく、立春を迎えるのみです。
こんな自分を去年の自分が見たら、カッコ悪いって笑うだろうか・・・
いつか、今こうして考えたことさえも全て過去のものとなり、記憶の片隅へと消えてしまうのだろうか・・・
「待てよ!」
えっ?
「お前、それでいいのかよ?」
君は、一体・・・?
「俺はそんなつまらねえ大人にはならねえよ!」
君はまさか、あの日の僕なのか・・・?
「絶対・・・絶対忘れんなよ!!」
待って!僕は君に聞きたいことがまだ・・・
気付くと、部屋は暗くなっていました。
うっかり寝ていたみたいでした。
それにしても今の夢・・・
ふとカレンダーを見ると今日は2月3日・・・そうか、節分だからこんな夢を見たんだな・・・
あの頃、まだ夢もやりたいことも何も分かっていなかった僕らは、ひたすら節分に夢中だった。
何も考えず、ただ、がむしゃらに豆をまいた。
全ては2008年から始まったことでした。
ことの発端はMちゃんでした。
Mちゃんの呼びかけで農学部の友人達と、同じ学科の友人達の家を次々と回っては、ただひたすらに豆をまき続けたのでした。
そしてついにはK氏の家へと忍び込み、同棲中のヨメに豆を投げ付け、YO☆那覇が半裸にされた2008年。
それからというもの、節分は僕らの伝統行事になりました。
同じようにK氏の家へと忍び込み、YO☆那覇が全裸にされた2009年。
その日の思い出はこちら。
「春が来る前に。」
その翌年、卒業した俺とYO☆那覇が、わざわざ節分のために再び伊那に集結。
卒業したからと油断していた大学院に進学した友人宅に、次々と豆をまいて行った2010年。
その日の思い出はこちら。
「こんなに嬉しいことは無い。」
そしてさらにその翌年、YO☆那覇が仕事が忙しくて節分に来られなくなってしまったけれど、僕は一人で豆をまきに行きました。
「大豆はほっとけば蒸発する」とシャックの迷言が・・・そんな2011年。
その日の思い出はこちら。
「闘いの中で咲いた、一輪の花よ」
あらためて、自分にとって節分は特別な日だったんだと、気付かされました。
そして、それは僕だけでは無かった。
そもそも節分のイベント発案者である、○ちゃんは今年、こう語っていました。
Mちゃん「突然小芝居からの豆散布がありそうでそわそわするようなしないような そう、僕らには確かに節分に全力だった」
また、毎年節分の日に、俺とYO☆那覇の被害に遭っている美女・通称ヨメは、
ヨメ「そういえば、もう過ぎちゃったけど…今年の節分はなんだか物足りないな~と感じていましたが、あの2人が来なかったからだとさっき気づいた私。節分があんなに恐ろしい&心温まる行事だと知ったのはいつだっただろう…」
そして、共に豆をまいた仲であるYO☆那覇は・・・
YO☆那覇「オレが無職ならケーサツからの説教覚悟で駅前での豆まきだって出来たはずなのに…。オトナになってしまった感じだわ。」
そう、YO☆那覇はちゃんと分かっていたのだ・・・
いずれ人はみな大人になるというこの現実に・・・
でも・・・この胸に残る切なさは何だろう。
やっぱり俺・・・もう一度みんなと節分やりてえよ!!
YO☆那覇はどんな気持ちでいるのだろうか。
そう思って、連絡を取ってみました。
俺「YO☆那覇、今年は節分で何も出来なかったけど、どうしてた?」
YO☆那覇「本当は俺・・・
新宿で鬼の格好して立ってようかと思ったんだけど」
おいっ!!それはマズイだろ!!
ただでさえゲイにナンパされるような男なんだから(実話です)、新宿でそんな肌を露出させていたらマジでヤバイぞ!!
それどころか、普通に捕まるぞ!!
前言撤回、今年の節分、中止しといて正解だわ!!
何はともあれ、皆さんにも、それぞれに幸せな“春”が訪れますように・・・
しかしこのよなは、遭遇したら豆をぶつけたくなるなぁ
基本、俺のブログはフリ→オチという笑いの王道を心掛けているからな。
それにしても、YO☆那覇の肉体美はすごいよな!
いつか、本当に路上節分が実現できるように頑張るぜ!