7月18日(日)曇時々雨
待望のクルージング初日、霧が濃い。
予め言われていたように,下着、シャツ、ズボンなど総て冬用のものを着用する。
根室からの参加者も加わって合計63名となり、改めて乗船の受付を済まして、バスで根室港へ向かう。
私たちの乗る船は日本船籍の『ロサ ルゴサ(Rosa Rugosa ・ハマナス)号』、478トンで思っていたより大きな船だ。この船は元々水産高校の外 洋練習船として建造されたが,何といっても北方四島の訪問船として使用されていることで有名になった。

*
タラップが急なので、スーツケースは船員に任せて船内へ。
個室は2段ベットで、小さなテーブルとソファ、衣装戸棚が2カ所ある。
BG から「船に自信のある方も念のために必ず飲んで下さい」と言われていた〈酔い止めの薬〉を飲む。
全員の乗船が終わると,前方の甲板に集合するようにとのアナウンスがある。
ここで船長の紹介と挨拶,続いて救命用具の着用方法について説明がある。

【ロサルゴサ号ブリッジ】 【クルーズ航海予定図】
*
続いて小城春雄北大名誉教授、万が一のためのロシア語通訳・安木氏、さらに北大大学院生で海鳥に詳しい倉沢康太氏、最後にBGの山本,宮島
石田、金原各氏の紹介と挨拶がある。
この間に船は出港し、早速海鳥の観察が始まる。参加者は思い思いの場所で観察することになる。
海上の鳥の情報は,船首の左舷側に倉沢氏、右舷側には石田氏が監視して、発見した鳥の情報をブリッジにいる宮島氏に無線で通報し,宮島氏か
ら船内放送で参加者に知らせるということになる。

【船首の倉沢氏と石田氏】 [エトピリカ]
*
私は船首付近で観察することにしたが,霧が濃くなったり薄くなったりして、視界が100m前後と悪い状態だ。
霧のため細かい水滴が眼鏡や双眼鏡に付着するので,時折それを拭き取らなければならない。また、衣類が濡れるのでレインウェアを上下とも着
用する。気温も低めなので手袋を着用する。
港を出て暫くは,鳥が出ない。というよりは遠望が効かないので,観察の範囲が狭いのが原因だ。
最初に現われたのは[ウトウ]、それもアナウンスがあってから探すので,あっという間に通り過ぎてしまう。
また、[トウゾクカモメ]とか[ウミガラス]とのアナウンスがあっても、たちまち霧の彼方へと消えてしまうので、確認することはできない。
どうも気象条件が悪すぎる。
波は穏やかだが、時折雨も混じるようになる。

[ウトウ] [トウゾクカモメ] [ウミガラス]
*
船首にいるとまともに風が当たるので,次第に寒さを感じるようになり,また立っているのが苦痛になってきたので,部屋に戻り,セーターを着
て、持参の簡易椅子を持ち出し,船の中程の庇のある場所で観察することにする。
相変わらず海鳥は少なく、何とも空しい時が過ぎて行く。
2度ほど[エトピリカ]の情報があったが、何れも後ろ姿を見た程度で、午前中は全く成果なし!
*
食事は食堂の場所が狭いので2班に分かれて採ることになる。この間船は止まる。
今日の昼食はカレーライス、スープが付いて味もまづまづ。
*
食後は雨も上がったので、再び船首部分で観察することにしたが,相変わらず霧が濃く,遠望が効かないのが何とも残念だ。もちろん北方四島の
島影などは見ることができない。
*
歯舞群島
北方領土と呼ばれる北方四島(択捉・国後・色丹・歯舞)の一つです。
たくさんの島の集まりですが、四島の中の一つとして数えています。
現在は納沙布岬と貝殻島の中間に国境線が敷かれ、ロシアの管理下にあります。日本はロシアに対して返還を求めている地域です。
ハボマイの語源はアイヌ語の「アブ・オマ・イ」で、意味は「流氷のあるところ」とのことです。
明治時代は珸瑤瑁(ごようまい)諸島、大正4年(1915年)に珸瑤瑁村が歯舞村と合併し、その後歯舞諸島となり、現在では日本の行政域では根
室市、ロシアではサハリン州に属しています。
国土地理院は平成20年3月21日、北海道根室市から地名変更の要望を受け、歯舞諸島の名称を歯舞群島へ変更しました。
主な島は北から多楽島、志発島(しぼつとう)、勇留島(ゆりとう)、秋勇留島、水晶島などがあります。
*
午後3時を過ぎる頃,[エトピリカ]の棲息地を通ることになり、ゆっくり観察するため船のスピードを落とす。
なるほど2羽づつのエトピリカが何回か出てくれたが,双眼鏡で追いかけるのが精一杯だった。

*
前回までのクルーズでは、エトビリカが出ると、船を止めて観察したとのことだが、とてもそのような状態にはならない。事前のBGの説明で,
エトビリカをゆっくり観察できた時は,宮島BGの音頭で万歳をすることになっていたが、今回のように初日にできなかったことはなかったとい
う。
それにしても念願の鳥にやっと会えたということではあったが、じっくりとは観られなかったので、何とも物足りない気分だった。
[エトピリカ]Lunda cirrhata L39cm
大形のウミスズメ。体は黒く、夏羽では額、目の周囲が白く、目の上から黄白色の房状の飾り羽が垂れている。
嘴は縦に平たくて赤と黄緑色。足は赤い。
冬羽では顔の白色部は小さくなり、飾り羽はなくなる。
小刻みな翼動で海上を高く直線的に飛び、白い顔と赤い足が目立つ。 【日本の野鳥】より
体重750gほどで、ハトよりも大きい。
エトピリカとはアイヌ語で「くちばし(etu)が美しい(pirka)」という意味で、名のとおり橙色の大きな嘴をもつ。
頭部が鮮やかに彩られる様から「花魁鳥」(おいらんちょう)という別名もある。
外見はツノメドリに似るが 腹まで黒いことと夏羽の飾り羽で区別する。
*
夕方になると一段と気温が低くなる。
この頃からやっと[フルマカモメ]を主体とする海鳥が多く見られるようになる。
アホウドリ科の[コアホウドリ]や[クロアシアホウドリ]、ミズナギドリ科の[ハイイロミズナギドリ][ハシボソミズナギドリ]、それにウ
ミツバメ科の[ハイイロウミツバメ][コシジロウミツバメ]などなど。

[コアホウドリ](A氏撮影) [クロアシアホウドリ](A氏撮影)

[フルマカモメ] [ハシボソミズナギドリ] [ハイイロミズナギドリ]

[ハイイロウミツバメ] [コシジロウミツバメ]
*
その後もそれなりの海鳥が見られたが、全体的に物足りない感じがする1日だった。
海鳥の種類と数が、霧が濃いためにBGから聞いていたより少なかったことが原因だ。
*
18時から夕食、カレイの唐揚げ、アスパラガスと小エビの煮物,大根と挽き肉の煮物、お新香に味噌汁とそれなりの内容だった。免税の缶ビール
(150円)が評判だった。
この後、船は色丹島沖で停船、波も穏やかで揺れも少なく、ゆっくりと寝ることができた。
*
色丹島
歯舞群島の東にある南北9.5km、東西24kmの島で,高山植物が多く、海岸線も景勝地が多いことから国立公園の候補にも上がった島でした。漁業
が盛んな島でしたが、島内では馬の飼育も行われていました。
明治17年に千島アイヌが強制移住させらせれた歴史があります。
人口は昭和20年次920人でした。
地名はアイヌ語の「シャコタン」で、「サク・コタン」(夏の村)により、島の反対側には「マタコタン」(冬の村)もありました。
7.15.ホテル発(バス) → 7.20.根室港着 … ロサ・ルゴサ号乗船 8.00. → 18.00.色丹島沖で停船
*
7月19日(月)曇時々雨
夜明けが早いので,3時過ぎに起床する。部屋の丸窓から外を見ると,雨が降っている。
今朝も霧が立ちこめて遠望が効かない。
デッキへ出てみると、船の排水口付近に[フルマカモメ]が20羽余り集まっている。残飯を期待しているようだ。そういえば、食事の度に停船す
るが、その際にも海鳥たちが集まってくる。
雨のため,後部甲板の屋根のあるところで観察する。
船の周囲では[ハイイロウミツバメ]や[コシジロウミツバメ]などが飛翔し,ときには[ハイイロヒレアシシギ]も加わる。何故か[コアホウ
ドリ]は、船には近寄ってこない。
[アザラシ]が我々を盗み見するように海上から出たり、潜ったりして遠ざかって行く。
船首で観察中のBGの情報で,[エトピリカ]の幼鳥かもとのことで、駆けつけてみると,[ウトウ]と判明。
*
5時からの朝食は,納豆、焼鮭、フキの煮物、お新香に味噌汁,ご飯という献立。料理長の味付けが良い。
*
食事が終わると、色丹島沖から根室港へ向かって動き出す。今朝も波が穏やかなので,酔い止めの薬は飲まないことにする。
この付近では[フルマカモメ]が圧倒的に多い。船尾で観察していると,船の航跡を辿るようにして、次から次へと飛来する。
肝心の[エトピリカ]は、1度上空を飛び,その後も2度ほど海上に出たが,確認するまでには至らない。
*
雨が小やみになり,霧も大分薄くなって少し遠くまで見えるようになった10時半過ぎ,海流がぶつかる潮目に多数の海鳥たちが集まっている場所
に来る。
[フルマカモメ]に混じって[コアホウドリ]や[クロアシアホウドリ]が多く見られる。

[コアホウドリ] [白色型フルマカモメ] [エトピリカ]
*
船首の監視員からの情報で,その群れの中に[アホウドリ]の成長がいると知らされる。
なるほど他の鳥たちより一段と大きく、ピンク色の嘴が目立つ。
続いて[エトピリカ]が2羽いるので船はここで止まります、とアナウンスがあり、やっとじっくりと観察することになったかと思いきや,何と
続いて若い[アホウドリ]がいるとの情報で、我々はどこを見たら良いのか,船内は大騒ぎになる。
私はエトビリカの場所を探したが分からず、若いアホウドリを見ることにした。

[アホウドリ] [アホウドリ若鳥]
*
その騒ぎも一段落して少し進むと,3羽の[エトピリカ]を発見,船はそれに近づくため急に旋回しながら進む。
「船が傾くので体をしっかり支えて下さい !」とアナウンスされる。
ようやくあの白い顔と赤い嘴,そして黄色の飾羽をじっくりと確認することができた。
*
この間も雨が降ったり止んだりしている。その度に船首に行ったり,船尾に移動したりと落着いて観察ができない
ただ、霧が薄くなって視界が少しづつ広がってきたことが何よりだ。
昼食は,牛丼に味噌汁。
*
昼食後は昨日も通過した[エトピリカ]の棲息地へ向かう。
視界が広がったせいもあってか,船の右に左にと次々に[エトピリカ]が現われるようになる。
船は止まったり、また追いかけたりしてくれる。ようやく満足できる観察ができた。
昨日は霧のため視界が悪く,遠くまで見えなかったため、思うような観察ができなかったことが分かった。
ここで宮島BGの発声で、やっと万歳をすることができた。何れにしてもヤレヤレというところだ。

*
その後も[オオトウゾクカモメ]や「トウゾクカモメ」、「ウミスズメ」や「カンムリウミスズメ」、そして「アカアシミズナギドリ」などがア
ナウンスされたが、その総てを確認することはできなかった。

[オオトウゾクカモメ] [ウミツバメ] [アカアシミズナギドリ]
*
それと前後して[シャチ]が右舷側にいると知らされ,これはハッキリと見ることができた。最大で2mはあるという特徴的な雄の背鰭が何より
の目安だ。
気がつくと船の近くに4頭もいるではないか。しばし船と並走してくれたのがなによりで、良いお土産となってくれた。

[シャチ] [船首付近で観察する人々]
*
その他、時折[ミンククジラ]や「オットセイ」、それに「イシイルカ」などが出て我々を喜ばしてくれた。
*
次第に視界が効くようになってから、気温が一段と下がってきたので、レインウエアの上着をダウンジャケットに取替える。事前説明にあったの
で、用意してきて良かったのだ。
陸地に近くなったせいか[オオセグロカモメ]の飛翔する数がが多くなってきた。
西方の雲が切れ日の光が見えるようになると、海上全体に[ウトウ]や[アカエリヒレアシシギ]と[ハイイロヒレアシシギ]の群れが多数見ら
れるようになる。

[ウトウやヒレアシシギの群れが…] [ようやく雲が切れてきた]
*
やがて船の前方左手に『納沙布岬』が見え、右手には『貝殻島』が見えてくる。

[納沙布岬] [貝殻島]
*
昨日は白濁の世界で何も見えなかったが、今日のように見通しが良ければ、多数の海鳥が見られたに違いない。
残念ながら、こればかりは自然現象、不徳の致す所と諦めざるを得ない。
これで今回のクルーズは、どうにか所期の目的を果たして終了。
*
18時に夕食、トンカツに野菜サラダ,ナスの油炒め、味噌汁、ご飯という献立。
この食事中に根室港に入港。19時に下船して『根室グランドホテル』へ。
4.00.観察開始 → 18.30.根室港着19.00.(バス) → 19.10.根室グランドホテル
*
7月20日(月)晴
朝食はバスの中でお弁当。
皮肉なことに,帰る日になって朝から好天気となる。
車窓右手は根室湾,左はなだらかな牧草地帯が続き,日の光を浴びた景観が素晴らしい。
左手の『温根沼』を過ぎ,右手の『春国岱』では[タンチョウ]2羽が見られる。
往路でも利用した『厚岸道の駅』でトイレ休憩。心地よい風に日差しがちょうど良い。
*
ここで帯広へ向かうAコースの方々と分かれ,我々は釧路空港へと向かう。
途中、3羽の[タンチョウ]が飛翔する姿を見たり,また湿原にいる2羽を見ることができ、このツアーの有終の美を飾ってくれた。

【釧路空港ターミナル前にあるシマフクロウの像】
*
釧路空港からのフライトも満席。
羽田空港に着くと,猛暑日とのことで気温が35℃を越えており,目眩がするほどの暑さとなっていた。
7.30.根室グランドホテル発(バス) → 8.55.厚岸道の駅9.10. → 10.40.釧路空港12.15.(ANA962便)→ 13.55.羽田空港
待望のクルージング初日、霧が濃い。
予め言われていたように,下着、シャツ、ズボンなど総て冬用のものを着用する。
根室からの参加者も加わって合計63名となり、改めて乗船の受付を済まして、バスで根室港へ向かう。
私たちの乗る船は日本船籍の『ロサ ルゴサ(Rosa Rugosa ・ハマナス)号』、478トンで思っていたより大きな船だ。この船は元々水産高校の外 洋練習船として建造されたが,何といっても北方四島の訪問船として使用されていることで有名になった。


*
タラップが急なので、スーツケースは船員に任せて船内へ。
個室は2段ベットで、小さなテーブルとソファ、衣装戸棚が2カ所ある。
BG から「船に自信のある方も念のために必ず飲んで下さい」と言われていた〈酔い止めの薬〉を飲む。
全員の乗船が終わると,前方の甲板に集合するようにとのアナウンスがある。
ここで船長の紹介と挨拶,続いて救命用具の着用方法について説明がある。


【ロサルゴサ号ブリッジ】 【クルーズ航海予定図】
*
続いて小城春雄北大名誉教授、万が一のためのロシア語通訳・安木氏、さらに北大大学院生で海鳥に詳しい倉沢康太氏、最後にBGの山本,宮島
石田、金原各氏の紹介と挨拶がある。
この間に船は出港し、早速海鳥の観察が始まる。参加者は思い思いの場所で観察することになる。
海上の鳥の情報は,船首の左舷側に倉沢氏、右舷側には石田氏が監視して、発見した鳥の情報をブリッジにいる宮島氏に無線で通報し,宮島氏か
ら船内放送で参加者に知らせるということになる。


【船首の倉沢氏と石田氏】 [エトピリカ]
*
私は船首付近で観察することにしたが,霧が濃くなったり薄くなったりして、視界が100m前後と悪い状態だ。
霧のため細かい水滴が眼鏡や双眼鏡に付着するので,時折それを拭き取らなければならない。また、衣類が濡れるのでレインウェアを上下とも着
用する。気温も低めなので手袋を着用する。
港を出て暫くは,鳥が出ない。というよりは遠望が効かないので,観察の範囲が狭いのが原因だ。
最初に現われたのは[ウトウ]、それもアナウンスがあってから探すので,あっという間に通り過ぎてしまう。
また、[トウゾクカモメ]とか[ウミガラス]とのアナウンスがあっても、たちまち霧の彼方へと消えてしまうので、確認することはできない。
どうも気象条件が悪すぎる。
波は穏やかだが、時折雨も混じるようになる。



[ウトウ] [トウゾクカモメ] [ウミガラス]
*
船首にいるとまともに風が当たるので,次第に寒さを感じるようになり,また立っているのが苦痛になってきたので,部屋に戻り,セーターを着
て、持参の簡易椅子を持ち出し,船の中程の庇のある場所で観察することにする。
相変わらず海鳥は少なく、何とも空しい時が過ぎて行く。
2度ほど[エトピリカ]の情報があったが、何れも後ろ姿を見た程度で、午前中は全く成果なし!
*
食事は食堂の場所が狭いので2班に分かれて採ることになる。この間船は止まる。
今日の昼食はカレーライス、スープが付いて味もまづまづ。
*
食後は雨も上がったので、再び船首部分で観察することにしたが,相変わらず霧が濃く,遠望が効かないのが何とも残念だ。もちろん北方四島の
島影などは見ることができない。
*
歯舞群島
北方領土と呼ばれる北方四島(択捉・国後・色丹・歯舞)の一つです。
たくさんの島の集まりですが、四島の中の一つとして数えています。
現在は納沙布岬と貝殻島の中間に国境線が敷かれ、ロシアの管理下にあります。日本はロシアに対して返還を求めている地域です。
ハボマイの語源はアイヌ語の「アブ・オマ・イ」で、意味は「流氷のあるところ」とのことです。
明治時代は珸瑤瑁(ごようまい)諸島、大正4年(1915年)に珸瑤瑁村が歯舞村と合併し、その後歯舞諸島となり、現在では日本の行政域では根
室市、ロシアではサハリン州に属しています。
国土地理院は平成20年3月21日、北海道根室市から地名変更の要望を受け、歯舞諸島の名称を歯舞群島へ変更しました。
主な島は北から多楽島、志発島(しぼつとう)、勇留島(ゆりとう)、秋勇留島、水晶島などがあります。
*
午後3時を過ぎる頃,[エトピリカ]の棲息地を通ることになり、ゆっくり観察するため船のスピードを落とす。
なるほど2羽づつのエトピリカが何回か出てくれたが,双眼鏡で追いかけるのが精一杯だった。



*
前回までのクルーズでは、エトビリカが出ると、船を止めて観察したとのことだが、とてもそのような状態にはならない。事前のBGの説明で,
エトビリカをゆっくり観察できた時は,宮島BGの音頭で万歳をすることになっていたが、今回のように初日にできなかったことはなかったとい
う。
それにしても念願の鳥にやっと会えたということではあったが、じっくりとは観られなかったので、何とも物足りない気分だった。
[エトピリカ]Lunda cirrhata L39cm
大形のウミスズメ。体は黒く、夏羽では額、目の周囲が白く、目の上から黄白色の房状の飾り羽が垂れている。
嘴は縦に平たくて赤と黄緑色。足は赤い。
冬羽では顔の白色部は小さくなり、飾り羽はなくなる。
小刻みな翼動で海上を高く直線的に飛び、白い顔と赤い足が目立つ。 【日本の野鳥】より
体重750gほどで、ハトよりも大きい。
エトピリカとはアイヌ語で「くちばし(etu)が美しい(pirka)」という意味で、名のとおり橙色の大きな嘴をもつ。
頭部が鮮やかに彩られる様から「花魁鳥」(おいらんちょう)という別名もある。
外見はツノメドリに似るが 腹まで黒いことと夏羽の飾り羽で区別する。
*
夕方になると一段と気温が低くなる。
この頃からやっと[フルマカモメ]を主体とする海鳥が多く見られるようになる。
アホウドリ科の[コアホウドリ]や[クロアシアホウドリ]、ミズナギドリ科の[ハイイロミズナギドリ][ハシボソミズナギドリ]、それにウ
ミツバメ科の[ハイイロウミツバメ][コシジロウミツバメ]などなど。


[コアホウドリ](A氏撮影) [クロアシアホウドリ](A氏撮影)



[フルマカモメ] [ハシボソミズナギドリ] [ハイイロミズナギドリ]


[ハイイロウミツバメ] [コシジロウミツバメ]
*
その後もそれなりの海鳥が見られたが、全体的に物足りない感じがする1日だった。
海鳥の種類と数が、霧が濃いためにBGから聞いていたより少なかったことが原因だ。
*
18時から夕食、カレイの唐揚げ、アスパラガスと小エビの煮物,大根と挽き肉の煮物、お新香に味噌汁とそれなりの内容だった。免税の缶ビール
(150円)が評判だった。
この後、船は色丹島沖で停船、波も穏やかで揺れも少なく、ゆっくりと寝ることができた。
*
色丹島
歯舞群島の東にある南北9.5km、東西24kmの島で,高山植物が多く、海岸線も景勝地が多いことから国立公園の候補にも上がった島でした。漁業
が盛んな島でしたが、島内では馬の飼育も行われていました。
明治17年に千島アイヌが強制移住させらせれた歴史があります。
人口は昭和20年次920人でした。
地名はアイヌ語の「シャコタン」で、「サク・コタン」(夏の村)により、島の反対側には「マタコタン」(冬の村)もありました。
7.15.ホテル発(バス) → 7.20.根室港着 … ロサ・ルゴサ号乗船 8.00. → 18.00.色丹島沖で停船
*
7月19日(月)曇時々雨
夜明けが早いので,3時過ぎに起床する。部屋の丸窓から外を見ると,雨が降っている。
今朝も霧が立ちこめて遠望が効かない。
デッキへ出てみると、船の排水口付近に[フルマカモメ]が20羽余り集まっている。残飯を期待しているようだ。そういえば、食事の度に停船す
るが、その際にも海鳥たちが集まってくる。
雨のため,後部甲板の屋根のあるところで観察する。
船の周囲では[ハイイロウミツバメ]や[コシジロウミツバメ]などが飛翔し,ときには[ハイイロヒレアシシギ]も加わる。何故か[コアホウ
ドリ]は、船には近寄ってこない。
[アザラシ]が我々を盗み見するように海上から出たり、潜ったりして遠ざかって行く。
船首で観察中のBGの情報で,[エトピリカ]の幼鳥かもとのことで、駆けつけてみると,[ウトウ]と判明。
*
5時からの朝食は,納豆、焼鮭、フキの煮物、お新香に味噌汁,ご飯という献立。料理長の味付けが良い。
*
食事が終わると、色丹島沖から根室港へ向かって動き出す。今朝も波が穏やかなので,酔い止めの薬は飲まないことにする。
この付近では[フルマカモメ]が圧倒的に多い。船尾で観察していると,船の航跡を辿るようにして、次から次へと飛来する。
肝心の[エトピリカ]は、1度上空を飛び,その後も2度ほど海上に出たが,確認するまでには至らない。
*
雨が小やみになり,霧も大分薄くなって少し遠くまで見えるようになった10時半過ぎ,海流がぶつかる潮目に多数の海鳥たちが集まっている場所
に来る。
[フルマカモメ]に混じって[コアホウドリ]や[クロアシアホウドリ]が多く見られる。



[コアホウドリ] [白色型フルマカモメ] [エトピリカ]
*
船首の監視員からの情報で,その群れの中に[アホウドリ]の成長がいると知らされる。
なるほど他の鳥たちより一段と大きく、ピンク色の嘴が目立つ。
続いて[エトピリカ]が2羽いるので船はここで止まります、とアナウンスがあり、やっとじっくりと観察することになったかと思いきや,何と
続いて若い[アホウドリ]がいるとの情報で、我々はどこを見たら良いのか,船内は大騒ぎになる。
私はエトビリカの場所を探したが分からず、若いアホウドリを見ることにした。


[アホウドリ] [アホウドリ若鳥]
*
その騒ぎも一段落して少し進むと,3羽の[エトピリカ]を発見,船はそれに近づくため急に旋回しながら進む。
「船が傾くので体をしっかり支えて下さい !」とアナウンスされる。
ようやくあの白い顔と赤い嘴,そして黄色の飾羽をじっくりと確認することができた。
*
この間も雨が降ったり止んだりしている。その度に船首に行ったり,船尾に移動したりと落着いて観察ができない
ただ、霧が薄くなって視界が少しづつ広がってきたことが何よりだ。
昼食は,牛丼に味噌汁。
*
昼食後は昨日も通過した[エトピリカ]の棲息地へ向かう。
視界が広がったせいもあってか,船の右に左にと次々に[エトピリカ]が現われるようになる。
船は止まったり、また追いかけたりしてくれる。ようやく満足できる観察ができた。
昨日は霧のため視界が悪く,遠くまで見えなかったため、思うような観察ができなかったことが分かった。
ここで宮島BGの発声で、やっと万歳をすることができた。何れにしてもヤレヤレというところだ。



*
その後も[オオトウゾクカモメ]や「トウゾクカモメ」、「ウミスズメ」や「カンムリウミスズメ」、そして「アカアシミズナギドリ」などがア
ナウンスされたが、その総てを確認することはできなかった。



[オオトウゾクカモメ] [ウミツバメ] [アカアシミズナギドリ]
*
それと前後して[シャチ]が右舷側にいると知らされ,これはハッキリと見ることができた。最大で2mはあるという特徴的な雄の背鰭が何より
の目安だ。
気がつくと船の近くに4頭もいるではないか。しばし船と並走してくれたのがなによりで、良いお土産となってくれた。


[シャチ] [船首付近で観察する人々]
*
その他、時折[ミンククジラ]や「オットセイ」、それに「イシイルカ」などが出て我々を喜ばしてくれた。
*
次第に視界が効くようになってから、気温が一段と下がってきたので、レインウエアの上着をダウンジャケットに取替える。事前説明にあったの
で、用意してきて良かったのだ。
陸地に近くなったせいか[オオセグロカモメ]の飛翔する数がが多くなってきた。
西方の雲が切れ日の光が見えるようになると、海上全体に[ウトウ]や[アカエリヒレアシシギ]と[ハイイロヒレアシシギ]の群れが多数見ら
れるようになる。


[ウトウやヒレアシシギの群れが…] [ようやく雲が切れてきた]
*
やがて船の前方左手に『納沙布岬』が見え、右手には『貝殻島』が見えてくる。


[納沙布岬] [貝殻島]
*
昨日は白濁の世界で何も見えなかったが、今日のように見通しが良ければ、多数の海鳥が見られたに違いない。
残念ながら、こればかりは自然現象、不徳の致す所と諦めざるを得ない。
これで今回のクルーズは、どうにか所期の目的を果たして終了。
*
18時に夕食、トンカツに野菜サラダ,ナスの油炒め、味噌汁、ご飯という献立。
この食事中に根室港に入港。19時に下船して『根室グランドホテル』へ。
4.00.観察開始 → 18.30.根室港着19.00.(バス) → 19.10.根室グランドホテル
*
7月20日(月)晴
朝食はバスの中でお弁当。
皮肉なことに,帰る日になって朝から好天気となる。
車窓右手は根室湾,左はなだらかな牧草地帯が続き,日の光を浴びた景観が素晴らしい。
左手の『温根沼』を過ぎ,右手の『春国岱』では[タンチョウ]2羽が見られる。
往路でも利用した『厚岸道の駅』でトイレ休憩。心地よい風に日差しがちょうど良い。
*
ここで帯広へ向かうAコースの方々と分かれ,我々は釧路空港へと向かう。
途中、3羽の[タンチョウ]が飛翔する姿を見たり,また湿原にいる2羽を見ることができ、このツアーの有終の美を飾ってくれた。


【釧路空港ターミナル前にあるシマフクロウの像】
*
釧路空港からのフライトも満席。
羽田空港に着くと,猛暑日とのことで気温が35℃を越えており,目眩がするほどの暑さとなっていた。
7.30.根室グランドホテル発(バス) → 8.55.厚岸道の駅9.10. → 10.40.釧路空港12.15.(ANA962便)→ 13.55.羽田空港
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