nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

瀬戸内紀行2-1

2019-04-14 15:23:24 | 旅行記

平成30年4月1日(月)雨後晴

 起床してベランダから波静かな瀬戸内海を見る。前方の弁天島とその後ろの仙酔島を含め心静まる風景が展開している。

 一階の食事処での朝食は和食膳で、その景色を眺めながらの贅沢な食事となる。

 先ずお茶とオレンジュースが出て、次いで具沢山の御菜、そして御飯と味噌汁が出され、朝から少々食べ過ぎてしまいました。

  

 御菜をアップしますと、次のようになります。

  

 食後一休みして出掛ける頃になると、何と雨が降ってきました。

 迎えの観光バス(瀬戸内バス)で出発すると次第に強くなって心配しましたが、30分ほどで尾道に近づくにつれて止んでくれました。

 今日の最初の観光は『千光寺公園』です。

尾 道  面積 : 285.11㎢、人口 : 133,794人(2018.10.1.)、人口密度 : 469人/㎢

 広島県の南東部、山陽地方のほぼ中南部に位置する市。

 悠久の歴史を今に伝える中心市街地は、海と山に囲まれた猫の額ほどの狭いエリアにぎっしりと街並みが形成されています。

 目を山の方に向けてみると、中腹にはたくさんの仏閣が軒をならべ、それを縫うように細い階段や路地が張り巡らされています。 

 この一帯は「山手地区」と呼ばれ、多くの文人・墨客などに愛された風光明媚な街並みをめぐる「古寺めぐり」が人気。 

 また多くの映画やドラマなどの名作の舞台としても数多く登場しています。          【尾道観光協会】

     *

 バスは千光寺公園の駐車場に駐車し、我々は公園内を散策することになりました。

           

 期待した桜はようやく咲き始めた程度で、冷たい北風に震えているようでした。緩い上り坂の右手にはソメイヨシノの並木がありました。

 殆ど咲き始めでしたが、手前の一本の木だけが七分ほどの花を咲かせていました。また右下の桜もご覧の通り咲き始めでした。  

  

千光寺公園

 1894年(明治27年)より、四国・阿波国生まれの三木半左衛門(尾道市名誉市民)により「共楽園(天寧寺三重塔付近)」の開発が始ま

 りました。その後尾道市への寄贈などを経た上、開発は尾道市が引き継ぎ 1905年(明治38年)に完成。名前も共楽園から千光寺公園に改

 められました。春は”さくらの名所100選”に選定された桜が公園を彩るほか、四季折々の表情を楽しむことができます。

 また、頂上の展望台から見る夜景は夜景100選にも選定され、デートスポットとしても人気です。 

 公園内には「文学のこみち」があり、山道に点在する自然石には尾道にゆかりのある作家の詩が刻まれています。

     * 

 その少し上まで歩いた右下にある一本の小さい『三春滝桜』は、ほぼ満開の状態でした。

 千光寺への道を右にみて、左の坂道を上り『尾道市立美術館』の裏手の広場から、尾道水道を見下ろした景観が右の画像です。

  

 更に坂を上る左手に咲く三本の桜はほぼ満開になっていました。こちらは南側の斜面のためのようです。 

 出会いの広場から文学の小道へ入る手前に『徳富蘇峰』の漢詩の碑がありました。

  

 碑の内容は左の画像をご覧ください。

 ここで下りのロープウエイの待ち時間を利用して、『頂上展望台』へ上がり、尾道の町並みと瀬戸内海の島々の展望を楽しみました。

  

  

 ロープウエイの山頂駅からは、ゴンドラ前方の座席に座ることができ、尾道の景観を楽しみながら下ることができました。

   

 ロープウエイの山麓駅からは、尾道桟橋まで5分ほど歩いて到着しました。

 残念ながら『千光寺』には参詣できませんでした。  

千光寺

 大宝山権現院千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、大同元年(806年)弘法大師の開基で中興は多田満仲公と伝え

 られています。

 境内中央の巨岩「玉の岩」は昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶとか。

 玉の岩の右には朱塗りの本堂、左には龍宮造りの鐘楼を配して、尾道の風光の要をなしている。 

 本堂は貞享三年(1686年)の建立で、この地方には珍しい舞台造り、堂内に置かれた須弥壇は応永から永享(1394~1440年)頃の作で、

 和様に唐様を加味した形式で、ここに安置された本尊は秘仏の千手観世音菩薩。        【千光寺H P】

     *

 桟橋に着くと『瀬戸内多島美チャータークルーズゆきひめが待ち構えており、我々が乗船すると直ぐに出航しました。

              

 船内のガイドさんからは、今日は冷たい北風が強く、波頭が立っており船が揺れるので注意してとの前置きがあり、船の進行にともない

 周囲の景色の説明がありました。

 出航して間も無く右手に尾道駅付近の建物があり『グリーンヒルホテル』や『向島行きフェリー乗り場』、その先には尾道城』? 。

     *

 市内には戦国期の城跡はあるが、隣りの福山市の福山城天守(戦災で焼失、昭和41年復元)の影響を受け、昭和39年(1964年)に尾道商工

 会が観光事業の一環として外観の一部を弘前城天守に模した施設「全国城の博物館尾道城として建設した。建築は鉄筋コンクリートの

 三層三階、望楼型の体裁を取っている。尾道駅の北側の丘陵上に立地し、目立つこともあり尾道市のシンボル的な存在になったが、歴史

 的な背景が全くないためにむしろ景観を汚すものであるという意見もあり、建築当初から厳しい論争にさらされた。

 1990年代に閉鎖。その後は廃墟化している。     【Wikipedia】

 とのことで、よく見ると、屋根の鯱鉾の一つが無くなっていました。

   

 向島赤石鼻のある岩小島の細い水路から尾道水道を離れると、潮の流れもあって一層波立ち、窓に波飛沫がかかるほどでした。

 進行方向左手に細島、そして小佐木島佐木島の狭い水路を経て、ようやく佐木島の入江に入ると、波が静かになり、向田港に到着しま

 した。揺れた船から地上に上がると身体がふらつくようでした。

 桟橋のある広場には、島の産物を売るテントが並んでいました。ここから15分ほど歩いて『塔の峰の千本桜観賞』が始まります。

              

 港から県道を5分ほど歩くと右手に塔の峰への案内板があり、緩やかな坂道を上がっていくと、右手の斜面に桜並木が見えてきました。

  

 こちらの桜は六、七分咲きになっているようです。

  

 車両通行止めの立て看板があるところから右折して愈々塔の峰への上り口になります。

  

 日曜日の翌日で、未だ満開ではないので見物客もほとんど見られず、我々だけがのんびりと桜を楽しむことができました。

  

佐木島(さぎしま)

 広島県三原市に属する芸予諸島の島。日本一新幹線の駅から近い離島で、人口は765人、(2015年4月現在)です。

  三原駅から三原港へ徒歩で5分、そしてフェリーで約 25分。瀬戸内の気候で温暖で一年を通じてすごしやすい島です。   

 その大きさは周囲約 18.2km、県道一周の距離は約 10kmの島ですが、漁業ではなく農業が主な産業の島です。  

 主な農産物は、ミカンなどの柑橘類・ワケギ・メロン・スイカなどがあります。 毎年8月には「トライアスロン」も開催しています。

    橋のかからない島佐木島。島内の過疎化・高齢化が進むなか、地域の活性化策として塔の峰一帯の休耕畑にサクラの植樹活動が平成4年

 から毎年継続的に行われ、1000本以上のサクラが植えられています。平成9年、向田区は住民の手造りの活動が評価され、全国育樹活動

 コンクールにおいて林野庁長官賞を受けました。平成25年からはサクラの木オーナー制度の導入により、島外からの観光客増加を図って

 います。

  

 ここで塔の峰から降り、向田港に戻りました。

 港の入り口には磨崖和霊石地蔵があり、波打際の独立した巨岩の中央の蓮華座の上に舟形の輪郭を彫り沈め、その中に地蔵坐像が彫られ

 ています。頭部のうしろに円光背を浮き彫りにし、右手に錫杖を持ち,左手に宝珠をのせています。 またこの像の左右には、花瓶を浮き

 彫りにし、その周辺に願文が刻んであり、正安2年(1300)仏師念心の刻銘があります。   【三原観光navi】

  

 2時間ほどの桜見物を終え、クルーズは『大三島』へと向かいました。



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