
『白』五画です。
一度墨をつけたら最後まで筆先を整えず書き上げないと、臨書はできません。
『空間の筆意』
これは、楷書であっても、それぞれの点画の間には見えない線で結ばれている事を意味します。
それを怠れば、
『仏つくって魂入れず』になるよ、
であります。
一文字一文字に魂をを込めて書くには、
『空間の筆意』を念頭に置いて書かねばなりません。
二画目の起筆は一画目があってこそ自然に書けるわけで、
三画目の起筆も二画目があってこその流れであるわけです。
三画目の緩急生かしたあとの四画目、五画目の冷静な線を引くのが難しいと考える前に、実践することです。
実践すれば、創意工夫が生まれる。
生まれるまで実践する。
イライラしても、実践する。
この繰り返しが、書技と精神を鍛える
『お稽古』になるのです。
もう一度見てみます。

二画目と三画目転折あとの縦画の緩急の差は、墨色の差を生み、潤渇の差を生み、
まさに『起承転結』の『承』と『転』の関係性にあります。
二画目は筆先を線の真ん中に通す『中鋒(※そうではない意味を唱える説も有)』で書くことで、安定感と奥深さを出していますが、三画目の転折後の縦画は筆の腹を使って筆速を上げ線の右側部分をかすれさせています。
三画目の起筆は転折後に急展開する予告編であり、おだかでたおやかに書かねば転折以降『緩急』の『急』を、引き立てる事はできません。
また、文字全体の右側文の縦画を太くしたり、かすれさせることで、3D効果も表しています。
つまり文字に『影』をつけることで、立体的に見せる事を成立させたいるのです。
紙と墨の相性や、墨色にも依るところはありますが、結体(文字の形)と書技によってかなりの部分を臨書することができます。
この臨書が自然に決まった時、あなたは書き手の運筆とひとつになる事ができるのです。
つまり時空を超えた世界に入った事を意味するのです。
臨書の醍醐味はそこにあるわけで、これは贋作ずくりとは全く精神が違う行為であります。
臨書は誰のためでもなく、自分の為に行う稽古、修行であります。
そして、その先にあるのは
『ほう(人偏に『放』)書』
そして
『創作』です。
『白』ひとつで多くの事を語りました(^○^)
次回もお楽しみに〰