自分て何者?
ですよね〰
私も自分の事なんか分からないです。
だから自分を出すなんてことはできないわけです。
だって、自分の中には色んな自分がいるわけですからね。
てことは、何を出せばいいの?
今の気持ちが今の自分ということで良いと思います。
例えば凄く激しい書き振りの『一揆』と書かれた作品を見て臨書する時、その時の気分で捉え方や書き方変わってくる訳です。
その作品に負けないパワーがあればそれ以上のパワーで激しく臨書し、そんなパワーがなければ心が潰されてしまうような書き振りになったとしても、それはそれでその時の自分を出した臨書作品になるので私的には『よくできました!』となります。
喜怒哀楽以外にも狂気や毒々しい部分も自分の心の中にはあるわけです。
それを否定することなく作品にぶつけていけるタイミングは、『そんな時』だけのチャンスがあるかないかなのです。
『今から狂気出します!』なんてできないわけです。
可愛い子犬を見た時の感動を思い起こしながら書くことはできそうです。
なぜなら、大した感動ではないからです。
W杯で日本がスペインに勝った試合を観た時の感動だって、出場した選手や監督の感動に比べれば大したもんじゃありません。
岡本太郎が言っていた『自分の中に毒を持て』の毒は、それくらいの毒だと思うのです。
毒を持っていれば、出す事もできるでしょう。無ければ出せないですし、出せなきゃ芸術には近づけない。
どんなに美しいものでも、対極に醜い物があるから美しく輝くのです。
できる事なら美しい物だけを自分の中で育みたい物ですが、これまでの人生の中で色んな物を見過ぎました。
感じすぎました。
だから、身体の中は毒だらけです。
美しい物を見て感動するのは、解毒作用があるからですよ。
書を書いて毒を時々出しましょう。
だから、調子のいい日に出しましょ。
毒、出しましょ。
本当のお前は毒なのか?
私の腑は毒でできている。
そう言うことで良いと思います。