私の作品作りの方法は、まず、漢字や言葉からひたすら想像する。
想像できたら、それを表現する為にひたすら書く。
書きまくる。
書きまくっているうちに、技巧の枝葉が落ちて行き、太い幹だけが残って行く。
さらにひたすら書く。
降りてくるまで書く。
時間が止まる。
呼吸も止まる。
そうして無心になったところへ降りてくる。
それには後から気づく。
その時は気づかない。
体力を使う。
身体勝負だ。
創造したのかすら分からない。
書き終わってしゃがみ込んだところには、書き損じた紙の山、、、、。
伝統や形式には理由がある。
しかしその必然性を分かりやすく説く者は少ない。
ならば自分でその必然性を突き止めてやろうと思う。
たどり着いた答えは大抵シンプルなものだ。
それには従う。
それに従いながら、心も書技も自由自在に書けるまで書く。
自由自在になった時は何かが降りている。
何かって何?
なんだろうね?
それは書を志す者にしか分からない、言葉に出来ない『何か』なんだろうと思う。
そこに少しでも触れた人は、もう墨の虜になっている。
引き返すことはできないし、それは無意味な事だ。
だったら前に進むしかない。
誰の事?
これを読んでいる君の事だよ。
墨をガッチリと抱きしめて生きるしか、楽しく生きる方法はなさそうだ。