極秘
辯駁書
陸軍衛戍刑務所にて
磯部浅一
12年 五月 神田局消印
一. 北、西田兩氏の思想 〔下は、その最初の部分〕
法務官が(新井法務官が七月十一日安田優君に云ったのです)「北、西田は二月事件に直接の関係はないのだが軍は既定の方針に從って兩人を殺してしまふのだ」と云ふことを申しました。
二.北、西田兩氏の功績
三.北、西田兩氏と青年將校との関係
四.尊皇討奸事件(二、二六)と北、西田両氏の関係 〔下は、その一部〕
(1)青年將校蹶起の動因
青年將校は改造法案を實現する爲に蹶起したのでもなく眞崎内閣をつくるために立ったのでもありません。蹶起の眞精神は大権を犯し國体をみだる君側の重臣を討って大権を守り國体を守らんとしたのです
(2)二月蹶起直前北、西田兩氏と青年將校
(3)奉勅命令と北、西田氏の関係
奉勅命令は下達されていません 絶対に下達されていません。
私共は誰一人として奉勅命令の内容を知っておりません。
五.大臣告示、戒嚴命令と北、西田氏
六.結言
附記 〔下は、その一部〕
軍部が北、西田兩氏を死刑にする理由は實にわけのわからぬものです。
北、西田が青年将校を煽動したと云ふのです。 煽動したのは北、西田でなく三月事件、十月事件であります。
極秘
獄中手記
於東京衛戍刑務所
磯部浅一
(12年) 六月二十一日附 三田局消印アル封書ニシテ秋田市○○家(宛名)匿名ニテ送リ〇ル
〔下は、その最初の部分及びその一部。〕
朝夜の愛國者の方々御願ひ申上げます
維新の敵軍閥を倒して下さい
既成軍部は軍閥以外の何物でもありません
寺内も杉山も川島も荒木も其の他一切の軍人は
悉く軍閥の家の徒です
どうぞ彼等を根こそぎに倒して眞の維新を実現さ
して下さい 私は何處迄もやります
一部の法務官は北西田の立場は最も同情すべき立場だと言つて少からぬ同情をさえしていたのです 然るに兩氏に死刑を求刑する様な事になつたのは軍の幕僚共が権力のかげにかくれてどさくさまぎれに殺してしまへと云って横車を押してゐるからです。或る法務官は私に北西田が事件に直接の関係のない事は明らかだが軍は既定の方針にしたがつて兩氏を殺すのだと云ふ意をもらしました
私は此の数ヶ月北、西田両氏を初め、多くの同志の事を思って毎夜苦しんでゐます。北、西田の両氏さへ助かれば少しなりとも笑って死ねるのです。どうぞゝ頼みます。頼みます。一言付記しておきます事は眞崎を不起訴にする様に運動してゐる御連中がたくさんいる様ですが私は此れに対して非常に反感をもちます。
吾々が国賊ならば当然に眞崎と川島と其の周囲の人は國賊である筈です。彼等が法の制裁を受けないならば吾人も当然に法の制裁を受けない筈です。
陸軍の親玉から貰った命令に依って動作したのに命令を受けた人が殺されたり、全く命令や告示の圏外にあった人が死刑を求刑されるのです。此んなトンチンカンなベラボウな話はありません
歎願
謹シミテ
○○○○○(湯浅内大臣)閣下ニ歎願シ奉リマス
北輝次郎
西田税 両人は
昭和十一年二月二十六日事件ニ関シテハ絶対ニ直接的ナ関係ハ無イノデアリマス 然ルニ陸軍現首脳部ハ故意ノ曲解ヲ以テ両人ヲ死刑ニセントシテオリマス
恐惶謹言 磯部浅一印
一一、大臣告示に付いて。大臣告示の宮中に於て出来た時の状況は大体先般大澤先生の所へ出しておいた書物の中にある通りです、
二た通りあるのですが「諸子の行動は国体の真姿顕現にあるものと認む」と云ふのが第一案です、所が奴等は色々にゴマカスために大臣告示は三つ出てゐると云ふことを云ひ出してゐるのです、用心々々、最後に申ますことは眞崎が不起訴になると北、西田のためには頗る不利です、川島が告發され起訴されたら両氏が無罪になるところまで事件が發展すると云ふことです、私は信じています、どうぞ両先生の事を頼みます、
昭和十一年二月二十六日事件
烈士磯部浅一 獄中手記 行動記録並日記
資料提供 平石光久
日本国憂会 謹複製 佐々木陸友
限定貮百貮拾六部
皇紀貮千六百参拾貮年貮月貮拾六日
〔蔵書目録注〕
上の『辯駁書』・『獄中手記』、また文中の「大臣告示」等について、『日本革新運動秘錄』 (昭和十三年八月)に、次の記述がある。
磯部淺一署名の獄中記頒布の問題であるが其の根本動因は昭和十一年十一月頃前後三回に亘り獄中にあった磯部が村中と通謀の上執筆した獄中記を面會に來た妻登美子に渡して外部に搬出せしめ岩田富美夫が之を寫眞版として一部に頒布する等の事があり其影響を憂慮せしむるものがあったけれ共當時憲兵隊當局に於て工作を施し紳士協約的に其全部を囘収したのである。所が其一部が四月二十八日「辯駁書」五月二十三日「尊皇討奸の檄」、六月二十一日「獄中手記」等々の怪文書となって現はれ夫々多數全国に頒布されたのであって其内容は何れも「裁判の暗黒を呪ひ北、西田の無罪を主張し軍上部を怨嗟する」ものである爲に警視廳憲兵隊協力の結果七月十九日一齊に檢擧されるに至った。關係者は岩田富美夫一派、赤澤良一一派、大森一聲一派等で目下其審理は續行中である。
世間では叛亂部隊が色々の要求を提案した樣に傳へられて居るが蹶起趣意書以外には何等の要求はなかった唯蹶起の趣意を軍事參議官に對し上聞に達して呉れと云ふ要求があった、參議官でも色々相談の結果上聞に達し次の囘答をする事になった。
一、 蹶起趣意書ハ上聞ニ達シタ
二、 諸子ノ眞意ハ諒トスル
三、 參議官一同ハ時局ノ収拾ニ付キ最善ノ努力ヲスル
之を警備司令官を通じて蹶起部隊に囘答したのが其處に飛んでもない手違ひを生じてしまった。手違ひと云ふのは阿部が警備司令官の副官(柴有時大尉)?に今話した三點を電話で復唱させて話してやったのにどう考へたか警備司令部では「ガリ版」に刷って關係方面に配った處が第二の眞意は諒とすると云ふのを行動は諒とすると印刷してあったので當時陸海軍部内に非常なる問題となって參議官が蹶起部隊の行動を諒とするとは不都合千萬だと大騒ぎになったが阿部が當時の原稿を所持して居たので間違であった事が明瞭になり問題も落着した。
(印刷配布したと云ふのは次の樣なものである)
陸軍大臣告示
一、 蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聽ニ達セラレアリ
二、 諸子ノ行動ハ國體顯現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、 國體ノ眞姿顯現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ
四、 各軍事參議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、 之以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ
なお、上右の写真は、事件当時の新聞記者のメモで、裏には「嚴秘 情報四月十八日」と書かれている。