蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

「ラザール・レヴイ来る」 毎日新聞社 (1950.10-11)

2011年07月27日 | ピアニスト 3 ルービンシュタイン、ケンプ他

 表紙には、「フランス・ピアノ界の最高峰 仏国政府派遣芸術使節 ラザール・レヴイ来る 毎日新聞社」とある。21センチ。

    毎日新聞社の招聘により
 ・フランスピアノ界の 巨匠ラザール・レヴィ来朝  毎日新聞社
 ・経歴
 ・演奏評
 ・親しく私淑した邦人ピアニストのラザール・レヴイ観 
                   原智惠子、安川加壽子、野辺地瓜丸
 ・来朝演奏日程

 十月 〔昭和二十五年:一九五〇年〕
   三日 火 (夜) 東京独奏会 日比谷公会堂
   四日 水 (夜) 東京独奏会 日比谷公会堂
   五日 木 (夜) 東京独奏会 日比谷公会堂
   八日 日 (夜) 福岡独奏会
  一〇日 火 (夜) 宇部独奏会
  十四日 土
  十五日 日 
  十六日 月 十四日より十八日日迄の間大阪にて二回、京都にて一回独奏会(原、安川賛助出演)
  十七日 火
  十八日 水
  十九日 木 (夜) 名古屋独奏会 名古屋市公会堂
  二十日 金 (夜) 名古屋独奏会 名古屋市公会堂
  二三日 月
  二四日 火 公開講座(後援、東京芸術大学 会場、上野公園芸術大学奏楽堂)
  二五日 水
  二六日 木 (夜) 日響定期へ客演(協奏曲)日比谷公会堂
  二七日 金 (夜) 日響定期へ客演(協奏曲)日比谷公会堂
 十一月
   四日 土 (夜) 告別演奏会 日比谷公会堂 (二台ピアノ)
   五日 日 (夜) 告別演奏会 日比谷公会堂 (協奏曲)

 ・ラザール・レヴイ演奏曲目

     東京

  第一日
   一、バッハの半音階的主題(カンタータ「泣き、悲しみ、悩み、慄き」より)に依る変奏曲  リスト
   二、奏鳴曲 ニ短調 作品三一ノ二      ベートーヴエン
   三、クライスレリアーナ作品一六       シューマン
   四、A スケルツォ 第一番 ロ短調作品二〇 ショパン
     B 夜想曲   ハ短調 作品四八ノ一    〃
     C 「英雄」ポロネーズ 変イ長調 作品五三  〃
  第二日
   一、A 幻想曲 ハ短調 K三九六  モーツアルト
     B 奏鳴曲 ハ長調 K三三〇    〃
   二、A 間奏曲 変ロ長調 作品七六ノ四 ブラームス
     B 狂詩曲 ハ短調           〃
     C ヘンデルの主題に拠る変奏曲作品二四
   三、二つの伝説
     A 小鳥に説教をするアッシジの聖者聖フランシス
     B 波上を歩むパウロの聖フランシス
  第三日
   一、オルガンの為の前奏曲、遁走曲及び変奏曲(ハロルド・バウアー編)  セザール・フランク
   二、奏鳴曲 イ長調 K三三一(トルコ行進曲附奏鳴曲) モーツァルト
   三、A 譚詩曲第二番 ヘ長調 作品三八  ショパン
     B 夜想曲 ヘ長調           〃
     C 六つのマズルカ           〃
     D 円舞曲 変イ長調 作品四二     〃
   四、子供の領分(「チルドレンス・コーナー」)  ドビュッシー
   五、A 小奏鳴曲 第二番  ラザール・ラヴイ
     B 円舞曲          〃
   六、クープランの墓  ラヴェル
  第四日
   告別演奏会 - 独奏の外原、安川、野辺地三氏賛助出演 二台ピアノ用楽曲演奏
  第五日
   告別演奏会 - 近衛秀麿指揮、東宝交響楽団、原・安川両女史賛助出演 協奏曲演奏

     大阪、名古屋、京都 〔省略〕

     福岡、宇部
   
   一、前奏曲と遁走曲ー「平均率洋琴曲」より 
         変ホ長調(第一巻より) ニ長調(第一巻より)
   二、奏鳴曲 イ長調 K三三一(トルコ行進曲附奏鳴曲)  モーツァルト
   三、A 幻想曲 ヘ短調 作品四九  ショパン
     B 夜想曲 ハ短調 作品四八ノ一
     C 「英雄」ポロネーズ 変イ長調 作品五三  〃
   四、「子供の領分」 (「チルドレンス・コーナー」) ドビュッシー
   五、二台ピアノ演奏   演奏 ラザール・レヴイ 原智恵子
     A アンダンテと変奏曲  シューマン
     B ヴァルス・ロマンティック  シャブリエ

 

  「ラザール・レヴィ ピアノ演奏会 歓迎出演 原智恵子、安川加壽子 主催 毎日新聞社, 1950年〔昭和二十五年〕10月14,15日 北野劇場 (大阪) 17日 松竹座 (京都)」とある。表紙には、ラザール・レヴィ  〔Lazare Lévy〕 のサインがある。26センチ。
 内容は、「英語のプログラム、日本語のプログラム(第一日)(大阪・京都)、プログラム(第二日)(大阪)、曲目解説、経歴、親しく私淑した邦人ピアニストのラザール・レヴィ観 原智恵子 安川加壽子」である。
 
   プログラム (第一日) (大阪・京都)

 Ⅰ.前奏曲と遁走曲「平均率洋琴曲」                   バッハ 
      変ホ短調(第一巻、第八番)
      ニ長調 (第一巻、第五番)
 Ⅱ.奏鳴曲 イ長調K331                          モーツアルト
      1.アンダンテと変奏
      2.メヌエット
      3.ロンドー「トルコ行進曲」
 Ⅲ.A.幻想曲へ短調 作品49                      ショパン
   B.夜想曲ハ短調 作品48ノ1                     ショパン
   C.「英雄」ポロネーズ変イ長調                   ショパン
 Ⅳ.「子供の領分」(チルドレンス・コーナー)              ドビュッシー
      1.グラドウス・アド・パルナッスム博士 
      2.象の子守歌  
      3.人形へのセレナーデ
      4.雲は踊る
      5.小さな羊飼
      6.ゴリウォークのケーク・ウォーク
 Ⅴ.二台ピアノ演奏
      A.アンダンテと変奏曲 変ロ短調 作品46           シューマン 
                       演奏 ラザール・レヴイ 
                           原智恵子 
      B.ベートーヴェンの主題による変奏曲             サンサーンス
                       演奏 ラザール・レヴイ 
                           安川加壽子



   プログラム (第二日) (大阪)

 Ⅰ.オルガンのための前奏曲、遁走曲 及び変奏曲(ハロルド・バウァー編) セザール・フランク

 Ⅱ.奏鳴曲 ニ短調 作品31ノ2
      1.ラールゴーアレグローアダーヂョ              ベートーヴェン
      2・アダーヂョ
      3.アレグレット
 Ⅲ.「幻想曲集」作品12
      1.夕べ                              シューマン
      2.飛翔
      3.何故
      4.移り気
      5.夜に
      6.寓話
      7.夢のもつれ
      8.話の終り
 Ⅳ.二台ピアノ演奏
      A.二台ピアノのための奏鳴曲 ニ長調K・448         モーツアルト
       1.アレグロ・コン・スピリト
       2.アンダンテ
       3.アレグロ・モルト
                        演奏 ラザール・レヴイ
                            安川加壽子
      B.三つのヴアルス・ロマテイック                 シャブリエ
       1.ニ短調
       2.ホ長調
       3.ヘ長調
                        演奏 ラザール・レヴイ
                            原智惠子

 ラザール・レ ヴイ ピアノ演奏会
  歓迎出演 原 智惠子、安川加壽子   主催 毎日新聞社、
  
 1950年10月14、15日 北野劇場(大阪) 松竹座(京都)

 〔なお、十月十六日の午後六時から京都の日仏会館で開かれた会員のための非公開演奏会には、谷崎潤一郎夫妻・令嬢も来聴した(毎日新聞 大阪:十七日)。〕

 経歴

 ラザール・レヴイは一八八二年にフランス人を両親としてブラッセルに生まれ、既に五歳にして驚く可き楽才を発揮した。
 十二歳にしてパリ―国立音楽学校に入学、著名なピアノ教授ルーイ・デイエメールに師事し、同教授の愛弟子の一人となった。一八九八年、満場一致一等賞(プルミエール・プリ・ア・リュナニミテ)及び第一位(プルミエール・ノンメ)を獲得して同校を卒業した。
 一八九九年コンセル・コロンヌ管絃団演奏会にデビュー、続いて有名な管絃団、コンセルウアトアール、ラムルウ、バドウルウに出演、指揮としてはコロンヌ、ビエルネ、メッサーヂエ、ゴオベエル、ミユンク、アンゲルブレックの如き一流人達の指揮下に演奏を行った。
 パリーでのデビュー直後フランスの諸都市でも演奏会を催している。海外にも亦頻繁の演奏旅行を行い、ベルギー、オランダ、スイス、ポルトガル、スペイン、ブルガリア、ギリシヤ、チェッコスロヴアキア、ポーランド、ユーゴスラヴイア、トルコ、エジプト、アルジェリア、モロッコ、チュニス等を巡演。一九一二年ベルリンで華々しくデビューした。一九三〇年にはウィーンで初演したが、同地の「ノイス・フライエ・ブレッス」紙はその際「彼は本年来訪した演奏家中最高である」と評した。またサン・サーンスは「完全なメカニズをもって彼は音楽の内面的感性を披歴した。斯くの如きことは稀に見るところである」と述べている。一九二〇年アルフレッド・コルトーの後を受けてパリー国立音楽学校ピアノ科教授に就任。同校で彼の薫陶を受けた優秀な門弟には、ユニンスキー、ジネット・ドワイエンその他フランス楽壇で名を成している者無数、邦人では原智恵子、安川加寿子がある。一九三七年ワルソウのショパン・コンクール、一九四六年ジュネーブの国際コンクール、一九四八年ブタペストのベラ・バルトーク・コンクールの何れも審査員就任。ラザール・レヴイは第二次世界大戦後、パリーで数回の独奏会を催し、その外ギリシア、ハンガリア、北アフリカでも演奏した。特にトルコでは三年続いて演奏会を開いている。作品はエジック、サラベール、シューデンス各社から出版されている。

 なお、演奏会の使用ピアノのについて、次のチラシが挟まれていた。

      



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