蔵書目録

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「嗚呼亡友藤村操君」 藤原正 (1903.6)

2021年04月12日 | 人物 作家、歌人、画家他

  

 文苑

 藤村操君を想ふ
   
  友藤村操氏を悼む   二、二、二 田邊尚雄
  藤村君を弔ふの歌十首      荒井恒雄
  藤村操君を想ふ    一、一、二 松濤生  
  藤村操君を弔す         見定二郎
  藤村操君を憶ふ         安倍能成
  嗚呼亡友藤村操君   一、一、二 藤原正

 嗚呼亡友藤村操君
             一、一、二、 藤原正

嗚呼操君、操君、筆を執りて紙に臨む、血涙潜然として言の何れより出すべきかを知らず、唯僞なき衷情を吐露して聊か君が靈に致さんと欲す。
本月二十一日君校に來らず、予も亦多く意に介せざりき、超えて二十二日また來らず、予甚だこれを怪みぬ午前十時高頭氏の來訪によりて、始めて君が昨日より不在なるを知り、大に驚き、直ちに馳せて、君が宅を訪ふも其狀を詳にするを得ず、午後再び訪ふや、君が遺書を發見して驚きたる君の親戚が、思慮慘憺、力を盡して君を尋ねしも一も其効なく、手を束ねて其方策に惑ひしの時なりき、翌朝匇々復た訪はんと欲して途に令弟朗君に遭ひ、二十一日夜日光發の君が書狀の昨夜到來して華嚴の瀧に投ぜられんとすとの報を知り驚駭通嘆、馳せて君が書狀を見るに
  不幸の罪は御情けの涙に御流し被下度候十八年の御恩愛決して決しておろそかには存じ候はねどもこらへかねたる胸のなやみあゝ只死する外に致方無之候何事も因果と御諦め被下度候憂世はすべて涙にて候ものぞ
   明治三十六年五月二十一日夜
                      操
     母上樣
  今夜此旅宿にとまり明日午前華嚴の瀧に投ずる覺悟に御座候父上への御土産として先月寫し候母子五人の寫眞一葉懐中いたし居候、
  三人へ何卒宜しく御願申候
  机の右の引出し打ち壊し御覧被下度候、
表記には
                    二十一日夜認む
                        下野國日光
                           小西旅店方
                              藤村操
と、あゝ君よ、此を讀みたる予が悲愁輾轉、傷心斷腸の如何なりしかは、今更らこゝに云ふの要なかるべし唯天の霊光長しなへに君が上にありて、願くは御身の恙がなからむことを祈りしのみ、今朝既に那珂、高頭兩氏の日光に出發せられしを聞き、かよはきながらも、此に一縷の望を繋いて辭して寮に歸るや、机上に日光發の君が書狀のあるを見、わなゝく手に漸く披きてこれを讀めば
  宇宙の原本義、人生の第一義、不肖の僕には到底解きえぬ事と斷念め候程に敗軍の戰士本陣に退かんずるにて候
と、嗚呼君よ、予は唯天を仰いで『あゝ』と叫びぬ、予は唯仆れたる儘にして何をなすべきかを知らざりき、予は予を失ひしなりき、
午後六時、途を轉じて君を尋ねんと欲し、渡邊氏と共に上野より汽車に乗じて、十時半桐生に著し、日夜兼行して渡良瀬河畔を淅り、日暮足尾に至り、東京よりの飛電に接して、始めて君が既に全く此世の人にあらざるを知りぬ、嗚呼これ夢か、夢に非るか、冀くは夢なれかし、嗚呼君眞に逝きたるか、長しなへに此世のものに非るか、一瞬時前、袖を連ねて談笑を共にせし我半身の友は今や幽明界を隔てゝ、其消息の通ずべきなきか、
           “Oh. time, thow art shamebul.  ”
此夜寢に就くも、懐中にせる君が寫眞を凝視して、感慨旁午、血涙交々流れて終宵遂に眠る能はざりき。
翌二十五日星を戴て足尾を出て、馳せて中禅寺に至り、直ちに華嚴の瀧壺に降り飛瀑天上より落ちて自然の洗禮聖なる所、君が永遠の墳墓を拝し、泡沫飛雨の間に親しく熱涙を濺いで香華に易へ、那珂氏の一行に會して實情を詳かにし、嚴頭に至りて、君が遺物及び嚴頭の感を觀る、
嚴頭は瀧の絶頂、木は嚴頭を距る二間の所に樹てる楢の大樹、長さ一尺六七寸、幅七八寸の間を斫りて木を白げ墨痕太く書せるもの、即ち、これ君が最終最大の絶筆、巖頭之感なり
  巖頭之感
   悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て
   此大をはからむとす、ホレーショの哲學竟に何等の
   オーソリチイーを價するものぞ、萬有の
   眞相は唯一言にして悉す、曰く「不可解」、
   我この恨を懐て煩悶遂に死を決するに至る、
   既に嚴頭に立つに及んで胸中何等の
   不安あるなし、始めて知る大なる悲觀は
   大なる樂觀に一致するを、
と筆路雄渾墨色漆の如く、字々天來の意気を帶び、句々神秘の相を含む、嗚呼君よ、予は此の絶大高調の文字を讀みて、泣を飲み、膺を拊て、一唱三歎、樹を擁して去ること能はざりき、僅々一百四十有三字、簡勁痛切、一字の增減すべきなく、而かも君の謂はんと欲する所も亦盡せりと覺ゆ、嗚呼これ人類の有する至大至高の聖音にあらずや、古今これに比すべきもの、釋尊の雪山林下の聲なる、
  諸行無常、是生滅法、生滅々己、寂滅爲樂
を除きては、何所に其匹を見出し得べき、其終焉に臨むで從容自若、悠々迫らず、泰然動かざるもの天下果して幾人かある。
樹の傍には、地に樹てたる蝙蝠傘の外、大なる硯と墨と大きな唐筆と大なるナイフと風呂敷とハンケチと洋マッチ等あり、皆これ君が手澤の存する所にして遂に終焉の具たりしものなり、
巖頭に上りてこれを臨む、六十幾丈の大瀑足下に懸り、響轟々として九天にとゞろき、泡沫飛散、白波立つ瀧壺を眼下に瞰下し、岩に激し、石に躍れる下流をのぞみ、兩岸懸崖斫るが如く、新綠滴らむとして、殘んの櫻花なほ鮮なり、〔以下省略〕(〔省略〕明治三十六年六月三十日朝午前三時)

 上の文は、明治三十六年六月十五日發行の 『校友會雑誌』 第百二十八號 非賣品 第一高等學校校友會 の 文苑 藤村操君を想ふ の六篇中の一篇である。
 なお、上の写真は,左が古い絵葉書、中は御土産用のカードである。

 〔絵葉書の説明〕   (日光)藤村操の自筆巖頭感 Autograph of Fujimura, Nikko.

 〔カードのスタンプ〕  日光遊覧記念 大竹商店 SUVENIR OF VISIT TO NIKKO.



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