蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『津門』 2 (天津) (1910.5-9)

2020年09月16日 | 清国日本人 燕塵、津門

 

 津門 第四号 〔明治四十三年五月十五日発行〕 

〔口絵〕

 ・北洋政法專門學堂〔北洋法政專門學堂〕(記事參照)
 ・紫竹亭     (記事參照)

  ◎評論
 淸國の華と謂はん乎(一) 各省の匪賊と百姓一揆 編輯小僧
 佛字新聞の所論(三)          SМ生
 經國の大業不朽の盛事論         五十男
  ◎雜錄
 兩宮西南播遷の顚末(二)
 聯合軍大沽砲臺を陷るゝ記        馬脚散人
 曾國藩日記の一節(四)         一葉生
 北方の名儒劉因の從祀          北嶺生
 国會速設請願運動の其後         TK生 
 黄河                  北嶺馬
 日淸用語對照              洋鬼子
 義太夫の話(三)            養軒生
 狩水精舎雜筆              狗狼判官
 北洋政法專門學堂沿革          編輯小僧
    (本校の特色は日本語本位)
  學堂設立の目的
  建築費用及毎年の經費
  各科の成績
  附屬簡易科
  附屬中学部
  幹部及職員
 天津案内記 第四回           SH生
  (六)天津工巡捐局
 天津の下層生活(一)          編輯小僧
 支那俚諺譯解           天津 美智春
 支那の言文一致體         津門 美智春
  ◎文苑
 紫竹亭之記(挿絵參照)         狩水生
 孤獨                  血爛生
 涙                   凡生
 俳句 
  ◎諧謔
 津門女傑                葫蘆生
 照魔錄                 玄々道人
  ◎各地便り
 南洋博覽会 子龍生上海便りの一節
 上海便り 四月十五日          仝人
 風の便り                滿洲太郎
  ◎北淸紳士錄(一)
 直隷總督陳虁龍氏            ▲▲生
 津門日記(自四月十五日至五月十五日) 〔下は、その一部〕

  二日 ハレー彗星益々世人の視聽を惹

 編輯餘錄
 社告

  常津盤街八十号號へ移轉仕候  津門社

  ◎行春の名残
 天津陸上運動會 (四月十七日及十八日)
 運動會委員會慰勞會           一委員
 花見船を追ふの記 (四月二十四日)   牛涎居士
 〇花見                 たべそ
 我輩は新河の花である          はなゞ子
 桃花を觀さるの記            傲霜窟主人
 觀桃會                 素寒貧生
 乗馬會馬塲開塲式 (五月八日午前八時)
 天津の庭球界 
  正金對二引倶樂部の仕合 (五月八日午后)
  三社庭球競技  (五月九日午后九時)
  三井庭球會   (五月十四日午后一時)
 招魂祭 (五月十五日)
 音樂會駄評 (十四日午后)       楊蔭漁郎  

  

 津門 第六号 〔明治四十三年七月十五日発行〕

  表紙 満漢文字の津門

 〔口絵〕

 ・秦皇島の桟橋左に微かに見ゆるは軍艦
 ・張家口外蒙古人テント家屋(河野寫眞館寄贈)

 ◉天津の将來に關する諸氏の意見

 天然と闘ふは不利なり   三井支店長 安川雄之助氏
 塘沽築港と農業振促    吉田洋行主 吉田房次郎氏
 太沽及秦皇島       郵船支店長 豊田〇吉氏
 白河の浚渫は無論必要  大阪商船会社 安田安太氏
 白河太沽の改修に就て 大倉洋行支配人 菊池季吉氏

 ◉論説

 東洋思想の將來(上)         五十男

 ◉雜錄

 邦人關係の學堂官衙(三)
 北洋高等巡警學堂沿革
  ▲學堂設立の目的
  ▲學堂の廢合及沿革
  ▲本學堂の學生及經費
  ▲本學堂卒業生
  ▲教授科目
  ▲現任総辨及日本教習

 學堂の歷代督辦總辦の氏名左の如し
   趙秉鈞(後ち民政部右侍郎に昇任し現今閑地に在り)
   沈金鑑(現に候補道にて安慶の審判廳長官たり)
   徐鼎康(現に吉林省度支使に昇任せり)
   徐鼎讓(現總辦)
 現在關係の日本人は警務顧問三浦喜傳氏を總教習とし天野健藏原田俊三郎の兩氏教習とし葛上徳五郎氏操法教習として在任せり而して原田氏は目下巡警總局に在りて總稽査の事務に從事し居れり。

 両宮西安播遷の顚末(四)       馬脚散人 
 高柳君譯の「ロバート、ハート」傳   狩水
 淸國新舊貨幣の處分          齊東隠士
 北淸の気溫              神原生
 淸國に於ける日本郵便局        YW生
 天津案内記 第六回          SH生
  (八)天津知縣衙門
 邦人の注意事項            津門生
  (支那郵政分局取扱人の不注意)
 津浦鐵道分站問題           津門生
 武術の秘訣と臍(二)         武狂生
 入蜀日記之一節         北京 寒蛇生
 草鞋の迹(二)            旋風生

 ◉北淸紳士錄(三)

 天津商務總會 總理王賢賓氏

 ◉交隣須知

 支那俚諺譯解          天津 美智春
 支那の言文一致體        津門 美智春

 ◉淸國叢話

 百舌鳥の洗藻             MS生

 ◉廻訪録               編輯小僧

 天津に於ける外国医術(平賀顧問談)
  外国医術の濫觴
  外国医学研究機関の概況
   ▲北洋医学堂
   ▲北洋軍医学堂
   ▲北洋女医学堂
  漢方医との関係
  支那人の対医術概念

 ◉各地便り

 口外見聞(二)         豊鎭 漠南生

 ◉短編小説

 緊急問題(二)         北京 血瀾生

 ◉文苑

 漢詩              保定 籾山衣洲
 和歌                 凡生
 発句數編

 ◉雜報

 數件
 津門日記 〔六月十二日~七月五日〕  

   

 第八号 津門  〔明治四十三年九月十五日〕

  口繪

  ・苗族婦人の機織(在成都社友寄贈)
  ・大和公園秋の夕暮(噴水、音樂堂、記念碑を望む)

  ◉論説

  淸國に於ける婦人の位置       高柳生
  淸國鐵道の現勢           北嶺生
  世界に於ける海底電線        YМ生

  ◉雜錄

  兩宮西安播遷の顚末(五)       馬脚散人
  北淸人と回回教            五十男
  本年八月の気候概要          KK生聞書
  苗族                 北嶺樓主人
  中國商業不振の原因          某清人
  邦人關係の學堂官衙(六)       
  天津高等學堂沿革           涙仙私記
   附共立小學堂

   開設の由来
   日出學館時代
   天津普通高等學校時代
   天津高等學堂時代
   修業年限及び學科目
   共立小學堂
   現在の狀況と將来の希望

  淸國内地旅行             赤城画伯の旅行談
  脚力の練習              神田ノ兄イ
  二閘行             北京 血爛生
  満州演奏旅行記(二)         樂童
  孔子祭を觀る             北嶺
  支那俚諺譯解          天津 美智春
  支那の言文一致體        天津 子方生

  ◉各地消息

  伯林より 八月十一日         中嶋半次郎
  弘前より 八月八日          那須太三郎
  北京より 九月一日          鉄公鷄

  ◉北清紳士錄

  直隷巡警道舒鴻貽君

  ◉文苑

  關嶺紀遊(二)(漢文)        傲霜窟陳人
  亡兒記                凡生
  漢詩                 崧年
  城址                 萍村生
  舟の一夜               わか子
  發句                 白水生

  ◉天津風俗畵報

  天津の湯屋

  ◉支那事情問答

  答案及問題

  ◉筒の音

  軍糧城の鴫打             凸坊
  秋獮                 華兒香
  租界の鐵砲組             新參者

  ◉雑報

  國渡淸實業團
  秋季陸上運動會
  津門日誌 〔八月十日~九月十九日〕



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。