BECHSTEIN
ピアノの御撰定に就きまして
我国では輸入品でさへあれば何でも品質の優秀を意味するものと誤解されて居ります。それは「上等舶来」と云ふ言葉があるのでもよく分ります。中にもピアノは現在二百に近い品種が輸入されて居りまして、従って競争も激しいので、販売者は此の「上等舶来」の心理を利用して巧みな宣伝を致しますから、自然需用家の方々も聡明な御判断に曇 くもり を生じて、玉石を混淆される事も、他の商品よりも甚しいので御座います。
其の結果御撰定を誤ったが為に非常に後悔して居られる方々が斟 すくな からず御座いますので、左に弊社が責任を以て御推薦申上げまするベヒシュタイン、ピアノが、如何なるものであるかと云ふ事を申上げまして、比較御研究の資に供し度いと存じます、幸に御高覧の栄を得ますれば望外の至りで御座います。
◆弊社がベヒシュタイン、ピアノを撰定致しました次第
弊社が我国最古の楽器商として、多年欧米著名のピアノは悉く取扱って参りましたので、品質の優劣の如きは知り尽くして居りましたが、愈弊社が皆様に御推薦申上げる品を撰定する事になりますと、責任上飽く迄周到な調査を遂げまして、万が一にも遺漏のない事を期さなければなりませんので、去る大正十年 〔一九二一年〕 一月弊社のピアノ製造開始以来二十余年間之に従事致しまして、ピアノの構造に精通しました熟練技師二名と、多年販売上に経験を積みました社員二名を派遣しまして、欧米著名の工場を悉く歴訪して、各製造所に就て其の規模、設備、製法、原料等を素より、販路、信用、経営等の将来に関する事迄も巨細に比較研究致させました。其の結果は予期の如く、全然比較の圏外に立って絶対に他の追随を許さぬ名実共に世界最善のピアノは、正しくベヒシュタインであると云ふ事が分りましたので、直に一手販売の交渉を開始致しました処が、既に弊社の我国業界に於ける地位を知悉して居ったベヒシュタイン工場は、此の弊社の商品選択の態度が全く同工場の大精神に合致すると云ふので、大に共鳴致しまして寧ろ工場の方から進んで希望すると云ふ様な訳で、忽ち契約が成立致しました次第で、弊社の密かに誇とし且つ我業界の為めに禁じ得ない喜で御座います。
然るに一方現在盛に輸入されて居る他のピアノはと申しますと、其の種類のみでも前に申上げました様に二百種の多きに達して居りながら、其の中に技師を工場へ派遣して品質を研究させたもの等は只の一種もなく、甚しいのは輸入者自身が全然品質の鑑別力も無いと云ふ情ない有様で御座います。それで、どうして右の様に巨額の輸入を見るに至ったかと申しますと、其の原因は全く此の東方の君子国が、伴天連 バテレン がギヤマンを持ち込んで以来、舶来品に対して余りに寛容の徳を示し過ぎて居る事に在るので御座います。
勢ひ輸入業者は之に乗じて、品質の如きは全然閑却しまして只管 ひたすら 安物を漁る事になりました。そして、専ら値段の安い事と、法外な定価を付けて気味の悪い程の割引をする事とで、善良な客を釣る事に成功して居るので御座います。
◆創立者フリードリッヒ、ウィルヘルム、カール、ベヒシュタイン氏
・業界古今の天才
氏は千八百二十六年独逸ゴータに生れました。音楽的天分の豊かな子供でありましたが、その音楽好きな家庭と、工業都市であったゴータの雰囲気は、遂に氏をして当時のピアノに不満を抱き、之が改善と芸術的ピアノの製造を自己の天職として将又畢生の事業として志すに至らしめました。伯林随一のピアノ製造家であったペラウ氏に就いて僅に二年、二十二歳の若年で多くの先輩を凌いで支配人に抜擢されました。然し当時の独逸の斯界は此の若い天才の足を永く国内に止め得ず、氏は其頃最もピアノ工業の発達せる英仏両国の著名な工場を歴遊して、遂に経営法に至る迄ピアノ製造家として知るべき事の総てを極めて、千八百五十四年二十九歳の時伯林に帰りまして、愈独立して抱負の実現に着手しました。果然其の処女作たる最初の平台ピアノに楽界は驚異の眼を見張りました。それは多分に氏の独創を加味して近代ピアノ完成の端緒となった劃時代的のものでありました。次の最初のコンサート、グランドは、夫迄全く英仏ピアノの蹂躙に委せられた独逸の演奏檀上に、ハンス、フォン、ビューローが「独逸最善のピアノ」と激賞して自らその独奏会に使用し、夫等外国品を遥に凌駕せる事を実証して、茲に初めて自国の演奏檀を外国品より奪回するの端を開かしめました。爾来鉄骨及叉張絃法の完成等ピアノ構造上の革命的大創案を引続き発表致しましたので、業界は氏をヴァイオリンに於けるストラディヴァリウスに比して其の神技を讃美しました。一本の鍵を打ち其の音によって構造の全部を速断し曾て誤たなかったと云ふが如きは、正に稀代の天才に非ざれば到底企及し難い天下の妙技であります。斯様に他の多くの工場が其の全盛を誇り徒に虚名を擁して栄華を夢見て居る頃に、巴里の一日雇職人に過ぎなかった氏は、業界未曾有の有らゆる記録と壮麗世界に冠絶せる大工場とを、その偉業の一大記念碑として千九百年三月七十四歳を一期として永き眠に就きました。
・独逸ピアノの製造業の父
創業の当初既に独逸楽壇を英仏ピアノの蹂躙から救って、独逸国民に代って万丈の気を吐いた氏は、独逸ピアノ工業の発達の為めに全生涯を通じて寝食を忘れて尽痒しました。先づピアノ製造同業組合を組織して、自ら其の主脳者となって、品質の向上、販路の開拓を計りました。多額の資金を與へて自己の養成した多くの技術者を独立せしめました。又経済的危機に瀕した多くの同業に、卒先して援助の限を尽しました。今日著名の工場で氏の恩顧を蒙って居るものは頗る多いのであります。斯うして独逸のピアノ製造業が現在品質産額共に世界に覇を唱ふるに至ったのは、全く氏の力に負ふところで千八百九十六年氏が七十歳の誕生の吉日を撰んで、独逸皇室が氏を王室名誉商事参議官に補し、赤鷲王冠四等勲章を授けられたのに見ましても、氏の功績の如何に偉大なるものであったかゞ分ります。又斯かる栄誉を擔ったものは、ピアノ製造家としては氏一人より御座いませんでした。
◆ベヒシュタイン、ピアノと大音楽家
ベヒシュタイン氏は稀代の天才であったばかりでなく、又偉大なる人格者でありました。部下を遇するに厚く常に彼等は氏を慈父の如くに敬慕し、多くの楽人の成業を援けて楽界は氏を恩人として尊敬し、悲境にある同業を再起せしめたもの多く楽界皆之を徳としたものであります。従って楽界多くの名流が、単に氏の製品の愛用者としてのみでなく、真に心からの親友として交際致しました。ワグナー、リスト、ビューロー、ルービンシュタイン、ドゥライショク、ヘンゼルト等と最も親交がありましたが、就中ワグナーとビューローとは繁々氏の家を訪れて、その歓待を受け歓談を交へる事を楽みとして居りました。斯様に多くの大家が親い友人として常に工場に出入しまして、心からその親友の製品の向上を願って、絶へず斯かる名手でなければ思ひも付かぬ何物にも代へ難い貴重な多くの忠言を與へ批評を加へました。其の大家の理想は氏の天才を通じて忽ち製品の上に具体化されて参りました。茲に大家が理想のピアノとして競って愛用した理由があるので御座います。ビューローは氏の事業に最も力を入れた一人でありました。コンサート、グランドの製造をリストと共に慫慂して、誰一人試み得なかった当時に於て、敢然自ら進んで其の独奏会に氏の製品を以て、リストのロ短調ソナタを弾いて、独逸の演奏檀上に独逸製ピアノ使用の端を開き、遂に氏の最初のグランドを見た時「将来独逸の演奏檀は総てベヒシュタインの独占する処となるであらう」と云った予言が、間もなく実現さるゝに至ったのは、ビューローの援助も又與かって力があったので御座います。又千八百五十七年一月二十一日附で親友アレキサンデル、リッテルに宛てた手紙の中で、ビューローは「ベヒシュタイン氏は未だ僅に三台の平台ピアノを作ったに過ぎないが、既に彼は独逸ピアノ製造家中の第一人者である」と申して居ります。
リストは終生ベヒシュタインを愛用しました。「貴下の製品を使用致居候事既に二十八年間、今なほ其の優秀卓抜なる品質は依然として旧の如く、正に完全其物と可申候」とはリストのベヒシュタインの平台ピアノを見る事が出来ます。
ワグナーはその不朽の大作の大部分をベヒシュタイン、ピアノによって作曲致しました。バヴァリア王がストゥットガルトの侘 わびしい 住居からワグナーをミュニッヒに迎へた時に與へられたピアノもベヒシュタインでありました。
其他ダールベール、バウアー、ブソーニ、ゴドフスキー、ホフマン、バハマン、ルービンスタイン、ザウアー等各時代々々を代表する名手は、皆事情の許す限り必ずベヒシュタインを使用しまして、何れも言葉を極めて賞讃の辞を寄せて居られます。
◆ベヒシュタイン、ピアノの耐久力
リストが二十八年間酷使してさへ、更に異状を認めなかったピアノであります。ベヒシュタイン氏はピアノの製造を始めてから病没する迄の四十六年間、自身の製品で修理して更新し得ないものを見た例がないと云ふ事を誇として居りましたが、最近更に驚くべきピアノ耐久力の新レコードが作られた事実があります。夫は本年三月十五日の倫敦モーニング、ポスト紙にも掲載されて居ります、独逸の音楽会での事でありまして、聴衆は其時使用されたピアノが何であるかは知りませんでしたが、兎に角夫が今日独逸で作られて居る最良の名器に相違ないと云ふ事を疑ふ者は一人もありませんでした。処が閉会後そのピアノは五十余年前ベヒシュタインが製造してワグナーがパルシファルの作曲に使用した由緒付のものであると云ふ事が分って、今更に其の耐久力の偉大なのに驚かぬ人はありませんでした。
此の耐久力こそは、世界に冠絶せる優秀なる技術、精撰せる原料、完備せる施設による完璧の製品が更にその品質によって、「有らゆる文明国に於て音楽を語るものにして其の名を知らざるもの無し」と云はれる迄に、全世界に遍く行き亘って、多年有らゆる気候風土の試練を受けて、その如何なる激変に対しても耐へ得る様に、研究を積み改善を加へた結果で御座います。
〔以下省略〕
◆ベヒシュタイン家の伝統的大精神
始祖ベヒシュタイン氏が、ピアノの製造を思ひ立た当時のピアノと云ふものは、ビューロー、リストの如き名手が輩出して、ピアノの音楽が既にその爛熟期に達せんとして居りましたのに比べて、実に隔世の感がある程に遅れて居りまして、到底是等の名手の大芸術を忠実に伝へ得られるものでは有りませんでした。そこで氏は此の不完全なピアノを改善して、如何なる大家も信頼して使用し得る完全なる芸術的ピアノを製造しやうとしたのが創業の端緒で御座いまして、遂にその目的を達成して、斯界其右に出づるものなきに至つたのであります。此の「時代の芸術に最も忠実な奉仕者を作る」と云ふ事が即ちベヒシュタイン家伝来の大精神なので御初代ベヒシュタイン氏の後は、此の大天才の血を享けて天分豊かなる上に更にその到らざるなき訓育と相俟つて、父にも劣らぬ技能の所有者である三人の兄弟によって継承されまして、今は第三代カール、ベヒシュタインも共に責任者の地位に就いて、始祖の大精神を継承して、永久に斯界の王位を維持せん事に精進努力して居ります。
彼の欧洲大戦中、僅かに一部熟練工の従軍の為めと、容易に代用品を得らるゝ一部分の原料の欠乏した為めのみで、一時全然製造を休止致しましたのは、ベヒシュタイン工場が其の製品の声価を維持する為めには、営利を度外に置く事の證左でありまして、又その伝統的大精神の発露に外ならぬのであります。
又此の理想の実現を期する為めには、各部門に亘って専門の優秀な技術者を多数に有する事が最も必要であります。この点に於ても亦ベヒシュタインは他の追随を許さぬ地位に居るので御座います。彼の欧洲大戦を経過した今日、尚ベヒシュタイン工場には始祖天才ベヒシュタイン直伝の妙技を振って三代に仕へ、其の道の権威と称せらるゝ技術者が百九十九人も働いて居ります。之は一面同工場が如何に技術者を優遇するかを語るもので、従ってベヒシュタイン工場には、此の外にも其の技を誇る勝れた技術者が雲の如くに集まって来て居ります。又其の移動の少ない事に於ても独逸第一で御座います。
◆現在の独逸に於けるベヒシュタイン
ベヒシュタイン、ピアノの名が、大音楽家の赫々たる名声と、離るべからざる密接の関係ある事は、前述の通りで御座いますが、是等の大家はその成功の一部は全くベヒシュタイン、ピアノに負ふ処であると迄公言致しまして、その偉大なる芸術を最も忠実に媒介する唯一の理想的楽器として、事情の許す限りは必ず使用するので御座います。
世界で音楽の国と云へば独逸で御座います。その独逸で又音楽の都と迄云はれる伯林は、世界中で最も音楽に理解の深い人々の集まりであります。此の選ばれたる人々の前で自己の芸術を発表する事は如何なる音楽家にとっても登竜門であるか又は檜舞台であるかでなければなりません。従って其の態度は飽く迄真摯に、用意は飽く迄周到であります。楽器の選択に甚大の注意を払ふ事は申すに及ばぬ当然過ぎた事で御座います。その伯林の音楽会で使用されるピアノに就いての統計を調べて見ませう。
ピアノの名称 コンツェルト 独奏会 合計
使用回数 使用人数 使用回数 使用人数 回数 人数
ベヒシュタイン 二四人 二〇回 五四人 三七回 七八人 五七回
スタインウェー 七 六 二五 一四 三二 二〇
ブリュートネル 一〇 九 一九 九 二九 一八
シュタインウェヒ 四 三 二〇 八 二四 一一
其他四種 八 八 八 七 一六 一五
之は兼常博士最近の名著「音楽巡礼」から拝借したもので御座いますが、一目して独逸に於けるピアノの現状を知る事が出来ます。実にベヒシュタイン只一種の数字が、他の総てのピアノの合計に匹敵するの優勢を示して居ります。事実は正に何物よりも雄弁で御座います。
独逸は、楽聖ワグナーを産し、ベートーフェンを生んだ事を、世界に誇ると同様に、ベヒシュタインを産出する事を誇るのであります。今日独逸でピアノと云へば、何人も言下にベヒシュタインと答へます。
◆現今我国に於けるベヒシュタイン
ベヒシュタイン、ピアノを弊社が輸入し始めましたのは大正十年で、未だ至つて日が浅いので御座います。其上弊社はベヒシュタイン家の伝統的信條たる、「ピアノはピアノ自身が広告する」即ち実物広告主義を尊重致しまして、未だ曾て販売上際立った何等の手段をも講じた事は御座いませんのに、一方既に古くから輸入されて居りまして、舶来ピアノの代名詞の様に迄広く喧伝された数種の輸入ピアノの有りますにも拘はらず、忽ち此等を凌駕致しまして、早くも我が楽界に於て動かすべからざる絶対優勝の地位を占むるに至りました。誠に真価の威力の宏大なる事は驚くべき次第で御座います。
音楽評論が本年八月号に発表致しました、我が楽界の三十七名家からの「舶来ピアノ一流品中で何を好まる々か」との問に対する回答を、御参考の為め左に表にして御目に懸けませう。
ピアノ名称 其の名を挙げられた方々 第一番に其の名を挙げられた方々
ベヒシュタイン 二〇 一七
スタインウェー 一四 七
ブリュートネル 七 三
メーソン 五 四
其他三種 五 三
合計 数種を挙げられた方あり、人数と不一致 五一 名を挙げられぬ方々三名 三四
前申上げました様に、輸入後未だ何年にもなりませんのに、既に此の表の通りの好評で御座います。今後年と共に其の真価が広く知れ亘りましたならば、更に驚くべき統計を示す事でありませう。
自画自讃も、誇大な宣伝も、中傷も、総て天下輿論と事実の前には、一顧の価値だに御座いません。
◆東京音楽学校の御用
上野の音楽学校の演奏会を御聴きの方は、先づ其のステージに竝 なら ぶ二台のベヒシュタイン、コンサート、グランドの偉観に目を欹 そばだ て、次でその妙音に耳を傾けられるで御座いませう。
之こそ、既に申上げました通り、先年弊社が技師社員四名を欧米に派遣致しました際、学校の御内命を蒙 こうむ りまして、愈 いよいよ ベヒシュタインに確定しますると同時に、第一番に註文して御納め致しましたもので、音楽学校にも練習用等には他に数種の輸入ピアノも御座いますが、晴の演奏会には此のベヒシュタイン以外には決して御使用にはならないので御座います。
又コハンスキー、ラウトループ両先生も、御家庭では素より、演奏会でも、都合の付きます限りは、必ずベヒシュタインを御使用になって居られます。
因に、新設の東京高等音楽院では、ベヒシュタイン以外の輸入ピアノは一台も御使用になって居りません。
以上はベヒシュタインの価値の片鱗をさへ語るに足らぬもので御座いますが、要するにベヒシュタインによって専門家は最も完全に其の芸術を発表する事が出来ます。ンによって専門家は最も完全に其の芸術を発表する事が出来ます。御家庭に於ては音楽上の喜と満足との極致を楽しませるゝ事が出来ます。商人は其の信用を増し店に品格を添える事が出来ます。製造家は品質測定の標準とする事が出来るので御座います。それ故ベヒシュタインは、楽人の芸術的良心、所有者の選択の聡明と音楽趣味の優越、販売者の責任感と信用の確実を反映する鏡に等しいのであります。ベヒシュタインの名は、ピアノ製造の歴史を通じて比類なきその功業の同義語でありまして、其の製品は音楽の歴史に輝く名手の名と共に、万代不易の大芸術品で御座います。
何品によらず、他に比類の無い世界的逸品を所有して居ります事は、一種霊妙な満足と誇とを感ずるもので御座います。しかも、夫は只一度の僅に余分な支払ひによって得られるので御座います。
ピアノの御保存に就いて
ピアノは四千何百貫と云ふ非常なる張力を支へて、一瞬間の休みもなく此の重荷と闘って居ります一種の生物の様なもので御座います。どんなに丈夫な人でも不養生をすれば、必ず健康を害する様に、如何程堅牢なピアノでも、注意を怠りますと矢張りピアノの病気に罹ります。人も無病でなければ長生出来ぬと同様に、ピアノも常に完全な状態にして置かなければ、ピアノとしての天寿を全うする事は出来ません。夫 それ にはピアノは人間の様に自分で強健法を行ふと云ふ事は出来ませんから、只有害な事を避けて絶えず気を付けて保護してやるより外はないので御座います。ピアノでも面倒を見て可愛がってやれば必ず其の御恩は報じます。
◆少くも気候の変化毎には調律をすると同時に内部の機械の具合を調整します事
寒暑乾湿共に一般の構造から絃の張力に迄多少の影響を與へます。之を放任しますと、ピアノの寿命を縮めるばかりでなく、音楽上耳も手も不正確なものになる虞 おそれ があります。その上絶えず気を付けて異状があったら必ず手入れをする様にして居りませんと、安い料金で容易に直るものが、莫大な修繕料を払っても尚ほ到底回復し難い様な事になります。
◆技師は熟練な人を頼む事
ピアノの命を任せる医者と同じで御座いますから、充分に信頼の出来る人を選む事が肝要で御座います。
近来何会社又は何学校卒業等と云ふ肩書の名刺を持って、地方を流浪して歩く如何はしい者がありまして、夫等の手に懸って大切な愛器を滅茶々々にされた例が沢山あります。信用ある会社や商店が忙しい熟練技師を、当もなく徘徊させる様な事は断じて御座いませんし、又不可能な事であります。二つ無い命を藪医者にかけて台なしにする様な事は警 いまし めたいと存じます。
◆湿気を防ぐ事
ピアノの故障の大部分は湿気の為めと申してもよい程恐るべき大敵で御座いますから、先づ第一に湿気を防ぐ事に努めなければありません。夫には室内に湿気の入らぬ様にして、万一ピアノが湿気を受けたならば早く発散させなければなりません。
ピアノは常に窓際や外気の通じる処、又は窓の外側の壁に接して置く事を嫌ひます。屋内の壁に接して置く場合でも、通風をよくする為めに三四寸間を明けなければなりません。
履の為めに湿気を籠らせて置く様ではいけませんから、外の空気の乾いてゐる日には、ピアノの蓋を明けてやると同時に覆も干して乾かせたいもので御座います。
◆動揺を避ける事
ピアノは其の内部に莫大な重量を包含して居るものでありますから、必ず固定した水平の床又は台の上に安置されなければなりません。若し止むを得ず場所を移転します場合は、充分に用意してピアノ其儘の位置を転換せずに柔かに動かしませんと、誤って激動を與へた為めに案外な損傷を生じた事が往々御座います。
◆虫害に注意する事
ピアノの内部には色々の羅紗類が沢山使ってありまして、他の毛製品同様非常に虫の付き易いもので御座います、乾燥した空気を通す事に注意して、埃を溜めず始終樟脳かナフタリンを入れて置けば、大概防ぐ事は出来ますが、年一二回技師に大掃除をして貰へば夫 それ に越した事は御座いません。
◆暖房装置に近づけぬ事
湿気程の害ではありませんが、過度の乾燥と暑熱も矢張り有害で御座います。ストーブでも火鉢でも成るべく近くに置かぬ様にしまして、出来れば間に衝立の様なものを置く方が有利で御座います。太陽の光線の直射も避けねばなりません。室内を温める必要がありましたら急激にせず徐々に致しまして、余り乾燥しましたら換気法を講じ、又冷却するにも一度にしない様に致したいもので御座います。
◆清潔にする事
埃が積ったり手垢で汚れたりする事は美観を殺ぐばかりでなく、又故障の原因にもなります。室内の掃除をする時は良く包んで置かねばなりません。使用する前に手を洗ふ位の注意はあっても宜敷い事で御座います。
鍵盤の象牙は手の油が染み込んで黄色になり易く、仕舞には裏迄通って剥れる事があります。使用前後特に使用後は入念に生乾きのガーゼを指に巻いて拭ひまして暫く湿気の残らぬ様に蓋を開いて置く様にしますと、白く保つ事が出来ます。鍵盤掛は色物はしない方が宜敷う御座います。
◆蓋の上に物を置かぬ事
必要のないものをピアノの上に置いた為めに塗に傷を付けたり、中へ落ち込んで故障を起したり、甚だしいのは花瓶を倒して内部に水が流れて致命的の惨害を被った例も御座います。
◆素人療治をせぬ事
日常外部や鍵盤の塵を払ったり汚れを拭ふ外は、成るべく内部の機械へは御自分で手を付けぬ様に致し度いものです。其の跡仕末で技師の困る場合が頻々と御座います。
生兵法は大傷の基になります。
ベヒシュタイン ピアノ 竪台第八号型
ベヒシュタイン ピアノ 平台エム(M)型
ベシシュタイン、ピアノ定価表(大正十五年十一月一日)
品種 音域 幅 高(平台ハ長) 定価
竪台第九号型(スモール、アップライト、グランド) AよりA迄八十五鍵 四尺九寸 四尺一寸 二千円
同 第八号型(ブードアール、グランド) AよりC迄八十八鍵 五尺一寸 四尺二寸 二千二百円
同 第七号型(ドゥローイング、ルーム、グランド) 同 五尺二寸 四尺五寸 二千五百円
同 第六号型(コンサート、グランド) 同 五尺四寸 四尺九寸 三千円
平台エル(L)型(リリプット、グランド) 同 四尺九寸 五尺四寸 三千円
同 エム(M)型(ミニアチュアグランド) 同 四尺九寸 五尺八寸 三千三百円
同 ビー(B)型(ブードアール、グランド) 同 四尺九寸 六尺七寸 三千八百円
同 シー(C)型(ドゥローイング、ルーム、グランド)同 五尺一寸 七尺三寸 四千三百円
同 ディー(D)型(フル、グランド) 同 五尺一寸 八寸 五千五百円
同 イー(E)型(コンサート、グランド) 同 五尺二寸 九寸 七千円
総て外廓は黒ポリシュ塗、鍵盤は極上純白象牙張で御座います。
平台ピアノは全部三脚型で御座いますが、御注文によりましては百円増で六脚型も調整仕ります。
ローズウッド、マホガニー又はワルナットの外廓は竪台、平台共一割増で御座います。
ベヒシュタイン、ピアノ日本総代理店
東京市京橋区竹川町十三、十四、十五番地
宮内省御用達 日本楽器製造株式会社東京支店
東京音楽学校御用達 (共益商社)
電話 銀座 一、一二〇 一、一二一 二五六 一、二九一
神田売店 神田区通神保町八 電話 神田 一三八一、三二四八
神楽坂売店 牛込区神楽町三ノ二 電話 牛込 三〇三五
横浜売店 横浜市住吉町五ノ五八 電話 長者町 三四四六、四〇一七
名古屋売店 名古屋市中区栄町二ノ二 電話 東 二七九七
浜松売店 浜松市連尺町三七 電話九三七
特約店