釣り界の最下級釣り師 ~釣りをさせて頂きありがとうございます~

釣りが趣味と豪語しながら、圧倒的な下手さで初心者の嫁にも負ける駄目な最下級釣り師の記録。

廃村探訪 茨川

2022-06-07 22:48:00 | 日記

今回のブログは釣りとは関係なく、個人的な興味から書き綴ったものになります。

普段から何一つ面白くもないブログですが、更に輪をかけ面白くないので、退室されることをお勧めします。。。

唐突ですが、皆さんは廃村を訪れたことがあるでしょうか?

以前、愛知川上流の渓流MAPを調べていて、
とあるブログへ偶然辿り着きました。

そこには、茶屋川の上流にかつてあった「茨川」と呼ばれた孤高の村のことが書かれていました。

私は、こんな山奥に存在した村のことが妙に気になりまして…

ネットでかつて存在した村、茨川のことを色々と検索してみました。

ネットには沢山の情報があり、多くの人がかつて存在した村に関心を寄せていることが分かりました

簡単に茨川について紹介いたしますが、村の発祥については諸説謂れがあり、ここに書くこともそのうちの一つであることはご承知願います。

先ずは、茨川の地図です。


地図を見ると赤色の治田越しと、茨川を挟んで青色の君ヶ畑越しがあります。
茶屋川にある緑色の林道は、近代になって開通しているので、昔は三重県側の治田越しと君ヶ畑越しのルートしかありません。

では、茨川の発祥ですが…

茨川は810年に、蛇谷で銀を採掘するようになり、その事従者により出来た村であることが発祥の謂れの一つにあります。
また、1540年の文献には近江商人や三河商人、永源寺へ参拝に行く人々が、治田や君ヶ畑越えの際に休憩地の茶屋として栄えたとの記録もあるようです。
茨川林道に沿って流れる茶屋川の名称はその名残でしょうか?

蛇谷の銀山について、810年に本当に採掘されていたのかは分らないようです。

ただ、銀の精錬技術が日本で確立され始めたのは、810年よりもずっと後で1550年頃になりす。

その頃になると、博多の商人である豪商神屋宗湛氏が、マカオに人材を送り新しい精錬法を学ばせていることや…
1590年頃には旧財閥の一つ、住友の家祖となる住友政友氏の義兄である蘇我理右衛門氏が、南蛮人より銅と銀を分離させる精錬技術を習得していた年代と重なります。

よって、1500年代中頃には、銀や銅の精錬技術が飛躍的に進歩し、日本での採掘が行われていたことが伺えます。

このことから、茶屋として存在した文献と合わせてみると16世紀中頃には確実に存在した村であると思われます。
少なくとも400年以上も続いた村であることは間違いなさそうです。

では、そのとても歴史ある村がなぜ廃村になったのか…

行政が廃村とした期日はよく分かりませんでしたが、廃村になったのは昭和40年とのことです。

廃村の時期については、他にも昭和38年説もあるようです。
しかし、最後に離村した筒井正氏が、昭和40年と語っておられることから、事実上廃村したのはこの年で間違いないようです。

離村する日にはNHKラジオの取材にて、当時筒井正氏の父である睦雄氏が、閉村を宣言されているとのことです。

皆様もご承知の通り、昭和40年頃といえば日本はまさに高度経済成長の真っ只中…

昭和25年頃には、白物家電三種の神器と言われた白黒テレビや洗濯機、冷蔵庫が一般家庭に普及し始め…
昭和39年には新幹線開通や、オリンピックが開催され日本史上輝かしい時代の1ページであり…
昭和45年には大阪万博が開催…

まさに日本が世界に羽ばたいていた時代です。

そんな輝かしい時代の中、インフラも全く開通せず、昭和40年まで電気すらない生活を送っていた茨川…
高度経済成長の裏で、何があったのでしょうか?

その辺りも調べて見ました。

また、時代は遡りますが…

この蛇谷の銀採掘も、明治には終りを迎えることになります。
銀山の終焉により、村の存続も厳しい状況になって行く中…

製紙事業を営む企業が木材伐採の目的で茶屋川の林道工事を始めます。

当時、茨川の集落は治田越しと君ケ畑の越しが、唯一外界と繋ぐ道であったため、この林道工事は願ったり叶ったりの事業であったようです。

そして、この事業に便乗し、村でも費用を負担して茨川林道を村まで開通させることが出来ました。 

これにより、昭和29年に茨川は林道を通じて八風街道である、現在のR421号線と繋がることが出来ました。

当時、村の発展を願う人々としては、林道の開通は村の安泰が約束されたも同然…と、思ったのではないかと推察します。

しかし、この思惑とは違う方向に村の運命は進むことになります。

それは、外界と繋がることにより、村民の離村が一気に加速してしまう結果になったのです。
これにより茨川は、凋落の運命を辿ることになります。

そして、昭和40年8月…

400年を越える歴史ある村が、日本の地図から消えることになりました。

終焉を迎えた村の営みについては、廃村となる直前まで住んでおられた方々による記録に残されています。

その記録は、「廃村 茨川の思い出」に綴られています。
この書籍は東近江市にある図書館にあり、「廃村 茨川の思い出」は、是非拝見したいと思っております。

私はネットから簡単に情報を得ていますが、今ネットに掲載されている記事は、多くの書籍や文献を読み説き…
また実際に茨川に住んでおられた方々から直接インタビューされた先人方によって得られた貴重な情報です。

私のような輩が語っていいようなものではないように感じておりますが、敢えて備忘録として残しておこうと思いました。
どこまで正確に書けているか分かりませんが...(-_-;)

ともあれ、ここまで調べてしまうと居ても立っても居られず、ここを訪れたくなった次第であります。

なので、前回の愛知川釣行に際し、この廃村である「茨川」へ訪れてみました。

昼食後、釣りを一旦中断して、この茨川林道の最終地点を目指します。

最終地点は八風橋から約10kmです。
既に5kmを少し越えた地点にいたので、平坦な林道でもあり、ここからであれば20分もあれば十分行ける距離です。

今日の相棒はアンオーソライズド33rpmです。

キャノンデールの方はペダルをビンディングにしてますが、こちらはフラットペダルにしているので気軽に使えます。
ただ、ブーツのフェルトがピンで傷まないかが心配ですが…

林道を無理のないペースで進んで行きます。

山奥に入っているのですが、林道は若干勾配がある程度であり、また林道が整備されていることから、それほど山深いイメージはありません。
途中、猿の群れに遭遇しましまが、幸い猿の方が逃げ出してくれました。

茨川の廃村へは八風橋から約10㎞であり、サイクルコンピューターの自走した距離(DST)をみることで、どこまで近づいたか推し量ることが出来ます。

そのサイクルコンピューターのDSTが11㎞に近づいた時でした。

突然開けた場所にでました。

ここが、茨川林道の最終地点であることは、ネットで画像をみていたので直ぐに分かりました。

そして、かつては茨川にあった村に通じる橋…
今は、橋は流されてしまい、一部しか残っていませんが、この橋のすぐ先が茨川です。

この標識を見て、目的地に到着したことを実感しました。

しかし、最終地点には、釣り師と思われるジムニーと軽トラが停車してあり... 

また、焚火の跡もあることから、引っ切り無しに人が訪れているのは噂通りで、秘境というイメージはありません。

しかし、ここに昭和40年まで、400年以上も続いた村が存在していたことを思うと、とても感慨深くなります。

自転車を押して川を渡ります。

渡って直ぐに小屋が見えます。


比較的綺麗な小屋でであり、廃村とは思えませんが...

この小屋は、八幡工業高校山岳部が山小屋として使っているようです。

この小屋を通り過ぎると、石垣が積まれています。

石垣はとてもたくさんあり、ここに昔は家が建っていたことが容易に想像できます。


その先に、青い屋根の家があります。

この小屋は、名古屋大学が使っているようです。


この辺りは、この小屋以外は石垣の跡が残っているくらいですが…


なんだかとて懐かしい気持ちになりました。


他にも、神社があるのですが…

午前中の釣りで、まだ一匹も釣っていない状況であり、また時間もあまりなかったので釣りに戻ることにしました。

今度はゆっくり、訪れたいと思います。

釣りポイントを探して戻ります。

帰りは若干下りになっているので、ラクに漕いで行けます!


この林道を走りながら思うことは...
生活を楽にする為に自分達も費用を負担し、林道を開通させた結果が離村を加速させる要因になったこと…

なんとも皮肉な話です。

でも、もしかしたら…
林道を通すことによって、茨川を離れやすくしたいと願っていた人々もいたのでは?
廃村となった結果からそう思わずにはいられません。

この茨川の廃村は、何も昔に限ったことではありません。
現代においても、少子高齢化による人口の減少は勿論、人口の一極集中が進んでいます。

今後、多くの地域が衰退していくでしょう。
そして、空き家となった集落が、今までにないペースで増えていくことになる流れは既に始まっています。

私が住んでいるところも高齢者が多く、殆どの若い人たちは都市部へと出て行っている状況です。

今後20年…地方の様子は大きく変わって行きそうです。

諸行無常…

時代の流れとは言え淋しいものですね。

コメント (2)
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