思いっきり馬鹿にされる(もしくはドン引きされる)と思いますが…。
私は、「徳之島」と「徳島」の区別がつかない人間でした。
が…全然違いました。 地理も文化も…
。
海を渡って「島」まで来ると、気候・景色・食文化・音楽…から、
鹿児島と言うより、私の中では限りなく「沖縄」でした。
それもそのはず。 奄美の歴史を辿ると、
室町・安土桃山時代の頃、この辺の島は「琉球の支配下」にあったそうです。
そして江戸時代になると、薩摩が、琉球・奄美を支配…。
昔は日本中、領土を取ったり取られたりの大変な時代だったと思いますが、
境界がハッキリしている「島」は、陸繋がりの本州とは違い、
他には無い、ミックス→アレンジ…という、独自の文化が感じられます。
犬田布岬
戦艦大和慰霊碑

第二次世界大戦末期、こちらも兵の命を軽んじた“特攻玉砕思想”の元、
大本営の参謀たちの「国体護持」という大義名分により、
3737名の艦隊員が犠牲となった。
当時、徳之島の犬田布沖に沈んだと断定されていたため、
ここに慰霊碑が建てられた。 …らしい。
そこから見えた海岸線

個人的に、暖かい時期の知床を思い出させる…感じ。
犬の門蓋

島が大飢饉に襲われた際、
飢えて人を襲った犬をここから海へ投げ込んだ所。 …らしい。
メガネ岩を通り抜けると、こんな感じ

海水の掛かる岩に芝が生えている事…に感動

島の岬は、どこも綺麗

離れて見るとこんな感じ

人が登っているの…分かるかな?
閑散期の為か、徳之島で観光客に出会ったのは、
この人を含め、2組しかいませんでした。
因みに、礼服を着て観光されていたこの方は、
おそらく会社関係で、従業員の親の葬儀に来た人…で、
「遠いところわざわざ…。折角ですから少し観光でも…。」と、
親戚のお婆ちゃんに案内して貰っているっぽかったです。
どこへ行っても「貸切」の様な観光は…、もう少し続きます
。
私は、「徳之島」と「徳島」の区別がつかない人間でした。
が…全然違いました。 地理も文化も…

海を渡って「島」まで来ると、気候・景色・食文化・音楽…から、
鹿児島と言うより、私の中では限りなく「沖縄」でした。
それもそのはず。 奄美の歴史を辿ると、
室町・安土桃山時代の頃、この辺の島は「琉球の支配下」にあったそうです。
そして江戸時代になると、薩摩が、琉球・奄美を支配…。
昔は日本中、領土を取ったり取られたりの大変な時代だったと思いますが、
境界がハッキリしている「島」は、陸繋がりの本州とは違い、
他には無い、ミックス→アレンジ…という、独自の文化が感じられます。
犬田布岬
戦艦大和慰霊碑

第二次世界大戦末期、こちらも兵の命を軽んじた“特攻玉砕思想”の元、
大本営の参謀たちの「国体護持」という大義名分により、
3737名の艦隊員が犠牲となった。
当時、徳之島の犬田布沖に沈んだと断定されていたため、
ここに慰霊碑が建てられた。 …らしい。
そこから見えた海岸線

個人的に、暖かい時期の知床を思い出させる…感じ。
犬の門蓋

島が大飢饉に襲われた際、
飢えて人を襲った犬をここから海へ投げ込んだ所。 …らしい。
メガネ岩を通り抜けると、こんな感じ

海水の掛かる岩に芝が生えている事…に感動

島の岬は、どこも綺麗

離れて見るとこんな感じ

人が登っているの…分かるかな?
閑散期の為か、徳之島で観光客に出会ったのは、
この人を含め、2組しかいませんでした。
因みに、礼服を着て観光されていたこの方は、
おそらく会社関係で、従業員の親の葬儀に来た人…で、
「遠いところわざわざ…。折角ですから少し観光でも…。」と、
親戚のお婆ちゃんに案内して貰っているっぽかったです。
どこへ行っても「貸切」の様な観光は…、もう少し続きます
