「大塚公園で子どもたちの生活指導をしたいと思って、というのは、その夏、東京で赤痢がはやり、子供たちがいっぱい赤痢になったからです。
子どもたちは絵本にヒマワリが咲いているのを見ると、「これ絵だけだろ」っていうんです。
本物のヒマワリを見たことがないのよね・・・。
そこで、ヒマワリのたねを五つぶ、その公園の隅の箱にまいて、かわりばんこにをかくことにしました。
はじめの子は、待ちきれなくて箱のもく目を実によくかいていたんです・・・。
そしてとうとう二本のヒマワリが咲いたので、みんなのかいた絵を町の人たちに見てもらうことにしました。
絵をかざる壁面が無いので困っていると、いつも赤ん坊をおぶってうろうろしていた十二・三才の、今でいう精薄児の子が急に、「先生、そりゃすぐできる。」っていいだしたの。
木と木の間に二本の縄をはり洗濯バサミではさめばいいというのです。
さっそくそのとおりにして展覧会をやったのですが、みんなにとてもほめられました。
そこで、終わってからの話し合いの時、「かざり方を考えてくれたのはだれだっけ。」というと、「シノザキサン!」とかいうの、いつもは「バカ」って呼んでいるのに・・・。
そこで、お礼のかわりに、前に出て来てもらって拍手をすることにしました。
すると、その子は、すました顔で前に出て来ると、深々とおじぎをしてみんなの拍手に応えたんです。
実に立派なおじぎをして・・・。
あの時の光景を、今でも忘れることができません・・・。
日本の教育は「おじぎ」なんてものを夢中になって教えたのです・・・。
その子は、自分がみんなの役に立ち、そして感謝してもらったので、心の底から「おじぎ」をしたんです・・・。
人は、自分がみんなの為になったって思うと自信ができてくるんです。
教育っていうものは、「生きていてよかった」っていう経験を子どもたちにさせることなんです。
「生きていてよかった」っていう気持ちを持たせることなんです・・・。」
(全国幼年教育研究協議会第10回大会記念講演より・要旨)
◆参考文献
・幼年教育五十年ー子どもは未来のものー (羽仁説子著 草土文化)
・妻のこころー私の歩んだ道ー (羽仁説子著 岩波書店)
-中村 光夫-
子どもたちは絵本にヒマワリが咲いているのを見ると、「これ絵だけだろ」っていうんです。
本物のヒマワリを見たことがないのよね・・・。
そこで、ヒマワリのたねを五つぶ、その公園の隅の箱にまいて、かわりばんこにをかくことにしました。
はじめの子は、待ちきれなくて箱のもく目を実によくかいていたんです・・・。
そしてとうとう二本のヒマワリが咲いたので、みんなのかいた絵を町の人たちに見てもらうことにしました。
絵をかざる壁面が無いので困っていると、いつも赤ん坊をおぶってうろうろしていた十二・三才の、今でいう精薄児の子が急に、「先生、そりゃすぐできる。」っていいだしたの。
木と木の間に二本の縄をはり洗濯バサミではさめばいいというのです。
さっそくそのとおりにして展覧会をやったのですが、みんなにとてもほめられました。
そこで、終わってからの話し合いの時、「かざり方を考えてくれたのはだれだっけ。」というと、「シノザキサン!」とかいうの、いつもは「バカ」って呼んでいるのに・・・。
そこで、お礼のかわりに、前に出て来てもらって拍手をすることにしました。
すると、その子は、すました顔で前に出て来ると、深々とおじぎをしてみんなの拍手に応えたんです。
実に立派なおじぎをして・・・。
あの時の光景を、今でも忘れることができません・・・。
日本の教育は「おじぎ」なんてものを夢中になって教えたのです・・・。
その子は、自分がみんなの役に立ち、そして感謝してもらったので、心の底から「おじぎ」をしたんです・・・。
人は、自分がみんなの為になったって思うと自信ができてくるんです。
教育っていうものは、「生きていてよかった」っていう経験を子どもたちにさせることなんです。
「生きていてよかった」っていう気持ちを持たせることなんです・・・。」
(全国幼年教育研究協議会第10回大会記念講演より・要旨)
◆参考文献
・幼年教育五十年ー子どもは未来のものー (羽仁説子著 草土文化)
・妻のこころー私の歩んだ道ー (羽仁説子著 岩波書店)
-中村 光夫-