郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

周年行事に作成した社会科副読本ー6

2018年02月27日 | 日記
私たちの学校は1935(昭和10)年6月8日に創立し、東京府東京市向島梅若尋常小学校と称しました。
そして、開校は翌年の1月8日、1322名の児童が集まり24学級で始まりました。
何と1クラス児童が55人という計算になります。

やがて、「太平洋戦争」の時代に突入していくわけですが、1941(昭和16)年には向島梅若国民学校と校名変更しました。

副読本の構成は明治の頃から始まり、学校ができるまで16ページも割きました。
昔を知っている方からの聞き取り内容は貴重なものでしたから…。
そして、学校ができてからの戦前に8ページ、戦中から敗戦直後まで6ページ、戦後の新教育に4ページ、新校舎ができてから現在までを10ページという設定です。

最も神経を使ったのは、戦争前後の記述の仕方や掲載する資料でした。
敗戦後、教育方針が大きく変化して民主主義に基づいた教育が始まり、現在でもその延長線上にある。
これらを大切にしてさらに発展していこう…という流れを作りたかったのです。

現実には敗戦後の民主主義が早くも反動化して、さらに、この副読本作成時の頃は臨時教育審議会(臨教審)の第一次答申が出され、「我が国の伝統文化」とか「日本人としてに自覚」という文言が並びました。
それまでは、様々な課題はありながらも学校教育は日教組と文部省が対峙しつつ教育政策を決定してきたのですが、中曽根内閣が臨教審を立ち上げてからは政治主導の教育が幅を利かせ始めたのです。

もともと保守的な地域ですから、下手に教員たちが突っ走ると叩かれたり足を引っ張られる可能性は十分にありました。
しかし、先述した様な経過(表面には出ない不満もあった様ですが)を含めて、ほぼ私たちがねらった内容に仕上げることができました。

掲げた資料の一部を紹介します。
















-S.S-


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