夏の甲子園(野球)が中止とのことですね。
高校総体の中止が決まっていたのですから、高校野球だけ行うわけにはいかなかったと思います。
それはともかく、高校野球とか、高校総体とか、大会がなくなったことは、残念なことなのです。
しかし、それは主催する人や、観戦を予定していた人々の多くがそう思っているだけで、それぞれの競技を行っている人(選手)の多くが、実はそれほどではないのではないかと思うのです。
(一部の上位の人や強豪チームは別として。)
実際にスポーツ選手のしたいことは、「試合(競技会)」です。
それが「大会」とか「公式」かは大した問題ではないと思うのです。
逆に考えれば、今の感染症禍が収束して、またスポーツができるようになったら、それぞれの地方で、特に選手以外の「主催者」「役員」「審判」などの人々が、選手のために精一杯の運営を心がけて「試合(競技会)」を行えば、それはそれで選手にとって、「スポーツをやっていてよかった。」と思ってもらえるのではないかと思います。
「全国大会には及ばないかも知れないけど、精一杯の運営を。」
全国大会がないのなら、その分のお金や人員や労力を身近な大会に使えば、「かわいそう」などと考えなくてすむと思います。
このようなことを、地方(都道府県、市町村)まで伝えるのが、スポーツ庁の役目だと思うのですが、一体どうなっているのでしょう?
-K.O-
k.Oさんご指摘の通り、という感じです。
私の孫(中1と小五)は二人ともサッカー漬けの日々を過ごしています(現在は、すべて休みで、クラブからの指示でランニングとかしていますが)。
本人たちはどう思っているかわかりませんが、徐々に選別されていきます。
プロへの道はどこかで「夢見ている」かもしれませんが、まず、プロ選手になることはどのスポーツでも、ほとんどの子どもは可能性はありません。
やがて、それを気づきながら、「楽しみとしてのスポーツ」に自分の気持ちを切り替えていくのでしょう。
そのプロセスをジージとして見ているのも少々胸が痛みますが。
全国大会などを主宰し運営している大人は、どのような気持ちなのでしょうか。
オリンピックも同じでしょう。
その背景には、「名誉」と「お金」は無縁ではないでしょう。
スポーツとは無縁な(観客としては無縁ではありませんでしたが)私の場合、それ以外の人生選択のプロセスなどとかぶせて想像するだけですけれど。
-N.K-