明治四十五年、東京朝日新聞に掲載された中勘助の「銀の匙」には、明治二十年代の小石川の子どもたちのようすが生き生きと描かれていました・・・。
「あの静かな子供の日の遊びを心からなつかしくおもう。そのうちにも楽しいのは夕がたの遊びであった。ことに夏のはじめなど日があかあかと夕映えの雲になごりをとどめて暮れてゆくのをみながら、もうじき帰らなけ れば、とおもえば残り惜しくなって子供たちはいっそう遊びにふける。ちょんがくれにもめかくしにも、おか鬼にも、石けりにもあきたお国さんは前髪をかきあげて汗ばんだ額に風をあてながら
「こんだなにして遊びましょう」
という、私も袖で顔をふきながら
「かーごめ かごめ をしましょう」
という。
「かーごめ かごめ、かーごんなかの鳥は、いついつでやる・・・」
・ ・ ・ ・ ・
夕ばえの雲の色もあせてゆけばこっそりと待ちかまえてた月がほのかにさしてくる。二人はその柔和なおもてをあおいで、「お月様いくつ」をうたう。
「お月様いくつ、十三ななつ、まだとしゃ若いな・・・」
お国さんは両手の目でめがねをこしらえて
「こうしてみると兎がお餅ついてるのがみえる」
というので私もまねをしてのぞいてみる。
あのほのかなまんまるの国に兎がひとりで餅をついてるとは無垢にして好奇心にみちた子供の心になんといううれしいことであろう。
月の光があかるくなればふわふわとついてあるく影法師を追って「影やとうろ」をする・・・」
-M.N-