郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

地域の戊辰戦争 ー「脱走派」に思いを寄せてー(8)

2022年04月24日 | 日記

戊辰戦争は、その後の明治政府によって位置付けが明確にされたのである。

 

同じ戦死者も、新政府軍の死者は殉死とされ時の行政によって丁寧に葬られているのに反し、旧幕軍の死者はその墓さえ明らかでないものもある。

 

私が訪れた海神の念仏堂の墓地には、撤兵隊(「市川・船橋戦争」で戦った旧幕軍)の江原鋳三郎(江原素六)と格闘して戦死した新政府軍の小室弥四郎(福岡藩士)たちの墓が整然としてあった。

いわゆる官修墓である。

 

 

傍に立てられた表示板によると、「千葉県は殉国の志を哀れみ、明治十九年三月にこの 墓碑を建立しました。」と書かれていた。

また、墓碑の左側面には「賊徒追討ノ役...」の文字も読み取れた。

 

 

ここ海神の地は、「市川・船橋戊辰戦争」の最激戦地だったとも伝えられており、江原は味方の援護によって九死に一生を得たのだが、旧幕軍は敗走した。

かつては、ここにも旧幕府側の戦死者が葬られた墓石も在ったようだが、既に現在は存在が不明となっている。

残念なことだ……。

 

尚、余談だが、江原鋳三郎はその後、人を介して小室弥四郎の遺族が分かれば扶助したいと調べさせたが、結局、小室の墓には誰も訪れる者はいないということが分かったに過ぎなかったという。

どんな立派な墓を建てられても、死んでしまっては何の意味もない。

官軍と言えども、時代に翻弄された犠牲者に過ぎなかったのである。

 

 

-s.s-


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