郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

映画「判決、ふたつの希望」を観た

2018年10月06日 | 日記
何とか最終日に間に合った「判決、ふたつの希望」の鑑賞
例によって千葉劇場はシニア1000円で自由席!




このレバノン人の監督による映画は、レバノンのパレスチナ難民とキリスト教徒の二人の男の日常における些細な諍いから始まり、裁判という法廷の場に話が移っていきます。
やがて、この「事件」は周囲の人々や国を揺るがす大きな社会問題にまで発展してしまいます。

そこには、民族や宗教(キリスト教徒とムスリムの対立)の問題が大きく絡み、それぞれが歩んできた人生や歴史における悲劇も重なって、互いが歩み寄るのが極めて困難な状況が浮き彫りになります。

しかし、自らこのレバノンの事実を体験して来たパリ在住の監督は有能な女性脚本家(監督の元妻)と共に、この難しい社会状況から目を背けることなく立ち向かいます。

実は、この映画は監督自身のレバノンでの体験に基づいたものでもあります。
1970年代から15年ほども続いた悲惨な内戦の一部をムスリムであった両親と共に少年時代に体験しているのです。

この映画の冒頭に「この映画は監督の見解であり、レバノン政府の公式見解ではありません」という内容の字幕が出てきます。
国内での上映を巡っては様々な軋轢があって容易に許可が下りなかったようです。
それだけ政治的な映画としても受け取られる内容でもありますが、実は監督自身が描こうとしたのは政治的背景よりも人物のキャラクターや物語そのものの深化に主眼があったようです。

とは言っても、私は勝手に背景を想像し今をその場で生きる人間たちとしてリアルに感じていました。
監督が人物を描こうとすればするほど、私には現実の世界の生きにくさを思わずにはいられませんでした。
それだけ、レバノンという国の置かれた位置は厳しいものがあるように思えるのです。

今、現在もこの小さな中東の国は、とりわけ「難民問題」をかかえて苦悩していますが、絶望や虚無感に陥ることなく未来へ向かって希望を求めて動いていけるような雰囲気を映画は漂わせています。

邦題である「判決、ふたつの希望」が示すように、この二人の男たちがある意味でしがらみを捨てて一人の人間として互いに向き合った時に何かが始まった感じがします。

民族や宗教にとらわれずに穏やかな市民生活が送れるのは理想ですが、一朝一夕に可能なはずはありません。
「そんなの関係ネー!」としたり、「宗教なんてあるからダメなんだ!」と決めつけたりして解決できるものでもありません。

ただ、この映画が示しているように胸に溜まっているものを互いに率直に吐き出した時、そして周囲が共に当事者に寄り添って前へ進もうとすれば必ず解決の糸口が見えてくるものです。
もちろん、「周囲」とは周りの関係者から始まり国家にまで行き着きます。
それが信頼に足るものであれば、少なくとも即時的に抱えた困難は緩和すると思うのです。

決して比較するレベルのものではありませんが、政府が難民はおろか国内に生活する外国人を排斥・差別するどこかの国のような冷たさを感じることはありませんでした。
この映画では…。

「観て良かった‼️」と思う映画でした。

-S.S-



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