最後に、私たちの地域を象徴する船橋大神宮(意富比神社)に遺(のこ)る戊辰戦争の傷痕を紹介する。
この神社は、原初に溯れば古代の太陽神信仰に基づくものとも言われており、歴史ある神社である。
氏子のみならず多くの地域の人々からも信仰や人気を集めているが、家康を筆頭に時の権力者たちも多くが何らかの関わりを持ってきた場所でもある。
(江戸時代、夜間に船橋沿岸を航行する船が目印にしていた常夜灯だったが、戊辰戦争で焼失。1880年に再建された西洋式灯台のデザインを取り入れた灯明台)
この地に、撤兵隊(旧幕府軍)の本陣が置かれたのである。
しかし、新政府軍に南北から挟み討ちにあい、砲弾を放たれて炎上し敗走するに及んだ。
この際に敷地内の樹木も焼かれて消滅したが、焼かれながらも唯一生き延びたと言われる欅の木があるのだ。
当時の本木は命尽きて今では焼け痕を残すのみだが、その根元から出てきて育った新木が大きく育っている。
神社では、この木を神木として現在も大切にされている。
目に見える形で、それも生きて存在する戊辰戦争の証人とも言えるのではないか……。
「脱走派」という客観的な表記は当の武士たちには不本意であろうが、時の新権力に抵抗する武士たちに熱き思いを一方的に寄せる私には、敢えて彼らを客観視して対象化するのが相応しかった。
これで生まれた新政権は、天皇制を巧みに使い戦争と民衆抑圧の時代へ突入する。
そして、民衆の大きな犠牲を経て成立した戦後の民主主義は、とりわけ今、安倍政治を典型とする自民党・公明党政権によって脅かされ、明治政府時代に戻るような理念のもとで政治がなされている。
こんな今だからこそ、自分の足下をしっかり見つめ直し、「負の歴史」からも学び取る必要があると考えている。
-S.S-