郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

周年行事に作成した社会科副読本ー4

2018年02月16日 | 日記
私たちは社会科副読本を想定して編集していたのですが、同時に卒業生を中心とする地域の人々にとっては「50周年記念誌」でもあったのです。

これは色々な意味で重い課題を持つものでした。

たてまえは、3年生が学区周辺を中心にした地域の移り変わりを学習するのための副読本ですが、教科書ではないし指導要領にとらわれる必要はありません。
内容的には3年生というより全学年に適応したものに仕上げて行きました。

PTAも数年計画で資金集めのバザーや廃品回収等を行って協力する態勢をとってくれました。
もちろん、この副読本にも大きな期待が寄せられていました。
多くの親たちが本校の卒業生ですから、私たちも頼りにしている反面、緊張感もありました。

最終原稿のゲラが上がってきた時に、初めて内容を目にしたPTA会長の言葉が印象的に今でも脳裏に残っています。
「やっぱり◯◯先生らしいものになったね。ちょっとどうかなぁと思う所も正直あるけど、私は文句は挟まないよ。先生たちを信頼して任せたんだからね。」
今、考えると編集を全て教職員だけに任せてくれたPTAは随分と太っ腹だったんだな…と思います。


さて、副読本の大雑把な内容は紹介しましたが、私たちが大事にしたのは「聞き取り」とともに絵や写真でした。
最も説得力があるのは当時の写真でしょうが、容易に手に入りません。
その代わりになったのが、最初に紹介した鶴岡さんの描かれた絵でした。
これは、特に子どもにとっては写真以上に関心を深めるものだったと思います。

絵は口ほどにものをいう!
何点か紹介します。


これは、隅田川神社(水神様)の祭りの時(6/14・15)の様子です。
隅田川の舟人たちの守り神、水神に向かうため御輿を船に積んでねり歩いたとのことで、今でも祭りは続いています。


これは、地域の「首塚地蔵尊」(戦災で焼ける前のもの)の縁日での様子です。
南北朝時代の戦で多くの人々が殺され川原に埋められていたものを、江戸時代末期に土壁の原料の泥を掘り起こす職人が偶然発見して葬ったのが始まりだそうです。
今でも首塚はご利益を求めてお参りする人が絶えません。


これは、墨堤の花見の頃の様子です。
隅田堤の桜は江戸時代から多くの人々に知られた名所でした。
元々は、隅田川の洪水を防ぐために桃や柳などの木とともに植えられたものだったようです。


-S.S-

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