「教わりたくない。」と
「学びたくない。」というのは、
本質的に「同じ」と言ってよいと思います。
ここからは、本題です。
子ども達の様子を見ていると、
「楽しいから、もっと教えてほしい。」
と
「やる気になったから、もっと学びたい。」
というのは、少し意味が違うと思うのです。
教育現場にいると、
「みなぎる意欲」で、「今日は何を教えてくれるのだ。」
という子ども達と出会うことがあります。
その一方で、
「今日は先生がいようが、いまいが、ガンガン進めるぞ。」
という子ども達と出会うことがあります。
どちらも「意欲的」という意味では同じだと思います。
しかし、前者の「教えてほしい。」子ども達は、
教師が伝えるどんなことも、細大もらさず、
身につけようと努めます。
その一方で、「学びたい。」という子ども達は
その中でも、自分達の価値判断で合わないものは
「聞き入れない」
という場合があります。(例えば、ちょっとした小ネタを話したときにハズレてしまう。)
私は「子ども達にどう育ってほしいのか?」などとは
おこがましくていえないのてすが、直接かかわる子ども達には、
「教えてほしい。」
と、素直に言われるような教師でいたいな、とは
いつも思っています。
-K.O-