今回は禅語の話をします。「忘筌」(ぼうせん):目的を見失わ
ずに。と言う意味だそうです。
「意を得て言を忘れ、理を得て教を忘るるは、猶(なお)、魚を
得て筌を忘れ、兎を得て蹄を忘るるが如し」と言う言葉がある
そうです。「筌」(せん)は竹を編んで作られた「伏籠」(ふせご)
と言う漁具。「蹄」(てい)は、兎捕りに使う罠です。筌や蹄は魚
や兎を捕る大事な道具ですが、しかし、それらはあくまでも道
具であって、目的は魚や兎です。捕らえてしまえば、道具はも
う不用であり、どこか得しまって於けばよいものです。
これは禅者の心構えです。禅者は悟りを得ようとして弁学修行
に励みますが、仏意を得、真理を会得すれば、修行の手段方
便として用いてきた教説や言説はもはや不要であって、いつま
でも理屈理論にとらわれてはならないと論しています。
「意(仏意)を得て言を忘れて、「理(真理)を得て教を忘れる」
態度であり、魚や兎を捕まえた後は筌や蹄などの道具を片付
けるのと同じことです。
私達の日常を振り返っても、人生の大事なことを忘れ、枝葉末
節にこだわったり、執着したりすることが多いのではないでしょ
うか。そんな時、あらためて「忘筌」の語を味わい直したいもの
です。確かに、その通りのことが日常生活の中に、変にこだわ
ったり意固地なったりすることがありますね。要は、小さなつま
らない事や、自分勝手なことに執着していては人生は開けない
と言うことでしょうね。反省・・・・・