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実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな。

2018-01-25 15:42:42 | 日記・エッセイ・コラム

大慈院住職  戸田実山 さんの言葉より

「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」
稲穂は実れば実るほど頭を垂れるものなのだ。人間も実れば実るほど、偉くなればなるほど頭を垂れなくてはならない。ところが近頃は大企業の偉い方や、偉い政治家がテレビカメラの前で何度も何度も頭を下げさせられている姿が映し出されています。あれは実った稲穂が頭を垂れているのとは大違い、一体誰に誰に向かって下げられている頭なのでしょう。多分、いつの間にか自分の力を過信し、俺は偉いんだ。と思い違いをしてしまう。上から物を言うようになり、そのうち人を見下し、実り過ぎてジュクジュクに熟れた柿のようになって、地面に落ちて泥まみれしまう。
一代で世界に冠たる会社を立ち上げた偉大な起業家も、いつの間にか世界から消えてしまう。これは、政治家や実業家だけでなく一般人・僧侶も特に気を付けなければならない事柄なのだと思います。今時の若い僧侶は、昔の老練謙虚な僧侶程でないにしても、俺たちは別だ(何が別なのか解かりませんが)、という少し間違った優越感が時たま頭を出し世間の顰蹙を買う。
今こそ「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」の事を心掛けたいものです。と言っています。
私もいつも思います、子供のいじめによる自殺。学校の対応に対していつも思うことは、先生自身の自分の身を守るために「知らなかった」という言葉です。そして現場の先生を統括する教育委員会の偉そうな態度です。追及されると現状を認めテレビの画面で頭を下げて謝る。何時もこの状況です。何度テレビで見たことでしょう。
昔から、誤って済むのなら警察はいらない。という言葉があります。もう一度考え直さなければならないことです。
以前に学校の先生がお見えになり、荒れた自分の子供たちの教室をどうしたらよいでしょうか?と相談されたことがあります。私が先生に質問しました、教育とは何ですか?、授業とは何ですか?先生は答えられませんでした。
その意味を話してあげましたが、教育者である先生がこれでは困りますね。