禅語 その10
「身心脱落」 (しんしんだつらく)
身心ともにさっぱりと 正法眼蔵(道元)
「脱落」は落ちこぼれとか、離脱する意味ではなく、一切のしがら
みから脱し、さっぱりした境地のことです。
道元の著「正法眼蔵」に、如浄禅師が「禅の修行には、焼香も礼
拝も念仏も懺悔も読経も不用。ただひたすら坐禅をすることが身
心の脱落に通じる」と説いたと言います。
ひたすら坐禅し、身も心も一切の執着を離れた、自由で清々しい
境地が「身心脱落」なのです。欲しいもの方に入らない(求不得苦
)、自分は他人より損をしているといった悩みは、他と比べる心と
執着から生まれるものです。身心脱落とは、「わたしの身心」「他人
の身心」という考え方を含め、一切の執着から離れることを意味し
ます。と説いています。
ここでは「執着心」について説いています。自分にだけ執着している
といろいろな問題が起こってきます。自分中心に物事を考えずに大
きな心で捉えることが大切でしょう。
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