射水キャンパス(旧商船高専)の様子です。さすが、明治39年新湊町立新湊甲種商船学校として設立され、明治42年富山県立商船学校、昭和14年に国立に移管され富山商船学校となり、昭和26年富山商船高等学校、昭和42年6月に富山商船高等専門学校を経た歴史ある学校です。写真は100周年記念碑です。
大正10年に改築されたときの記念碑です。富山県立商船学校と彫ってあるのがわかります。この石碑を彫った人は、100年もあとの人がどういう姿格好でこの石碑を読むかなあ、と思ったでしょうか?次の100年後の人はどのような姿格好でしょうか?1000年後はどうでしょうか?宇宙人みたいな格好で、未来も過去も自由自在に行き来しているかもしれませんね。
昨日開催されたFD講演会の様子です。日ごろからこのような研修を行い、よりよい授業作りに努力しています。本学は、多くの高専と連携して、技術者教育を積極的に進化・深化していきます。
この写真の中に米田政明校長先生が写っているのですが、米田先生は2つの高専の合併を成功させて、さらに通常の高専の2倍近くの数の学生と教職員をまとめています。富山高専はさまざまな革新的な取り組みを行っています。教職員のパワーにも圧倒されますが、米田先生の放つ精気が重要な役割を担っています。
大正10年に改築されたときの記念碑です。富山県立商船学校と彫ってあるのがわかります。この石碑を彫った人は、100年もあとの人がどういう姿格好でこの石碑を読むかなあ、と思ったでしょうか?次の100年後の人はどのような姿格好でしょうか?1000年後はどうでしょうか?宇宙人みたいな格好で、未来も過去も自由自在に行き来しているかもしれませんね。
昨日開催されたFD講演会の様子です。日ごろからこのような研修を行い、よりよい授業作りに努力しています。本学は、多くの高専と連携して、技術者教育を積極的に進化・深化していきます。
この写真の中に米田政明校長先生が写っているのですが、米田先生は2つの高専の合併を成功させて、さらに通常の高専の2倍近くの数の学生と教職員をまとめています。富山高専はさまざまな革新的な取り組みを行っています。教職員のパワーにも圧倒されますが、米田先生の放つ精気が重要な役割を担っています。