昨日と打って変わって暖かい一日
このような日に体も心も慣れてしまうと痛いしっぺ返しを食らうのだ。
軟弱なシニアは心してこの気候に立ち向かわないと。
心構えもそうだ。昨日の養生訓を思い出してみよう。
『養生訓』(ようじょうくん)は、江戸時代に福岡藩の儒学者、貝原益軒によって書かれた、江戸時代の健康な生活の暮し方についての解説書で、彼の著作の中でもっとも著名で写本も増刷され評判を博した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/養生訓
今週の名言より 日経ビジネス 2014/11/24
B29爆撃機に
竹槍で挑もうとしていた頃と
何も変わっていない
古森重隆(富士フィルムホールディングス会長・ceo)
衆議院の解散、原発復興、何をみても混沌状態。
政治が大事だといいながらこのような「赤ちゃん解散」を目のあたりにすると絶望感しか浮かんでこないのが庶民だ。古森さんの言葉が胸に刺さる。
ファミリーヒストリー「武田鉄矢~武田家の栄光と没落 見つかった母の肉声~」
今回、鉄矢さんの実家から数本のカセットテープが見つかった。亡き母の肉声が収められていた。母が生前、子供たちに言わなかった自らの生い立ち、豪農だった武田家の栄光と没落が語られていた。そして、明かされる武田鉄矢デビュー秘話。売れなかった息子に対し、母がとった驚きの行動とは。さらに、もう一つの見どころは、武田家の人々の話のうまさ。母、姉たちの見事な語りに驚かされる。家族の真実に鉄矢さんは涙が止まらない。
人の存在は必ず何かが隠されている。
武田鉄矢はお母さんの「いく」さん。
母はいう。親は子どもを守り、教育の場を守る。
鉄矢の初出発は、福岡教育大を休学し、フォークソングにのめり込み上京した。
「母に捧げるバラード」でヒットし、昭和49年紅白歌合戦に出場。
が、続かず実家に足を向ける。
鉄矢がいう、「母ちゃん、俺限界だ」
母はコップ酒を出し、
「取り付いた貧乏神を取り除こう」
「人生は思い通りにいかん。諦めたらおしまいだ」
鉄矢が2度目の出発は、1977年の映画「幸福の黄色いハンカチ」の大抜擢だった。
母イクさんは、映画の出演が決まった1977年1月27日に退学届けを出した。それまで休学にして授業料を払っていた。
もう一人の恩人は山田映画監督。
「ここに一人の人間・若者が存在している」。存在感が残っている。
輝ちゃんの11月21日(金) 天気に恵まれテニスができた
風もなく夜になったら多少冷えてきたがいいコンディションでテニスができた。
錦織選手の活躍でジュニアのテニスブームが出てきそうだ。
<Kさんへのメール>
おはようございます。太陽の陽射しをいっぱいに浴びています。最近、LEO君は朝が早く、ご飯を食べます。その後、このようにベッドでゆったりしています。いい天気なので暖かい内に小金井公園でも行ってこようかと思っています。昨日の講座も社会起業という取り組みなので、「自分が・・・」を考え、まとめ、発表しなければなりません。講座に自分から積極的に参加しないとのけものになってしまいます。宿題もあるし結構大変です。仲間も増えてきました。2月まで忙しいですが、本気で取り組んでみます。
<Facebookに投稿>
みなさん、おはようございます。風は冷たいようですが、家の中には暖かい陽射しが入ってきています。
最近、違う生活の楽しみ方を知りました。
深夜に本を読む楽しみ。
休みの日の昼寝。
言っている内に目が閉じてきました。
しばらく夢の世界に。
昨日の講座の様子も。