みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 15の春、就職、そして家族。

2019-03-24 21:09:18 | 日記
1968年15の春…日記から。昭和43年3月24日(日曜)薄雲。きのう兄がくれた目覚まし時計に6時に起こされた。父、兄、自分の3人でシキブ谷へアメゴ釣りに行く。全部で6尾。母と姉は寿司などを作った。中川のおじいさんが来た。兄と姉は6時ごろ徳島市へ帰った。
今日が24日。26日に出発する。明日は学校へ行ってみよう。中山君と行く。
衣類や本など向こうへ持っていく物を少し整理した。友達からもらったハガキは大切にしよう。
子どもの頃から毎年咲く庭スミレ

昭和43年3月26日(火曜)晴。今は母と小松島の花屋旅館。今朝7時、父や妹の見送りを受けて我が家に別れを告げた。会社へ行く人はみんな集まった。田村さん、吉田さん、男子は由岐町から1人来ており僕とふたりだけだ。
庭から見える樫戸丸

昭和43年3月27日(水曜)晴れ。7時過ぎ朝食。いろいろの乗り物に乗って蘇東興業本社に午後3時ごろ到着。食事をして休憩室でお茶をもらって休む。それから一宮工場へタクシーで集まり、会社の人の話を聞く。母たち父兄は近くの旅館で泊まることになった。僕たちに作業服を与えてくれた。寮は今のところ3人。隣の人がうるさいのでよくない。人生は忍耐。高校入試は30日、頑張る。

起工業高校定時制繊維科の春の遠足で前列中央が私

という51年前の日記を読みながらコタツに座っていると、梅やんが風呂から出てきました。私が中学を出て就職するときに愛知県まで送って行ってくれたのを覚えておるか、と聞いてみました。「知らん、忘れた。」という返事でした。人は確かに変わります。多くの人が去り、生きている人も身体の細胞は変わっています。認知症の母ではなく普通の感性であってくれればと思いますが、もしもまだ普通の人であれば、私はこうして実家に居ることはないでしょう。普通の感性を取り戻してくれるように梅やんの実家療法をしています。そのお陰で51年ぶりに帰還しています。
うとうとする梅やん

留守の間にニワトリが卵を7個産んでいました。
左コーチン、右ウコッケイの卵
それでは今日はこの辺で。お休みなさい。野球のイチローが引退し、相撲の白鵬が優勝しました。