■親指トムの奇妙な冒険■ シュワンクマイエルの作品に比べて何が物足りないかというとだな、そうだな、動きの振幅が乏しいのだな。主人公のトムったらいつもボーッと突っ立ってるだけで全然活躍しないし。表情、感情も極小。わしゃわしゃ動き回る多彩すぎるクモ・蛾・正体不明のムシ・ヤモリ・カタツムリたちはもちろん最高だが、それぞれほんの数秒しか出演時間なしとは。たまにやや長時間出ててくれそうかな、と思いきや無慈悲にツブサれてしまうのが悲しい。逆に言うとこれだけムシを贅沢に繰り出してどーしてこの程度の世界なのと。期待大きすぎたのかね。いや、終わり方はまことにうまかったと思うけど。男の表情別人みたいに違ってて。キューっと世界が裏返って。ウム、あと併録の「ノーブラ」もラストで工夫したつもりだろうけどまた一つビアスのなんとか橋の焼き直しじゃあな。
■ホーリー・マウンテン■ 「ヒキガエルとカメレオンのサーカス」っていうから期待しちゃったでしょうが! ただ衣装着せて這い回らせるだけかい。ごくごく退屈な映画だったな。アートとしても偽物。私にはハッキリ見える。東洋風スピリチュアリズムをチラつかせときゃ観客は感心するだろうというような、適度に脈絡ハズシとけばゲージュツ作品になるだろう、ラストをああしとけば何でも許されるだろうって、そりゃーちょっと。この程度のを「カルトムービー」とか褒めるやつ多いみたいだけどしっかりしてくれや。同じ監督の姉妹編『エル・トポ』(あれもコビト娘以外は正直あんましだったけど)にゃ遠く及ばんぜ。せめて手足四つとも半分ないあいつとかもっと出番多くしてフリークス映画で勝負しといてや。ただ一つ、カバといっしょにお風呂入ったら確かに気持ちいーだろーなーと、あのへんの場面だけは魅せられましたっけ。結論。雰囲気似たようなのとしちゃ『未来惑星ザルドス』をとるかな、私ァ。
■田園に死す■ 犬神サーカス団にチョイ期待していたのだが、一寸法師ひとりのためにこれを「フリークス系」ってのも強引すぎるので(空気女は扮装だし)、ま、ナンセンス系ってことで。いや、とりあえず色彩凄いね。まさに追憶の厚化粧。柱時計も効いてる。しかしなんかこう、俺もこんな鬱陶しい国に生まれてたのか~と改めて気が滅入る映画だよな。ノスタルジーとメタフィクションを混合して疑似不条理感醸し出したノリが強すぎて、演技が基本的に舞台そのものなので(科白に説明調多いでしょ、母親に向かって「死んだとうさん」なんて普通言わないっすよ)、惜しいかないまいちインパクト薄。舞台調って、舞台外の傍観者配慮してくれすぎ&わかりやすすぎだからさ。あとタイムトラベルのパラドクスとか、あんまり理屈はこねずに映像に任せてやったほうが。
■草迷宮■ このたぐいが味覚に合わん人は本能的に近寄らないと。そういうタイプのアーチストなわけですな、寺山は。そのタイプって、平均の評価みると結果的に過大評価ゲットしがち。だけどこの映画……『田園に死す』と同じじゃないか、で尽きてます、私の評価は。自己対面に色キチガイ女に、他にネタないんかよ~と……とどのつまり「いかにも寺山修司」って流れなんで40分という短編のわりに退屈しました。よくもこれだけぴったり予想の範囲内でやってくれたよ。コアなファンにはいいかもしれんが。ま結局……ノスタルジーに頼るタイプの芸術家って、好きじゃないんだよな俺。日本アートのアピールって結局それかよ、って。(『田園に死す』では「追憶の捏造」をあえて表層化して郷愁趣味を斜交いに組み直そうとしてたけど、大したアリバイになっとりませんでしたワ)。いや、大正ロマン風けだるさもおどろおどろしさもそれ自体悪かないとは思いますがね、しょせん世界閉じちゃってるよなぁと。「土俗性」「前衛」が適度に混ざれば合格。そんなオートマチックな批評言語にがっちり守られてる寺山文学って、そろそろ疑うべき潮時じゃないですかね。マ、文学ってもんが役割上保守的な文化だからこんなもんで十分いいのか。なお、BGM(メロディ)が俗情まみれの超甘口だったのがわが酷評の元凶かもしれません。舟沢虫雄あたりにディープなの付け直してもらえばいいに。
■ホーリー・マウンテン■ 「ヒキガエルとカメレオンのサーカス」っていうから期待しちゃったでしょうが! ただ衣装着せて這い回らせるだけかい。ごくごく退屈な映画だったな。アートとしても偽物。私にはハッキリ見える。東洋風スピリチュアリズムをチラつかせときゃ観客は感心するだろうというような、適度に脈絡ハズシとけばゲージュツ作品になるだろう、ラストをああしとけば何でも許されるだろうって、そりゃーちょっと。この程度のを「カルトムービー」とか褒めるやつ多いみたいだけどしっかりしてくれや。同じ監督の姉妹編『エル・トポ』(あれもコビト娘以外は正直あんましだったけど)にゃ遠く及ばんぜ。せめて手足四つとも半分ないあいつとかもっと出番多くしてフリークス映画で勝負しといてや。ただ一つ、カバといっしょにお風呂入ったら確かに気持ちいーだろーなーと、あのへんの場面だけは魅せられましたっけ。結論。雰囲気似たようなのとしちゃ『未来惑星ザルドス』をとるかな、私ァ。
■田園に死す■ 犬神サーカス団にチョイ期待していたのだが、一寸法師ひとりのためにこれを「フリークス系」ってのも強引すぎるので(空気女は扮装だし)、ま、ナンセンス系ってことで。いや、とりあえず色彩凄いね。まさに追憶の厚化粧。柱時計も効いてる。しかしなんかこう、俺もこんな鬱陶しい国に生まれてたのか~と改めて気が滅入る映画だよな。ノスタルジーとメタフィクションを混合して疑似不条理感醸し出したノリが強すぎて、演技が基本的に舞台そのものなので(科白に説明調多いでしょ、母親に向かって「死んだとうさん」なんて普通言わないっすよ)、惜しいかないまいちインパクト薄。舞台調って、舞台外の傍観者配慮してくれすぎ&わかりやすすぎだからさ。あとタイムトラベルのパラドクスとか、あんまり理屈はこねずに映像に任せてやったほうが。
■草迷宮■ このたぐいが味覚に合わん人は本能的に近寄らないと。そういうタイプのアーチストなわけですな、寺山は。そのタイプって、平均の評価みると結果的に過大評価ゲットしがち。だけどこの映画……『田園に死す』と同じじゃないか、で尽きてます、私の評価は。自己対面に色キチガイ女に、他にネタないんかよ~と……とどのつまり「いかにも寺山修司」って流れなんで40分という短編のわりに退屈しました。よくもこれだけぴったり予想の範囲内でやってくれたよ。コアなファンにはいいかもしれんが。ま結局……ノスタルジーに頼るタイプの芸術家って、好きじゃないんだよな俺。日本アートのアピールって結局それかよ、って。(『田園に死す』では「追憶の捏造」をあえて表層化して郷愁趣味を斜交いに組み直そうとしてたけど、大したアリバイになっとりませんでしたワ)。いや、大正ロマン風けだるさもおどろおどろしさもそれ自体悪かないとは思いますがね、しょせん世界閉じちゃってるよなぁと。「土俗性」「前衛」が適度に混ざれば合格。そんなオートマチックな批評言語にがっちり守られてる寺山文学って、そろそろ疑うべき潮時じゃないですかね。マ、文学ってもんが役割上保守的な文化だからこんなもんで十分いいのか。なお、BGM(メロディ)が俗情まみれの超甘口だったのがわが酷評の元凶かもしれません。舟沢虫雄あたりにディープなの付け直してもらえばいいに。