三浦俊彦@goo@anthropicworld

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霊体仮説とゾンビ仮説

2006-03-08 16:33:22 | メモ
F**、**Fについては、拙論
http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/sizen-sentaku.pdf
の6節,7節を参照してください。


〈ゾンビ仮説〉が心の哲学を不安に陥れるのに、
  〈霊体仮説〉はそうでもないのはなぜだろうか?


…………………………………………………………………………
 F**は、私が意識であるというのが所与で(P(C)=1)、それが脳でもあるかどうかが調べられ、「脳だった」というデータが得られた(B&C)、という場合。
 **Fは反対に、私が脳であるというのが所与で(P(B)=1)、それが意識でもあるかどうかが調べられ、「意識だった」というデータが得られた(B&C)、という場合。

● F**のもとで
  対立仮説は、
 K「脳と意識は独立である」
 L「脳は意識の必要条件である」
  共通する補助前提として P(B)≒0  P(C)=1

 P(B&C|K)≒0  P(B&C|L)=1  ……①
 ここから、P(L|B&C)/P(K|B&C)
=P(B&C|L)P(L)/P(B&C)÷P(B&C|K)P(K)/P(B&C)
=P(L)/P(K)× P(B&C|L)/(B&C|K)
 ①をあてはめると
 P(L|B&C)/P(K|B&C)≫P(L)/P(K)
 よって、事前確率と事後確率の変化を見ると、データB&Cにより、KよりもLのほうが格段に信頼度を増した、となる。

 ~Lは、脳なき意識の存在を主張する「霊体仮説」である。これが上の議論で反証されたことになる。
 真空に意識が灯ることもある、といった極端な霊体の存在を主張するのが霊体仮説の一種であるのはもちろんのこと、健康な覚醒した脳のレベルの物理的機能が働いていないところにも意識が出現しうる、とするのが霊体仮説である。後者の弱い意味での霊体仮説すら、真である確率がきわめて低い。そのことが、「私は脳を持つ」という観察データにより確証できたことになる。


● **Fのもとで
  対立仮説は、
 K「脳と意識は独立である」
 J「脳は意識の必要条件である」
  共通する補助前提として P(C)=a  P(B)=1

 P(B&C|K)=a  P(B&C|J)=1  ……②
 ここから、P(J|B&C)/P(K|B&C)
=P(B&C|J)P(J)/P(B&C)÷P(B&C|K)P(K)/P(B&C)
=P(J)/P(K)× P(B&C|J)/(B&C|K)
 ②をあてはめると
 P(J|B&C)/P(K|B&C)=1/a×P(J)/P(K)
 ところで、改めて考えてみると観測選択効果により、P(C)=a=1
 よって、事前確率から事後確率への変化はない。データB&Cにより、KとJの信頼度の比は変わらない。

 ~Jは、意識なき脳の存在を主張する「ゾンビ仮説」である。これが上の仮説検定で生き残ったことになる。
 脳が物理的機能を果たしていない場合に意識がないことは当然として(これはLで主張されている)、脳が私とそっくりの物理的機能を果たしている脳を持つ人に意識がないことがありうるとするのがゾンビ仮説である。「私は意識を持つ」ことを「観察」したからといって、ゾンビ仮説は、完全な二元論に比べて、反証されない。せいぜいこのことが、「私は意識を持つ」という観察データ(実はアプリオリな事実)により言えることである。

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(この部分に関する質疑応答は、掲示板
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs の、
 3月 6日(月)00時45分58秒以降をご覧ください。)