(承前)
著者が書く子規の詩や思想、著者の見解について私が気になった所を抜粋してみた
- 子規は文章にやたらと漢語を挿入して母国語の美しさを顧みない日本人を嘲笑し、やたらと英語を使いたがる明治の日本人に苛立った(第4章)、しかし、子規は日本語よりも自分の言いたいことをがよりよく表現できるときは躊躇することなくいい語を使った(第5章)
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今に続く日本人の悪弊であろう
- 子規はエマーソンの評価の基準である「美と崇高」によって日本文学を評価し、近松の浄瑠璃の美に感嘆しても崇高さに欠けシェイクスピアに劣ると評し、その両方を体現しているのが露伴だとした(第4章)
- ほととぎす第1号に子規は「俳句は何のために役立つかと問うものあれば、何の役にも立たないと答えよう、しかし無用だからと言って私は俳句を捨てない、無用のものは有害なものよりましだからだ、無用の用ということがある」とユーモラスに答えている(第7章)
- 子規は何千もの俳句を読んで分類したがそこから得た知識から大して恩恵を感じていない、もっぱら芭蕉と蕪村のみからだけ学んだ、ただ子規は芭蕉の俳句を過少評価し、蕪村の俳句の方が自分の理想に近いと評価した結果、蕪村は名声を得た(第8章)
- 明治28年に書かれた子規の漢詩「正岡行」には自分の仕事が自分並びに正岡家に一種の永続性をもたらしてくれと願っていることが書かれている(第8章)
- 詩歌のジャンルすべてに子規は関心を持ち続けたが、現在、主に知られているのは俳句の詩人、批評家としての子規である(第9章)
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詩歌の批評家としての子規という一面を知らなかった
- 万葉集以外の歴代の勅撰和歌集には西洋や中国の詩人と違って日本の詩人は一般に戦争や地位の失墜など、人間の悩みの原因となる素材を取り扱わなかった、子規はこれを君臣間の交わりが常に親和性に富んでいたからだとしている、また、欧米諸国の詩歌は人間社会の出来事について書き、日本と中国は自然を書くため短くなる、これを日本には優れた大作がないと批判する向きがあるが、高尚な観念や広々と遥かな味わいが、果たして生存競争や優勝劣敗の騒ぎから生じる人間社会のごたごたの中にあるだろうかとしている(第9章)
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欧米との比較して日本を批判する人が多いが子規と同様に欧米のやることにこそ批判の目を常に持つべきでしょう、現在でいえば環境問題など
- 子規は自分が読んでいる書物の評価で大体において厳しく、しぶしぶ称賛の言葉を与えることはあってもむしろ作者の無能を暴露することの方に関心があった、まれな例として樋口一葉の「たけくらべ」に対する賛辞がある(第10章)
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私も一葉の作品を読んだが(こちら)、良い小説だと思った
- 若い画家の芸術的才能をだめにしてしまう伝統的な日本画の教え方の例としていくつか挙げている、例えば、先生が跳ね上がる鯉と浮き草を書けば弟子も跳ね上がる鯉と浮き草を書く、この甚だしい趣向の乏しさはどうしたことか、いかに筆遣いや色彩に優れていても自分で趣向を凝らさなければ、それは芸術ではなく職人的な技術である(第10章)
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全くその通りだと思う、芸術に限らず今の大学の研究室でも同じことが起こっているのではないか、日本近現代史について教授が日本罪悪史観の論者なら、弟子が「そんなことはない」と言えば出世できないし、その研究には予算もつかないでしょう、日本中いたるところで同じことが起こっている、多様性が大事だと言うが多様性がないのが学問の世界である
- 子規は外国文化が日本に入ってくることの是非を問い続けた、子規は意外なことに古い慣習を保持することに賛成である(第10章)
- 子規は1人の歌人(長塚節)を深く愛していた、それは21歳の男で、二人の間には明らかな肉体関係はなかった、それは子規が体が不自由で病床から動けなかったからだ
- 子規は普通の愛情に欠けた冷たい理性的な人間、些細なことにも非常に腹を立て、叱り、泣いたこともある、また感情を素直に出さない冷徹な拒絶もあった、女性に対する関心の欠如もあった、母と妹に対して長年にわたって辛抱強く面倒を見てくれたことに対する十分な謝意を示さなかったと言われている(第12章)
- 子規には欠点もあったが、こうした欠点が子規の作品に対する我々の評価を変えるわけではない、言うまでもないがいかなる時代のいかなる国にも自惚れが強く貪欲で勝手次第でありながら偉大な人物というものはいた(第12章)
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全く同感である、品行方正で実力もある人などいない、政治家もそうでしょう、それがわからないのが新聞であり、わかっているのが多くの国民だ、最近、アメリカと日本において話題になった選挙の結果はその良い例でしょう
最後に、
- この本は子規の生涯について著者が調べた事実を記したものであり子規をモデルにした小説ではない、そのため、わからないことはわからないと書いてある、例えば、現象と本質の違いについて述べた叔父の言葉がなぜ啓示となって子規を感動させ哲学を勉強せずにいられなくなったのか(第2章)、子規が何で愛国的になったのか(第5章)、なぜ短歌に打ち込むようになったのか(第9章)などをわからないとしている、その点で必ずしも面白い読み物ではないかもしれない
- 本書で子規は俳句や短歌に革命をもたらしたと書いてあるが、その具体的な内容が何なのかずばりと書いてないように思う、俳句については写実を重視し、曖昧さや感情を排除し、言葉の無駄を嫌ったなどがそうなのか
- いまNHKで司馬遼太郎の「坂の上の雲」を放送している、それを見ると子規が出てくる、まだ半分くらいまでしか見ていないが、そこで描かれている子規が本書で知り得た子規の人物像と全く異なる点に違和感を覚えた、正反対の性格なのだ、いずれが正しいのだろうか
- 本書で子規と漱石の交わりを書いているがもっとどういう意見の交換をしたのか、どういう交わりだったのか知りたかった、また、テレビ「坂の上の雲」では秋山真之や森鴎外との交わりを描いているが、本書では全く出てこないのを不思議に感じた
勉強になりました
(完)
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