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岩手県の旧・衣川村(現・奥州市)。かなり以前に胆沢町の写真を撮った際に、現地のお爺さんと話をした。かなりの高齢に見えるお爺さんは「昔は衣川村から来る嫁が多かった。あっちよりは仕事があるからな。この町の男はもてた。でも今は行き来がなくなった」と言っていた。衣川村はどんな所なんだろう。そのまま行ってみようとも思ったが、午後遅めの時間でもあり、秋田県まで帰宅することを考えると躊躇した。衣川村まで行くのにはどの位時間が掛かるか、お爺さんに聞いてみた。お爺さんは「山を越えなきゃならないし、とても時間が掛かる。今から行けるようなものじゃない」と言う。それでは無理だろうと、その時は断念した。
今回、別の用事で近くまで行ったので、念願の衣川村に行ってきたわけだ。独特の個性ある町並みだったけど、想像よりは町の規模が大きかった。そして僕は気づいた。「山を越えるし、とても時間が掛かる。今からは無理だ」というお爺さんの言葉は、「徒歩」の話だということを。お爺さんが若い頃は、徒歩や橇や馬なんかで往来をしたのだろう。当然、その痕跡は今は見当たらない。それでも人々の記憶と辺りに漂う空気には往時の光景が残っているのだろう。
X-PRO3 / XF23mmm F2R WR
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