はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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桔梗の家 4

2018年07月03日 09時49分46秒 | 桔梗の家


陳到が趙雲の屋敷にむかうと、ちょうど趙雲が、遠駆けに出かけようとしているところであった。
汗をかくことを予想してか、飾らぬ粗末な衣に身を包み、帯剣をした趙雲の姿には、無駄な肉というものがなにひとつなく、肌の張りや艶も以前と変わらない。ふつう、この年齢になれば、青年のときのすらりとした肢体を失うかわりに、恰幅がよくなり、重々しい貫禄がついてくるものだが、趙雲の身体は、時がぴたりと止まったように、なにも変わらない。
鍛えてはいるものの、妙に気になってきた腹の肉を、無意識につまみつつ、陳到は趙雲に声をかけた。
「おはようございます、趙将軍、遠駆けでございますか」
ああ、おはよう、と生返事をして、趙雲は答える。不機嫌そうだな、と陳到は思ったが、馬上の趙雲の顔色は冴えず、ろくに眠っていないのがわかる。
これは深刻だな、と思いつつ、陳到はさらに声をかける。
「ご一緒させていただいても、かまいませぬか」
「すまぬが、今日は一人にしてくれ」
ぴしゃりとした物言いまで、昔から変わらない。
普通は、尖がったところも世間の波に揉まれて、研磨されるところなのだが。
「いや、しかし、お顔の色がすぐれませぬぞ。落馬でもされたら如何されます」
「大事無い。今日はすぐ帰る」
「いえいえ、叔至めもお供おたします。結婚の話」
「叔至、すまぬが、一人になりたいのだ。その話もあらためてくれ」
お待ちを、と声を掛ける間もなく、趙雲は馬首をかえし、ぱっぱかと駆け去ってしまった。
陳到はあわてて自らも騎乗し、趙雲を追いかける。
しかし、趙雲は、陳到が追いかけてくることも想定していたらしく、複雑に道を行き、とうとう成都を出る前に、まかれてしまった。どの門を通り、どの道へ向かったか、わからない。
左将軍府の悪鬼が、なにをしているのだと怒り出す様を想像し、陳到は、しょんぼりとうなだれた。

偉度が陳到に持ちかけたのは、単純な作戦であった。
趙雲が、朝の日課として、遠駆けをすることは知っている。
その行路も、いつも同じなのだ。
途中で、立ち往生している孔明の馬車と行き会えば(孔明は偉度が連れてくる)、趙雲の性格からして、それを無視する、ということはできまい。
話をしなければ、なにも動かないのだ。ともかく顔を合わさせ、話をさせよう、そしてあわよくば、仲直り、という。
しかし、偉度の思惑は、予想外の落ち込みを見せ、排他的になっていた趙雲の、人を寄せ付けない悪い面がつよく出てしまったがため、破綻したのであった。

結婚の話はおいといて、と言おうとしたのに、と陳到は、この無邪気な男には似合わず、暗い顔をしてため息をつく。
いまから、偉度が嫌味を、さんざんに浴びせてくるだろうことは、想像が付いた。
このまま自分も、どこか遠くへ行ってしまいたい。
いやいや、そんなことしたら、あの悪鬼め、わが家に入り込み、娘たちにいらざるちょっかいをかけるかも知れぬ。それだけは防がねば。
まあ、それはともかく、孔明を連れてきているだろう偉度のところへいき、作戦は失敗だと伝えに行かねば。
気が重い、と陳到がつぶやくと、騎乗していた馬も、その気分が移ったのか、深いため息をついた。


孔明は、がちゃがちゃと金具が派手に鳴り続けているので、目を覚ました。
覗き込めば、偉度が、苛立ちもあらわに、馬車の金具と格闘しているところであった。
孔明は手先が器用で、工房へも、好んで視察に行く。工人たちに気さくに声をかけ、自分も加わって手伝うほどなのを、偉度は知っていたので、いつまでも孔明を留めておくのに、車輪を壊れていないままにしてはおけぬ、と考えた。
親父さんはまだか、と思いながら、えいやっ、と車輪を壊したものの、壊し方が不味く、本当に直らなくなってしまったのだ。
金具を一瞥するや、孔明は言う。
「それはもうだめだな、偉度、すまぬが、おまえは職人たちを呼んで、これを修理に出してくれ」
といいつつ、孔明は馬車から降りていく。
その姿に、偉度はあわてて声をかけた。
「お待ち下さいませ。どちらへ」
「ここからならば、左将軍府へ徒歩で行くのも、たいした距離ではあるまい。おまえはあとからゆっくり来るがよい。かえってすまなかったな」
「いえ、あの」
と、偉度は道の向こうから、いまにも趙雲が来てくれることを願ったが、その姿は現れず、孔明は済まないといいながら、偉度を残して左将軍府へとむかってしまった。
孔明を引き止める上手な理由も思いつかず、偉度は壊れた車輪と、馬たちだけに取り残されるかたちとなってしまった。





伴もつけずに歩く孔明の姿はかなり目立ったが、本人は人の目を集めるのに慣れてしまっており、気恥ずかしさも感じず、どころか、いろいろ物思いに耽りながら歩いている。
道すがら、途中までご一緒にと、声を掛けてくる馬車もあったのだが、断った。
孔明は、襄陽にいたときから、ともかく歩くのが好きだった。歩きながら考えると、余計な考えがそぎ落とされ、純粋に思索の中だけに閉じこもることが出来る。
部屋に閉じこもって考えるより、より健全な思考に耽ることが出来るのだ。
それでもやはり、昨日のことを考えながら歩いていると、ある屋敷の前に、朝から人だかりができている。
露天商が出ているわけでもなし、なんであろうと、好奇心にさそわれて覗いてみれば、例の楊と、その横に、白髪まじりの婦人がおり、どうやら楊の妻らしい。楊の妻女は、身づくろいもまだ途中のようで、乱れた髪をしたままなのだが、目の前にいる、裕福そうな流行の召し物を纏った若者につっかかっている。
その若者とは、見れば、安なのであった。
「さあ、言ってご覧! うちの主人は、きちんと皆様のお役にたっているというのに、この青二才、なんて言ったの! さあ、もう一度言ってご覧!」
楊は、いきりたつ妻を懸命に宥めるのであるが、妻は、抑えようとする夫の手を、わずらわしそうに、乱暴に跳ね除けて、牙を剥かんばかりに安に怒鳴っている。
安はといえば、これは左将軍府において、職場で同僚・先輩を相手にがあがあと、家鴨のようにわめくのとは勝手がちがう様子で、言葉を返せないでいる。
それでも、強気なところを見せ、楊の妻から、目を逸らさないではいたが。
「さあ、皆の前で言ってご覧!」
楊の妻は、集っている人々を指して言った。
人々は、この妙な取り合わせの喧嘩に、すっかり夢中である。
集ってきた人々の、それぞれの会話の断片から繋ぐと、左将軍府に出仕する楊のところへ、安が、たまたま通りがかった。
楊の姿を見た安は、いつもの如く憎まれ口を叩いたのだが、その声が大きく、屋敷のなかにいた楊の妻に、話が聞こえてしまったのが騒ぎの元。楊の妻は、以前より、夫から、
「あたらしく入ってきた若者と馴染めない」
と愚痴っていたことから、これが我が夫を悩ます男かと飛び出してきて、こうして、闘鶏のような騒ぎとなっているのであった。
安が口ごもっているので、楊の妻女は言った。
「言いたくないというのなら、わたしが言って差し上げましょう。貴方は、わたしの主人を、『俸禄どろぼう』と言ったのです! なんて人なの、ろくでなし! うちの主人は、きちんと毎日、皆様のお役に立っているというのに、年長者に向かって、礼儀知らずな!」
ありえない、とまくし立てる楊の妻に、集っている人々も、そのとおり、まったくだ、この小僧は生意気だ、と声が挙がる。
孔明も同感であったが、安は、やはり否定されれば頑なになり、妙に燃えてしまう男であった。
往来に集っている人々を睨みつけ、それから楊と楊の妻に、つんと顎を逸らすような仕草をすると、こう言い放ったのである。
「しかし、事実でございましょう。あなたさまは、もう御歳なのです。周りの迷惑も考えて、こちらの鬼婆のような女房殿と、ご隠居されたほうがよろしいのでは」
まあ、と楊の妻女は絶句し、袖で顔を隠すと、屋敷の中に駆けていってしまった。
その哀れな後姿を見送る楊の顔には、めずらしく怒気が浮かんでいる。
「わたしのことならば、如何な愚弄も我慢できよう。しかし、妻を侮辱するのは許さぬぞ!」
「無礼はどちらなのでございますか。いきなり、往来で呼び止められて、このように衆目にさらされたあげくに、あのように罵倒されたのでございます。理不尽なのは、そちら様でございましょう」
「なんと世間知らずな言葉よ。そもそもは、貴殿の礼節のない態度に原因があろう。すこしは恥を知ったらどうだ!」
「このわたしに説教をなさるか、左将軍府のお荷物が!」
「なんと!」

孔明は、人前で両者を叱れば、両者共に恥をかくであろうと、じっと、人の垣根のうしろの、目立たないところで、この光景を眺めていたのであるが、安と楊の言い争いが深刻になっていくのを見て、これはいかんと前に出た。
孔明の姿が突如としてあらわれたので、楊も安も、口論の途中であったが、言葉を止めて、あんぐりと口を開けている。
「両者とも、やめぬか! このような往来で醜態をさらすとは、まさに無礼であるぞ!」
しかし、将軍、と安が食い下がろうとしたそのとき、孔明は安の背後に、水桶を持って戻ってきた楊の妻の姿を見た。
いかん。
避けようと頭では考えたものの、体が動かなかった。鍛えていない証左である。
それはともかく、安に掛けられるはずの水は、勢いよく標的を外れて、安の前に立っていた孔明に、ざばりと頭から掛かった。
孔明が最初に考えたのは、ただの水だろうな、ということである。
「愚か者め、このお方は、軍師将軍だぞ!」
楊が妻を叱ると、楊の妻は、ええ、と素っ頓狂な声をあげ、がらん、と水桶を地面に落とした。
そして蒼白になって、すぐさま濡れた地面に平伏し、ご容赦を、とやってくる。
こうなると、孔明は怒るわけにも行かない。
「水のことはよい。それより、安、楊」
はい、と二人は、まるで囚人のように蒼ざめた面持ちで、孔明の強ばった声に返事をする。
孔明は、額から髪を伝わって落ちる雫をぬぐいつつ、精一杯、厳粛さを装って、言った。
「両名とも、本日は、出仕はまかりならぬ。しばし休んで、頭を冷すがよいぞ」
でも、と安がまたも食い下がろうとするので、孔明はぎろりと、それこそ、これまでに、ありとあらゆる論敵を封じ込めてきた、得意の睨みをきかせた。
とたん、安は竦みあがり、言葉をなくして、そのまま、わかりましたと頭を下げた。

つづく……


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