石油系蝋燭(パラフィンろうそく)が、本格的に普及し始めたのは、明治10年頃(1877)と考えられます。
和蝋燭の需要と生産は、この安いパラフィン蝋燭に押されることなく、順調に伸びて行きますが、明治40年(1907)には、ピークを迎えます。
<日も暮れて 櫨の実とりの帰るころ 郭の裏ゆけば かなしき>
北原白秋の「桐の花」におさめられている歌である。この歌集の刊行は大正2年(1913)であることから、この時代の社会景が感じれる。(1906~1913までの作品を収録)
大正時代(1912~1926)を経て昭和(1926~)に入り、石油系パラフィン蝋燭、石油ランプ、電灯の普及により、和蝋燭の需要に影響がではじめるが、櫨蝋の世界は戦中、戦後の難局をのりきる。
日本の戦後復興がかなって、昭和30年(1955)代になると櫨蝋の世界は、需要にかげりが見えはじめる。その後の日本が高度成長期に入ると、夕日の産業への転換を余儀なくされる。
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「典拠 木蝋に関する調査報告書・庄福BICサイト等」