帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第二 夏 (七十七)(七十八)

2015-03-03 00:25:12 | 古典

        

 

                     帯とけの拾遺抄


 

『拾遺抄』十巻の歌を、藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてあるものを、近代人は、清げな姿を観賞し歌の心を憶測し憶見を述べて歌の解釈とする。そうして、色気のない「くだらぬ歌」にしてしまった。

貫之の言う通り、歌の様(表現様式)を知り、「言の心」を心得れば、清げな衣に包まれた、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」である。歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であると俊成はいう。これこそが和歌の真髄である。

 

拾遺抄 巻第二 夏 三十二首

 

九条右大臣賀の屏風                     兼盛

七十七 あやしくもしかのたちどの見えぬかな をぐらの山に我やきぬらん

九条右大臣(藤原師輔・五十歳)の賀の屏風に         平兼盛

(ふしぎにも、鹿の立ち処が見えないなあ、小暗の・小倉の山に、我は来てしまったのだろうか……奇妙にも、肢下の立ち処が、見えないなあ、お暗い山ばに我は来てしまったのだろうか)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「あやし…ふしぎ…奇妙…お粗末」「しか…鹿…肢下…おとこ」「たちど…立ち処…絶ち処…たちと…断ち門…絶ち門」「と…門…おんな」「みえぬ…目に見えない…見することができない」「見…覯…媾…まぐあい」「ぬ…ず…打消しの意を表す」「かな…感動・感嘆の意を表す」「をぐら…小倉…山の名…名は戯れる。小暗い、お暗い」「山…山ば」

 

歌の清げな姿は、鹿の立ち処が見えない・我は視力衰えたかな。

心におかしきところは、君のしかはご健在かな・我は見得なくなった。

 

師輔はこの頃すでにご壮健ではなかったのだろう五十三歳で亡くなった。十年以上も若い兼盛は、あえて自らの衰えを詠み相手を立てた賀の言祝ぎである。

藤原俊成は、『古来風躰抄』で、この歌を評して「これほどの秀句はこひねがふべし」という。「これ程の秀句は願い求めるべきでしょう」。

 

 

西宮右大臣の家の屏風に               読人不知

七十八 郭公まつにつけてやともしする 人も山辺によをあかすらん

西宮右大臣(源高明)の家の屏風に         (よみ人しらず・拾遺集では源順)

(ほととぎす、待つにことよせてか・たいまつ点けて、灯しする人も、山辺で夜を明かしているのだろう……且つ乞う声を待つにつけても、乏しくする男も・女も、山ばの周辺で、夜を明かすのだろうか)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「郭公…ほととぎす…鳥の名…名は戯れる。ほと伽す、且つ乞う」「鳥…言の心は女」「まつ…松…待つ」「ともし…灯し…乏し…充分でない…少ない」「する…状態にする…動作を行う」「人…野守・山守…男…女」「山辺…山の周辺…山ばのすそ」

 

歌の清げな姿は、夏の夜、猟する風景。

心におかしきところは、山ばの盛り上がらない気色。

 

源高明は左大臣になられた後に、第二の菅原道真か太宰府に左遷された。この歌はそれ以前、右大臣の時の響宴での歌らしい。源順は源高明とほぼ同世代の人で後撰和歌集撰者。

 


 夏は暑さのせいか、短夜のせいか、盛り上がらないようである。清少納言の、夏についての、つぶやきを集めて見る。

「夏はいみじうあつき」「見くるしきもの、ひげがちに、かじけやせやせなるおとこ、夏昼寝したるこそ、いと見ぐるしけれ。なにの見るかひにて、さてふいたるならん」「したがさねは、夏はふたあゐ、しらがさね」「かざみは、夏はあをくちば、くちば」


 表向きの意味をたどれば

「夏はたいそう暑い」「見にくいもの、髭がちでやつれ痩せっぽち男、夏昼寝しているのこそ、とっても見苦しいことよ。なんの見る甲斐あって、そうして伏しているのでしょう」「下襲は、夏は二藍、白襲」「汗衫は、夏は青朽葉、朽葉」


 これだけのあたりまえの一義な意味ではない、当時の読者は次のようにも読んだに違いない。

「夏はすごく暑い」「見るに苦しき物、引けがちで萎み痩せぎすなおとこ、夏の昼共寝したのこそ、とっても見るに苦しきことよ、何の見る貝にて、あのように吹きだしたのでしょう」「下重ねは、夏は二合い白々しい重ね」「重見は、夏は吾お朽ち端、朽ち葉色」


 心得るべき言の戯れは、

「見…覯…身とのまぐは日…まぐあい」「ひげ…髭…ひけ…引け」「みるかひ…見る甲斐…見る貝」「貝…言の心は女」「ふいたる…伏し居たる…吹いたる」「したがさね…下襲…下衣…下重ね」「ふたあい…二藍…紅花と藍で染めた色…二合い」「白…色けなし…白々し」「かざみ…汗衫…汗とり下着…かさみ…重ね見…二見…二媾」「あを…青…吾お…我が若いおとこ」「くち…朽ち…だめな…くさった」「葉…端…身の端」


 枕草子は和歌と同じ文脈で書かれてある。和歌がわかれば枕草子を当時の女房たちと同じように読むことができる。



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。