帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 秋 (九十七)(九十八)

2015-03-14 00:19:10 | 古典

        

 

                     帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の『新撰髄脳』にある「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って和歌を紐解いている。

近世以来の和歌の解釈は、紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、独自の解釈方法を構築した。歌を字義通りに聞き、言の戯れは、序詞、掛詞、縁語などと名付けて、和歌はそのような修辞で巧みに表現されてあるという。字義通り聞くと意味の通じない序詞などを歌の調べとしての意義があるなどという。このような解き方が定着すれば、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解するしかない。これは本末転倒である。逆さまにして、近世以来の学問的解釈方法を棄ててみたのである。

和歌は、鴨長明、藤原定家らを最後に「心におかしきところ」が埋もれ始め、歌の家の秘伝となった。歌は秘伝と成ってしかるべき事柄が詠まれてあるからである。口伝による秘伝など埋もれれば解明不能であるから、平安時代の歌論と言語観に回帰したのである。そうして紐解いてきた結果、明らかになったのは、埋もれていた和歌の色好みな部分である。これこそが秘伝そのものだろう。公任は「心におかしきところ」と言い、俊成は「煩悩」と言ったのである。


 

拾遺抄 巻第三 秋 四十九首

 

七夕庚申にあたりて侍りける年                  清原元輔

九十七 いとどしくいもねざらんとおもふかな けふのこよひにあへるたなばた

七月七日が庚申(道教信仰によりこの夜は眠らない)にあたった年 (清原元輔・清少納言の父)

(いよいよ眠らず徹夜するだろうと思うなあゝ、今日の庚申の宵に出遭った七夕星よ……ますます眠れないだろうと思うなあゝ、今日の・感の極みの京の、こ好いに合っている両星よ)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「いとどしく…いよいよ…ますます激しく…それでなくても何々なのにまして」「いもねらざん…眠れもしないだろう…徹夜しているだろう」「かな…感動を表す」「けふ…今日…京…絶頂…感の極み」「こよひ…今宵…今好い…こ好い」「あへる…逢っている…出遭っている…合っている」「たなばた…七夕星…両星」

 

歌の清げな姿は、暦の巡りで庚申の夜に逢う七夕星を思う。

心におかしきところは、いよいよはげしく京にて合っている両星を思うところ。

 

 

天禄四年五月廿一日、仁和帝一品宮にわたらせたまひて、らごとらせたまひけるまけわざを、

七月七日にかの宮よりうちの大盤所してたてまつられけるあふぎにはりて侍りけるうすもの

におりつけて侍りける                          なかつかさ

九十八  あまのかはかはべすずしきたなばたに  あふぎのかぜをなほやかさまし

天禄四年(円融院の十五歳の御時)五月廿一日、仁和帝一品宮(姉の内親王という)にお渡

りになられて乱碁(碁石の遊び)をされた、負け業(負けた方より勝方に贈物などすること)

を、七月七日に、かの宮より、内の大盤所(清涼殿の台盤所・女房達の詰め所)で作らせて、

奉られた扇に張られてあった薄物(絹布)に、織つけ(技法不知)てあった歌。                      

中務(歌の作者・この当時六十数歳の老女)

(天の川、川辺涼しき、七夕星に、扇の風を猶も供えましようか・今宵はお熱いようで……あまの川、川べ澄み心すがすがしい彦星と織姫に、合う気の心風を猶もお貸ししましようか、どうしましよう)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「あまのかは…天の川…あまの川」「あまの言の心は女」「川…言の心は、女・おんな」「すずし…涼しい…澄んで清い…心すがすがしい」「たなばた…七夕の両星…御両人」「あふぎ…扇…あふき…逢う気…合う気」「かぜ…風…心に吹く風」「なほ…猶も…やはり…そのうえにさらに」「やかさまし…供えましょうかどうしましよう(決断しかねる気持ちを表す)…貸しましようかどうしましよう(ためらっている気持を表す)」

 

歌の清げな姿は、涼しいけれどお熱い両星に扇の風を供えましょう。

心におかしきところは、相見て清々しい心風吹く両星になおも合う気の風を贈ろうかしらというところ。


  下世話な事に置き換えれば、姉が「罰ゲーム」にかこつけて、若い新婚の弟夫婦をからかった歌と思えばいいだろう。御両人は恥じらいと微笑みで受け取られただろう。姉も負けた悔しさは晴れ晴れして、女房たちもこの扇を和やかな雰囲気で作ったことだろう。この話と歌を聞いた第三者も微笑みを以て聞けるだろう。

ただし、今の学問的な和歌解釈では、字義の通り訳されて、ここに示したような「お熱いようで」などというくだらぬ補足も不可という禁欲的雰囲気があるが、中務の歌の効用や価値を全く見えなくしている。まして、「あふぎ」が「合う気」と戯れていたなどと唱える人はいないし、そんなことは誰も信じないだろう。かくして歌の下半身は永遠に埋もれたままである。人は上半身だけで生きてはいないものを。


 

言の戯れは、歌言葉が「扇…あふぎ…あうき…合う気」などと、浮言綺語のように戯れている歌に数多く接することで心得ることができる。『拾遺和歌集』では、この歌の次に並べられてある。巻第十七雑秋、清原元輔(中務とほぼ同世代)の歌を聞きましょう。この歌と全く同じ文脈で詠まれてある。

天河扇の風にきりはれて そらすみわたる鵲のはし

(天の川、扇の風に霧晴れて空澄みわたる、カササギの橋……あまの川、合う木の気の風に、心の霧晴れて、みせかけ澄みわたる女の身の端)


 歌言葉は浮言綺語のように戯れているという。

「あまのかは…天の川…あまの川」「あま…天…言の心は女」「川…言の心は、女・おんな」「扇…あふぎ…あふき…逢う気…合う気…合う木」「風…心に吹く風」「きり…霧…心の霧…限り」「空…そら…接頭語…嘘の…みせかけの」「すみ…済み…澄み…邪気無し」「渡る…渡る…広がる…つづく」「かささぎ…鵲…鳥…言の心は女」「橋…端…身の端」


 

清少納言『枕草子』でも、「扇」が、全く同じように戯れているとすると、無味だった次の文がにわかに艶っぽくなる。

あふぎのほねは、ほお。いろはあかき、むらさき、みどり。(二六六段)

(扇の骨は、朴。色は赤、紫、みどり……合う木のほ根は、強い、色は元気色、若々しい)。

 

「ほね…骨…ほ根…お根…おとこ」「赤…元気色」「むらさき…紫…群咲き…数多く咲き」「みどり…緑…若い」。


 

ひあふぎは、むもん、からゑ。(二六七段)

(檜扇は、無文、唐絵……非合う木は、文無し、空どうの枝)

 

「ひ…檜…非…否」「木…男」「枝…身の枝…おとこ」。

 

読者の女たちの賛同を得ただろう。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。