帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 秋 (百十三)(百十四)

2015-03-24 00:11:50 | 古典

        


 

                     帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って和歌を紐解いている。

近世以来の和歌の解釈は、紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、独自の解釈方法を構築した。歌を字義通りに聞き、言の戯れは、序詞、掛詞、縁語などと名付けて、和歌はそのような修辞で巧みに表現されてあるという。字義通り聞くと意味の通じない序詞などを歌の調べとしての意義があるなどという。このような解き方が定着すれば、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解するしかない。これは本末転倒である。逆さまにして、近世以来の学問的解釈方法を棄ててみたのである。


 

拾遺抄 巻第三 秋 四十九首

 

少将に侍りける時こまむかへにまかりて            左衛門督高遠

百十三 あふさかのせきのいはかどふみならし  山立ちいづるきりはらのこま

少将であった時に駒迎えの役目で出かけて          (左衛門督高遠・大弐高遠・公任の従兄弟)

(逢坂の関の岩角踏みならし、山を出で立つ、桐原産の駒……合う山坂の、難関の岩門、ふ身馴らし、山ば絶ち出る、限り腹のこま)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「あふさか…逢坂…所の名…名は戯れる。合う山坂、和合の山路」「せき…関…関所…難関…関門…石」「石・門…言の心は女」「いはかど…岩門…石門…盤石なおんな」「ふみならし…踏み均し…踏み鳴らし…婦身鳴らし…ふみ泣かし」「ふみ…踏み…実践…婦身」「山…山ば…合う坂の頂上」「立ちいづる…たち出る」「たち…接頭語…立ち…立ったまま…絶ち…断ち」「きりはら…桐原…地名…名は戯れる。限腹、限度の腹のうち、限界のきた腹に付いた物、限界のきたおとこ」

 

歌の清げな姿は、逢坂の関での駒迎え風景。

 心におかしきところ、合う坂の山ばの難関門をのり越えて山を出る限度ぎりぎりのこま。

 

 

延喜御時月令の御屏風にこまむかへのかた有る所に        貫之

百十四 あふさかのせきのし水に影見えて いまやひくらむもち月のこま

延喜御時に月次の御屏風に駒迎えの画の有る所に         紀貫之

(逢坂の関の清水に影見えて、今まさに、牽きつれてくるのだろう、望月産の駒……合う坂山ばの関門の、清きをみなに陰り見えて、今、退くのだろうか、満月の・つき人おとこ)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「あふさかのせき…上の歌と同じ」「し水…清水…綺麗な湧水…清いをみな」「水…言の心は女」「影…映像…陰…陰り」「ひく…牽く…引き連れて来る…退く…ひきさがる」「もち月…望月…産地の名…満月…充実したままのつき人をとこ」「こま…駒…こ間…股間…おとこ」

 

歌の清げな姿は、八月の屏風絵の情景。

 心におかしきところは、望めども、ありえない情況が、男心をくすぐるところ。


 和合の山ばのをみなに陰りがみられるまであいつとめて、望月のまま退くのは、おとこの理想だろう。現実には、そのさがにより、無理なこと。

 

月が男であること、まして、おとこであるという文脈には今の人々はいないが、古代中古を通じて月は壮士・壮子・男・おとこであった事は、その気になって万葉集の巻第十の秋の歌などを読めば誰でも心得られる。

 

秋風の清き夕べに天の河 舟こぎ渡る月人壮子

夕星もかよふ天道いつまでか 仰ぎて待たむ月人壮

もみぢする時に成るらし月の人 かつらの枝の色つく見れば

秋の夜の月かも君は雲隠れ しばしく見ねばここだ恋しき

 

これらの歌は、一義に聞く清げな姿からも、月は男以外の何者でもないことがわかる。さらに、突きひとおとこ、尽きひとおとこ、つきの夫根などとも聞き、他の歌言葉も浮言綺語の如く戯れているとする文脈に飛び込み、「秋…飽き」「天…あま…女」「見…覯…まぐあい」などと聞こえれば、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。


 近代から現代の文脈では、月に男性のイメージなど全く無く、別の印象さえ持ってしまったようである。その俎上に乗せて、これらの歌を料理しては、永遠に歌のおかしさは味わえないだろう。

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。