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帯とけの拾遺抄
藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って和歌を紐解いている。
近世以来の和歌の解釈は、紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、独自の解釈方法を構築した。歌を字義通りに聞き、言の戯れは、序詞、掛詞、縁語などと名付けて、和歌はそのような修辞で巧みに表現されてあるという。字義通り聞くと意味の通じない序詞などを歌の調べとしての意義があるなどという。このような解き方が定着すれば、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解するしかない。これは本末転倒である。逆さまにして、近世以来の学問的解釈方法を棄ててみたのである。
拾遺抄 巻第三 秋 四十九首
延喜御時の屏風に 躬恒
百十七 いづこにかこよひの月のみえざらむ あかぬは人のこころなりけり
延喜御時の屏風に 躬恒
(どこかに今夜の月が見えるか見えないだろう・夜は明けた、飽きないのは、人の心だなあ……何処かにこ好いのつき人おとこが見えるか、見えないだろう、飽かぬのは、人の此処ろだなあ)
歌言葉の言の心と言の戯れ
「いづこに…何処に…何処かに…出づこに…出た子に…果てたおとこに」「に…場所を表す…状況などを表す」「か…疑いを表す…問いを表す」「こよひ…今宵…今夜…こ好い…今好かった」「月…月人壮士…つきひとをとこ」「つき…突き…尽き」「みえざらむ…見えずだろう…見えないだろう」「見…覯…媾…まぐあい」「あかぬ…飽きない…飽き満ち足りることが無い…いつまでも貪欲である」「人…人々…男・女」「こころ…心…此処ろ…ここらあたり…身の端」「ろ…感動を表す…意味を強める…路…言の心は女」「なりけり…断定・気付き・詠嘆などの意を表す」
歌の清げな姿は、明け方まで月見していた人々の風情。
心におかしきところは、見れど飽かぬ人のここらあたり。
鴨長明『無名抄』によると、或る人が歌の師に、貫之と躬恒の勝劣の事を尋ねたところ、「躬恒をば、侮らせ給うまじきぞ」とだけお答えになられたという。躬恒の歌の「よみ口深く思ひ入りたる方は、又類なきものなり」という。
『無名抄』の言わんとする躬恒の歌の評価が、躬恒の歌に接したときわかるような気がすれば、平安時代の歌の文脈に一歩ながら立ち入る事が出来ているのである。
屏風に 平兼盛
百十八 よもすがら見てをあかさんあきのつき こよひはそらに雲なかりけり
屏風に (平兼盛・兼盛王、平の姓を賜り臣にくだった人)
(終夜でも見て明かそう秋の月、今宵は空に雲も無いことよ……一晩中、見て明かそう、飽き満ちた月人壮子、今好いは、空に雲なかりけり・こころも晴々だなあ)
歌言葉の言の心と言の戯れ
「見…観賞…月見…覯…媾…まぐあい」「あきのつき…秋の月…飽きの月人壮士・壮子…飽き満ちた男・おとこ」「こよひ…今宵…今夜…今好い…こ好い」「雲…空の雲…心に湧き立つ煩わしい雲…欲情…煩悩」「なかりけり…無いことよ…無く狩りけり…無くなるほどかりした」「かり…狩り…猟…めとり…まぐあい」
歌の清げな姿は、月見の宴たけなわの風景。
心におかしきところは、月人壮子の飽き満ち足りたありさま。
大和物語(第五十六)に、兼盛が越前の権守であった頃、兵衛の君という人に通っていたが一年ほど別れてまた来て詠んだという歌がある。
夕されば道も見えねどふるさとは もと来し駒にまかせてぞゆく
(夕方になると道も見えないけれど、古里はもと来ていた駒に任せて往くよ……ものの暮れ方になると、路も見られなくなるけれど、古さ門はもと来ていた股間に任せてぞ逝く)
女、返し、
駒にこそまかせたりけれはかなくも 心の来ると思ひけるかな
(駒に任せていたのねえ、はかなくも、わたしは君が・心から来ると思っていたわ……こ間に任せていたのねえ、それで女の・心が山ばに来るとでも思っていたのか・あゝ)
「みち…路…言の心は女」「さと…里…言の心は女…さ門」「こま…駒…股間…おとこ」「ゆく…行く…往く…逝く」、これだけの言の戯れを心得ると、歌は俄然さま変わりしておもしろくなる。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。