帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第二 夏 (八十三)(八十四)

2015-03-06 00:15:38 | 古典

        

 

                     帯とけの拾遺抄


 

『拾遺抄』十巻の歌を、藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてあるものを、近代人は、清げな姿を観賞し歌の心を憶測し憶見を述べて歌の解釈とする。そうして、色気のない「くだらぬ歌」にしてしまった。

貫之の言う通り、歌の様(表現様式)を知り、「言の心」を心得れば、清げな衣に包まれた、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」である。歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であると俊成はいう。これこそが和歌の真髄である。

 


 拾遺抄 巻第二 夏
 三十二首


      河原院の泉のもとにすずみ侍りけるに              恵京法師

八十三 松かげのいは井の水をむすびあげて 夏なき年とおもひけるかな

河原院の泉(かは腹陰のいづみ)の、近くに涼んでいた時に   (恵慶法師)

(松陰の岩井の水を、手で掬いあげて、冷たくて・夏なき年と思ったことよ……待つ女の陰のいわ井のみつをむすびあけて、撫づ無き・冷やかな、わが歳月のようだと、思ったことよ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「河…川…言の心は女」「はら…原…腹…身」「泉…言の心は女」。

「松…待つ…言の心は女」「かげ…木陰…陰…ほと」「いは…岩…石…言の心は女」「井…おんな」「水…言の心は女…みづ…みつ…蜜」「むすびあげ…手で掬いあげ…身も心も結び開けて」「夏なき…暑き時無き…熱きとき無き…撫づ無き…熱き柔肌に触れもせず」「年…年月…歳月」「と…なのだと…のような(比喩を表す)」「かな…感嘆…詠嘆」。

 

歌の清げな姿は、夏の泉の水の冷たさ実感。

心におかしきところは、熱きいづみに触れもせぬ法師の述懐。

 

河原院は左大臣源融の大邸宅であった。塩釜の浦の風景を模して庭や森や池や島が造られてあったという。泉もあったのだろう。

在原業平は子供の頃、三歳年上の融と遊んでいたらしい。業平十五歳の頃、妻とすべき女性を求めて春日の里に一緒に出かけた。その時の話が「伊勢物語」初段である。後年、融は藤原専制政治の中枢に取り入り左大臣までになった。片や業平はなま宮仕えをしながら藤原氏に抵抗して時には京を逃れ塩釜まで行ったという。「伊勢物語」の第八十一は、両者、翁と呼ばれる年齢に成った頃の話である。或る時、親王方も招待して、この大邸宅で一晩中、酒と管弦の遊宴が行われ夜明け方に歌になり、この庭園を褒める歌を次々に詠んだ。人々が詠み果てたころ、業平とおぼしき乞食の翁が、這うようにして板敷きの下までやって来て、歌を詠んだ。

塩釜にいつか来にけむ朝凪ぎに 釣りする船はここに寄らなむ

(塩釜に何時の間に、我は・来たのだろう、朝凪ぎに釣りする船は、ここに寄って来て欲しい……肢お、彼間に、いつか来たことがあったなあ、朝の心風止んだときに、漁りする夫根はよって来てほしいものだ)

 

「塩釜…所の名…名は戯れる。肢おか間、おとこ彼の間」「間…おんな」「釣り…漁り…あさり、かり…まぐあい」「ふね…船…夫根…おとこ」「より…寄り…撚り…つよくして」

 

 

題不知                            読人不知

八十四 そこきよみながるるかはのさやかにもはらふる事を神はしらなむ

題しらず                          (よみ人しらず・男の歌として聞く)

 (水底清よくて流れる川のように、我が身も心も・明るく澄むようにと、お祓いする事を、神は承知して頂きたい……そこもと清いがために泣かるる・かは、川が、明らかに、腹振ることを、かみは知ってほしい)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

 「そこ…底…其処…そなた…そこもと」「み…原因・理由を表す」「かは…川…疑問を表す…ほんとうか…反語を表す…ではないだろう」「川…言の心は女…おんな」「さやかに…明瞭に…明らかに」「はらふる…祓っている…祓の具振る…腹振る…身を振る」「神…上…言の心は女…天照大神は女神」「なむ…強く希望する意を表す」

 

歌の清げな姿は、穢れを祓う神事風景。

心におかしきところは、けがれ無きひとよ、あなたもはらふる。

 

浮気者、好き者、多気者、けがらわしいなどと、妻に泣きながらさんざん責めたてられた男の、ささやかなお返しだろう。

夜の仲は、神の諌める道ではない。男が浮気なのも、清らかな女がそのとき腹振るのも、神は御承知である。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。