帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 秋 (百九)(百十)

2015-03-21 00:11:18 | 古典

        


 

                     帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って和歌を紐解いている。


 近世以来の和歌の解釈は、紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、独自の解釈方法を構築した。歌を字義通りに聞き、言の戯れは、序詞、掛詞、縁語などと名付けて、和歌はそのような修辞で巧みに表現されてあるという。字義通り聞くと意味の通じない序詞などを歌の調べとしての意義があるなどという。このような解き方が定着すれば、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解するしかない。これは本末転倒である。逆さまにして、近世以来の学問的解釈方法を棄ててみたのである。

 

 

拾遺抄 巻第三 秋 四十九首

 

題不知                          読人不知

百九 こてふにもにたるものかな花すすき 恋しき人に見すべかりけり

     題しらず                        (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(来いと言うのに、似ていることよ、花すすき、恋しい人に見せればよかったなあ……子というのにも似ている物よ、花咲いた薄情なおはな、恋しい人に見せるべきだった)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「こ…来…来い…子…男子…おとこ」「にたるもの…人に似ているもの…ものに似ている物」「かな…感動の意を表す…感嘆の意を表す」「花すすき…白い花咲いた尾花…花咲き手まねきする形になった薄…しな垂れるお端…草ながらすす木と戯れるか、言の心は男」「花…はな…端…身の端」「見す…見せる…(招いていることを)知らす…(おのれの姿を)見せしめる」「けり…気付き・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、花薄の様子が面白いので恋人に見せようと思う女心。

心におかしきところは、飽き果てて去った恋人に薄のありさま見せてやればよかったと思う女の心。

 

「拾遺抄」と全く同じ文脈にある清少納言の枕草子(草の花は)に、「すすき」について、次のような事が記されてある。

 草花の名などのおかしさについて述べたあと、「これにすすきをいれぬ、いみじうあやしと人いうめり(草花に、薄を、入れた・入れない、はなはだしく奇妙だと人は言うでしょう)。

秋の野のおしなべたるおかしさはすすきこそあれ。穂さきの蘇枋にいとこきが、朝露にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やある。秋のはてぞいと見所なき。

(秋の野の一様のおかしさはすすきである。穂先が蘇枋色でとっても濃いのが、朝露に濡れて、靡いているのは、これほどの物が他にあるか。秋の果ては全く見所がない……飽きの山ばのないところの、おし並べたおかしさは、薄情なおはなである。お先の赤むらさきの濃いのが、浅つゆに濡れて、靡いているのは、これほどのおかしな物は他にあるか。飽きの果ては全く見どころがない)。

風になびきてかひろぎたてる。ひとにいみじうにたれ。

(秋風に靡いて、揺れて立っている。人に、ひどく似ている……飽風に靡いて、ゆらゆらかろうじて立っている。ひと・非門・おとこ、にひどく似ている)。

 

 
   
亭子院のおまへに前栽うゑさせたまひてこれよめとおほせごとありければ 伊勢

百十 うゑたてて君がしめゆふはななれば 玉とみえてや露もおくらむ
    
亭子院におかれては前栽植えさせられて、此れ詠めと仰せごとがあったので 伊勢

(植え立てて、君の標結う花なので、宝玉と見えて露もおりるでしょうか……うえ立てて、君がしめいう花なれば、白玉に見えてや、つゆもおりるでしょう)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「うゑたて…植えつける…種まく…埋め込む」「たて…語意を強める接尾語…立て」「しめゆふ…標綱などを結ぶ…占有を示す標を付ける…締め結ぶ」「はな…花…端…身の端…草花の言の心は女」「なれば…であれば…成れば」「玉…宝玉…真珠…白玉」「や…疑問詞…感嘆詞」「露も…露でさえ…白つゆさえ」「おくらむ…降りるでしょう…贈るでしょう…送るでしょう」

 

歌の清げな姿は、君の前栽には真珠に見える露が降りるでしょう。

 心におかしきところ、君の占める女なれば宝玉と見えるつゆ贈られるでしょう。

 

伊勢は亭子の帝に寵愛された人。歌の「心におかしきところ」に伊勢の女の魅力が(普通の言葉では言い難い女の情感が)満ちている。

今の人々は、清げな歌の姿を見てそれがこの歌の全てと思っているようだ。どうして、和歌はそのような一義で、うすぺらいものにされてしまったのだろう。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。